仕事が原因で病んでから徐々に復活するまで~現在進行形~

昨日のnoteは完全にプライベートな内省だったので、読んでもつまらないだろうなと思っていたのですが、スキ!を頂いてなんだかとても嬉しかったです。

人目を気にしてばかりの職場で2年半ほど継続していたら、悲しくもないのに涙が出たり、出勤する車の中で泣いたり、帰るときにも泣きながら帰るみたいな生活になっていました。

もちろん職場には違う部署に仲の良い同期もいましたし、恋人には毎晩職場の愚痴を聞いてもらっていました。本当に恋人には感謝感激雨あられです。よくもまぁ聞いても楽しくもないネガティブな話を聞き続けてくれました。

でも、職場の同期にも本音は話せなかったですね。自分が希望して入った部署だったので、投げ出したくなかった。自分が意気揚々と希望した手前、「やっぱ辞めま~す」なんて言えなかった。

親も、私が前からやりたいって言っていた念願の部署に入れたこと伝えたら喜んでくれたので、なんだか言い出せなかったです。心配かけちゃうしね。

もちろん、同じ部署にはそんなこと相談できる人いなかったなぁ。

最後の最後に、有給の取り方で上司に注意を受け、それを職場長(上司の上司)に決死の覚悟で「上司に言われたんですけど、有給ダメですか。」伝えたら、その1~2週間後ぐらいかな...3日後から違う部署に行ってと言われました。チクったからか・・・(笑)ちょうど秋の異動の時期と重なっていたのかな。他の部署が人数足りないから、ピンチヒッターでって言われたけど、本当のところは知りません。ちなみに、現在その部署になって2年です。2年在籍するピンチヒッター(笑)

翌日に職場長にやっぱり今の部署でやらせてくださいって言いに行きましたが、なんだかその時は涙が止まらなくて、職場長も私のメンタルが限界だって気づいたみたい。今思うと恥ずかしいです。

患者さんには挨拶もできなそうだから、せっせと1人1人宛に手紙を書いて渡しました。社交辞令かもしれないけど、私が担当でよかったって言ってくれたり、お返事の手紙をもらったり、本当に私は患者さんに恵まれてたなって思います。

毎日、職場に自分の居場所がなくて、終いには私が触ると悪くなるんじゃないかって無意識に思っていたけど、いつも患者さんとの時間に救われていました。

患者さんといるときは、ここがあの居心地の悪い職場っていうのを忘れて、笑顔になれる。不思議ですね。あんなに毎日泣いていたのに、患者さんの前では毎日自然に笑顔になれました。

その後、産休で休みに入る先輩と他の会社から研修みたいなローテーションで来てた人の終了期間と私の部署変更の時期が重なって、送迎会を居酒屋で行ってくれました。

あの頃の記憶はうっすらなので、はっきりとは覚えていませんが上司はたしか産休の先輩のこと褒めてたな~。私には当たり障りない送別の言葉と、他の部署でも力を発揮してみたいなこと言ってた気がする。

他の会社から研修で来ていた人は、すごく勉強になって楽しかった!自分の会社でも経験を生かして頑張っていきたいって意気揚々と語ってたのを覚えています。

もうそこの場にいることが辛かった。なんて言えばいいのかわからなかったです。自分が言葉を求められた時に「今までお世話になりました。私は部署は違うけど、まだ同じ会社にいるのでまたよろしくお願いします。」ってはっきり話したかったけど、きっと小さな声で、ちょっと声も震えていたと思います。

後輩もいるもんね、泣いている姿なんて見せたくなくて、でも涙は出ていたました。手で拭くと皆に泣いていることバレちゃうから、拭かなかった。それが私の精一杯でした。

1次会が終わって、残りたい人だけ残りましょうってなったけど、次の日は新しい部署で早番なのでって抜けさせてもらいました。ちなみに、前の部署は早番なんてありません。

ちなみに、私の異動することになった部署は勤務時間的にも仕事内容的にも条件は悪くなるので、哀れって思っていた人が多かったのかな、みんな私に声をかけずらそうでした。

別の日に、産休に入る先輩にありがとうございましたって言いに言った時、泣いちゃたんです。その時に、「また戻ってこれるよきっと。」って声をかけてもらいました。でも、1年たって同じ部署に戻ったのは産休の先輩だけ。

思い出しただけで辛かった送別会ですが、2年を経てこうやってアプトプットすることで客観的にみれる気がします。

今思えば、サラリーマンで自分の思い通りの部署に行けるなんてないし、ましてや今のご時世いきなりリストラだってある。

私は悲劇のヒロインだって思いこんでいたけど(精神的に落ち込んでいたので冷静な判断ができなかったというのはもちろんだけど)そんなこともない。

今思えば、そんな毎日泣いてまでしがみつく必要はない。でも、もし今度同じことがあったら、上司に辞めさせられるまで辞めないのではなく、自分で「今、自分はこうゆう状態だから、〇〇してくれませんか。」と異動を申し出たり、勤務条件について話し合ったりできたらと思います。

自分の身は自分で守る。今までは、仕事が原因で病んだこと黒歴史と思っていましたが、客観的にみれば、ただの若い女性社員が勝手に思い詰めて、相談もないし、メンタルやばそうだからとりあえず環境変えて上司は対応したって感じですもんね。

それが、異動の仕方が突然だったからびっくりしたけど、サラリーマンなら全然あり得ること。

その上で、大人として礼節のある対応をする。

自分のことでいっぱいいっぱいで、諸先輩方には何も挨拶できなかったなぁ。まだ全然職場で会うんですけどね。なんて話しかけていいのかわからず、2年間何も話してないです。ホーホケキョ。

こんなコミュ障なので、きっと職場でもうまくいかないんだと思います。私は普通になりたいんですけどね。普通になりたくて、迷惑かけたくなくて、私なりに精一杯気を遣っちゃう。でも、気を遣っていることを気づかれるのも申し訳ないので平気なフリをする。そして、人がいっぱいのところに行くと疲れちゃう。だから、学生の時から飲み会は苦手です。

部署が変わって、前よりも時間ができたので半年くらいは実家によく帰りました。何もするでもなく、その時放送されていた大河ドラマ「せごどん」の録画を何度も観て泣いていました。

私もせごどんみたいに、強く優しく生きたいなって。まっすぐに。

偉業を達成したい、人の役に立ちたいというよりかは、強く生きる姿に感動しました。

休みになると実家に帰って、ドラマみてゴロゴロ。そんな生活を半年続けたら、心も体も健康になるためにはどうしたらいいんだろうって思うようになりました。

体も肩こりがひどくて、仕事の終わりには首も凝ってきて頭痛とか頭ぼーっとしてきてましたからね。ようやく、それってヤバイ!ってわかりました。

超過勤務、サービス残業って忙しいから、漢字の如く心を亡くします。

頑張らずに、休んで休んでようやくちょっとずつ自分の身体に目が向きました。でも、その時は辛かった日のこと、思い出したくなくて、臭い物に蓋をするように、押し込めていました。

ようやく2年経って、思い起こせるようになったので、つらつら書き連ねていきたいと思います。

お時間あればお相手してください。


心も体も健康第一。

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