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「ULTRA JAPAN」で実現したかったある想い|人成塾(The Human Miracle株式会社代表取締役・小橋賢児)

ノンフィクション作家・小松成美がゲスト講師を選び、次の時代を生きるためのヒントをありのままの言葉で学ぶ『人成塾(じんせいじゅく)』。今回の対談ゲストは、世界で活躍するThe Human Miracle株式会社の代表取締役・クリエーティブディレクターの小橋賢児さんです。

8歳で芸能界デビューし、子役でも大活躍。その後ULTRA JAPANなど様々な企画を手がけるクリエーティブディレクターです。今回は、幼少期から今までの人生を振り返りながら学んだこと、得た気付き、そして小橋流の企画の作り方、などを語っていただきました。

前編はこちらから

若者の「どうせできない」を心から変えたかった

小橋:ご縁で数年後に、、ついに27歳のときにマイアミで出会った「ULTRA」に。

小松:向こうからやってきたんですか?すごいですね!

小橋:向こうからやってくるんですよね。それは全く僕にとって予測してなかったです。初めてアジアに「ULTRA」が上陸するっていうときにですね、韓国に。そのとき僕の友達が紹介してくれました。最初は、DJをブッキングするって仕事だけだったんです。僕の先輩とか知り合いの人たちに、とにかくDJを「今から5時間以内に5人ブッキングしてくれ」って結構な無茶ぶりされて、とにかくがむしゃらにとにかくブッキングしました。

今思えば、本番当日まで僕はブッキングだけの役割だったのですが、アーティストマネジメントという概念がないから、そんなにやらなくていいことまでむちゃくちゃやっちゃったんですよね。疲弊するくらいやって、本番当日迎えました。

そうしたら韓国の10万人のオリンピックスタジアム・ソウルオリンピックスタジアムで、もう何万人って人たちが揺れているわけですよ。そこをパッと見たときに7〜8割くらいは全くダンスミュージックとか、フェスとかに精通していなさそうな真面目なメガネかけた青年たちがいっぱいました。

みんな、人生が変わったような目して、ある人は泣いてるし、ある人はもう本当に一心不乱に新たな自分に出会ってるような、すごく輝かしく見えたんですよね。僕もそんな環境を自分がやれるなんて思っていないから、すごくそのリアルな瞬間みたいなのに泣いちゃいました。

その手前で辛かったのもあるんですけど、もう感極まって泣きました。

で、そのときにふっと日本の姿を想像したんですよ。日本の若者たちを想像したときに、当時「YouTube」とかが結構流行り始めて、みんな「Facebook」とかもやり始めて、「Tomorrow Land」っていう世界的なベルギーのフェスとか、「ULTRA」っていうフェスとかYouTubeの再生回数が億とか、数千万っていう回数だったんですけど、それを見てる若者たちが「うわ、すげー」とかシェアしてるんですけど、「でもどうせこんなの日本なんかでできるわけないよなー」ってみんなからコメントが返ってきていました。

小松:コメント欄にですね。

小橋:そう。で、「どうせ」って聞いたときにこれが日本の今だと思ったんですよ。僕自身もそうだなぁと。

政治を見れば大人たちは揚げ足をとって揉めているし、過去できたものは今はできない。それこそ「バブルの頃は俺ら楽しかったんだよなー、でも今はつまんないよ」って言ってる大人がいる。

世界を見渡せば、世界ではあらゆることがどんどんどんどん進化していっているけど、日本では規制があってできない。その当時、ダンス禁止とかって言われていたんで。踊っちゃダメですって言われてたんですよ。それこそ、どうせっていうこの感じ。どうせ日本なんか起きない。どうせ日本でできない。どうせ自分の人生なんてみたいな。どうせどうせ・・・っていう感覚ってすごいあるなと思っていて。

どうせこんなの日本でできるわけない。まして東京のど真ん中で起きるわけがないってみんなが思っている。じゃあ、もしこれが東京のど真ん中に起きないと思っている奇跡が目の前で起きるのを目の当たりにもし、今の若者がしたら、自分たちの未来って、「え、なにこれ、こんなことが起きるの?!」「この先何か変わっていくんじゃないの?!」っていう。「日本も変わっていくんじゃないの?!」「自分の人生も変わっていくんじゃない?」って。

たぶん昔、戦後の焼け野原から東京タワーができたときとか、オリンピックができたときって、みんなが「今後、日本って変わっていくんじゃないか」ってワクワクしたわけですよ。

DJのブッキングから始まった「ULTRA JAPAN」

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