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『ああ野麦峠 ある製糸工女哀史』を読んで

先日、『ああ野麦峠 ある製糸工女哀史』という本を読んだ。本書は、明治時代から大正、昭和にかけて、製糸工場で働いていた女性たちのルポルタージュ的な記録である。製糸産業における女工たちの過酷な労働環境とその実態が詳細に描かれている。今回は、この本を読んで感じたことをまとめてみる。

高校時代の記憶と興味のきっかけ

私がこの本に興味を持ったきっかけは、高校時代に日本史の授業で製糸工場について学んだことに起因する。当時の教科書には、女工たちの労働環境が非常に過酷であったと書かれていたが、実際にどれほど過酷だったのかについては深く理解していなかった。その後、たまたま図書館でこの本を見つけ、当時の記憶がよみがえり、読んでみることにした。

明治時代の日本の経済を支えた女工たち

明治時代の日本の主要な輸出品の大部分は、この女工たちが作った絹糸であった。外貨を稼ぐために製糸産業が重要な役割を果たしていたことに、私は改めて驚きを覚えた。外貨を得ることで、日本は技術の導入や軍艦の購入など、国力を強化するための資金を確保できたのである。この製糸産業が、日清戦争や日露戦争へと続く軍事力の基盤を支えていたと言える。

女工の階層の変遷

本書には、製糸工場での仕事が最初はエリート層の女性たちにとっての仕事であったと書かれている。私の中の女工のイメージは、貧しい農村の娘たちが口減らしのために工場へ出されるというものだったため、これは意外であった。しかし、時代が進むにつれ、明治の末期には米が取れない貧しい農家の娘たちが工場で働くようになり、その状況も変化していった。

過酷な労働環境と契約の厳しさ

本書を読んで、女工たちが直面していた労働環境の劣悪さには驚かされた。彼女たちは一日14〜16時間もの長時間労働を強いられ、湿気が多く、過酷な作業環境で働かされていた。さらに、契約の面でも女工たちは不利な立場に置かれており、前金を受け取る代わりにその場を逃げ出すことが難しくなっていた。逃げ出す女工に対しては、法外な違約金を請求することもあったという。

病気と無情な扱い

製糸工場で働く女工たちは、劣悪な労働環境のために病気にかかることが多かった。その中でも結核にかかる人が特に多く、当時は治療が難しく富士の病と呼ばれていた。貧しい農民たちは結核専門のサナトリウムに行くことができず、家に戻っても邪魔者扱いされ、劣悪な環境に隔離されることが多かったという。この描写には心が痛んだ。

知識と教育の大切さ

病気の治療法についての知識が乏しいため、女工たちは奇妙な療法を信じ込むこともあった。例えば、オタマジャクシを飲むことや人間の肝を食べることが良いと信じられていたという。教育の欠如が、こうした迷信や暴力的な行為を引き起こす原因の一つとなっていたと考えられる。

野麦峠を越える苦難

女工たちは、長野の工場に向かう際に野麦峠という険しい峠を越えなければならなかった。その途中で命を落とす人も多く、妊娠していた女性が子どもを産み落とし、放置して峠を越えていくこともあったと記されている。この背景には、工場長や管理者による性的搾取や、結婚をエサにした女工たちへの駆け引きがあったという。

明るい面もあった女工たちの生活


一方で、女工たちには高収入を得られる可能性があったことも記録されている。製糸工場での仕事によって、一部の女性は家を建てるほどの収入を得ることができ、家族に感謝される存在となっていた。また、女性が男性と同等以上の収入を得ることができた点では、当時の女性にとって憧れの仕事でもあったようだ。

最後に

まだ本書の半分しか読んでいないが、今後も読み進めて感想をまとめていきたいと思う。この本を通じて、当時の日本社会の現実と女性たちの過酷な状況に改めて向き合うことができた。

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