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論文w ★ 霊の視覚的質感について
【1】ポイントは「零感ゼロ」の強固な思い込みである
今回の話は、大前提として「自分には霊感が無い」という自覚が非常に重要なポイントになっている。昨今の怪談系youtube(この分類はもちろん厳密ではありません。そういうところにこだわってないです。自分が「この心霊動画はおもしろい」と思ったものが「心霊系」です。その程度)を拝見していると、この「自称霊感ゼロ」というポジションも、以前と比べると、少しずつその趣を変えてきている。
それは単なる自認でしかなく、体験の有無とは全く関係がない、ということだ。
そして、それは、全く私自身と重なる。
少なくとも、25歳くらいまでは、不思議な体験など一個もなかった。霊体験がない、という状況は、心霊系が好きな人間にとっての地獄である。好きなのに体験できないのだ。つまり、その後の人生は半ば決まったようなものである。人からウザがられて、あの人変わってるよねと噂され、本人はオカルトが好きなだけなのに、他者は、オカルトに、その本人まで含めて見てしまう。
あれはどうしてだろうね。
怪獣好きや天体好き、車好きなど、世間にはいろんな好きがあるだろうに、二次創作やオカルトに関しては、それが好きな人も一緒に、集合の円にくくってしまうというミスを犯してしまう人が多い。あえて言えば、「好き」は自分の外にあるから好きなのだが。
そんな、零感(ゼロ感)な自分ではあるが、二十年ほど前に、今の家に引っ越してから、明らかに、何かを感じるようになった。
感想としては「狂喜」しかない。
それでも、決定的なものは少なく、必死で日常の「?」をかき集めてきた。その結果、「霊感がないけれども、こういう事があった」と話すようになり、聞いた人からは「それは逆に霊感があるのでは?」とか「すごく経験しているよ」と言われるようになった。
つまり、怪談あるあるの一つ、体験はしていないというヒトも、なにかしら実は体験しているというパターンに、つまらない事に、ガッツリ合致してしまったのだ。その典型的なパターンについて、以下、書こうと思う。
先にも書いたが、重要なのは「自分には霊感がないと思い込んでいる」という点である。
【2】近似体験で、はじめて、ようやく、ついに、気付くという流れ
最近は、youtube界隈も大いににぎわい、以前のように乏しいコンテンツにがっかりすることもなくなった。日本語の動画が増えたことは本当に嬉しい。前は、流れ的にあたりまえだけど、英語ばっかりだったからね。で、もちろん私は、数年にわたって、youtube内の心霊系を漁って生活している。
一か月くらい前、とある動画で、霊を見ることのできる人が、こういう事を話されていた。「霊は生きている人間と見かけの区別がつかず、道路上に飛び出してこられると大変困る」という話だ。
『それは本当に困る話だな。自分は見えないから、まだ良かった』
初めて視聴した時は、そう思っただけだった。実際の話、そんなんじゃ、車の運転は難しいのではないか?見える能力が突出しているほど、災難である。感想はそれだけで、だいたい見たことがないので、検証のしようも考えようもない。ただ、事実としてそういう事がある、という認識を強めることはできた。
それ以前にも、霊を人間と誤認して、挨拶をしたり、避けたりしてしまったり、道路に飛び出す霊の話も、聞いてはいた。なので、そういう事があるということは知っていたが、なんというか、それらは、自分からは、はるかに遠い事象のように感じていた。それが他人の経験であっても、それを自分の中に入れるときの「現実感」というのがある気がする。実際、目の前で、体験者が率直に語っている様は、今まで単に「そういうことがあるんだな」という醒めた感じから、「なるほど、そうなんだ。それは云々」と思えるくらいに実感が加わった感じだった。いや、実際はどうだろ?でもそれまで認識があったのに、自分の事に気付かなかったことを考えれば、そうとしか言えない。
というのも、この話を視聴してから数日後に、「あれ?もしかして、あれは、これか?」と、やっと私自身が思い至ったからだ。
そうなのだ。
私自身、霊らしき存在に、運転を阻害されたことが、過去にあったことに、このときやっと気がついたのだ。
考えて見ればおかしな話である。
認識はあったのに、それと自分の経験を結びつけて考えることをしなかった。その理由について、上でグダグダ述べたけども、まあ、単に、「自分には霊感が無い」という思い込みのせいであるとしか思えない。見るはずがない、こんなに焦がれているのに見る事が叶わないのは、もう、マジで零感がないんだ、すっごい不幸だ!!!という20年以上の思い込みの繰り返しは、理屈に合わない体験も、「見間違い」「勘違い」という処理に落としてしまう。
実は、気がついた体験は複数ある。毎日60キロ以上の、高速道路も含めた通勤をしていれば、それくらいあって当たり前だろう。って急に強気ww
最初に「もしかして、あれ、幽霊だったのか?!」と気がついた体験は、もう、10年くらいは前だったと思う。
【3】そして、自分の「あれってもしかして?」
土曜日か、半休の日か、仕事で車に乗っていたか、とにかく明るい日中だった。
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