僕が出版社を辞めてWEGOに入社した理由。
僕が雑誌社を辞めた理由は、そもそも雑誌のコンテンツをつくる仕事をしても、見てくれる人は本屋にいく人しか存在しなかったからだ。
当時、自分が担当した雑誌が発売した日には必ず本屋に行ってた。そして自分が担当した雑誌を手に取ってくれる人をチェックしてた。どんな人が自分が書いた記事を読んでくれるんだろう?
年月が進むにつれて、読んでくれる人がどんな人かというより、そもそも本屋に来る人の数が減っていることのほうが気になっていた。
本屋さんには若者が(ほぼ)いなくなった。
そうなってくると、当然のように僕が担当してた雑誌も休刊になる。若者ターゲットの雑誌は、広告収入に頼れず、雑誌販売収入に依存しているビジネスモデルだからだ。売れないと休刊になる。
僕は出版社に残る選択肢を選んだけど、もう一度雑誌をつくるっていうのは考えられなかった。
雑誌のコンテンツをつくる労力は果てしない。一冊の雑誌を出版するのに徹夜する日々をおくるのは当然のこととして、それでも締め切りに間に合うかどうかわからなくて、やきもきする毎日。
そうやってつくった雑誌が並んだ本屋さんには、お客さんがあまり来ない。どう考えてもビジネスを抜きにしても、割に合わない。給料も当然上がらない。
いったん僕は当時流行りとされていたウェブ雑誌を会社に提案して、作らせてもらってた。なんのプランもない僕に対して、今考えてもよくしてくれてる会社だったと思う。当時の社長の松村さんには今でも頭が上がらない。
そんな中、若者に人気のアパレルショップWEGOの噂を聞いた。
僕がやってたウェブ雑誌のモデルで出てた北村諒(今は2.5D俳優として相当人気になってるみたい。よかった。)がWEGOでバイトをするっていう話で、噂のWEGOのショップを見に行ったら、ガラガラだった本屋さんとは正反対で、若者でいっぱいだった。もっというと若者しかいなかった。
僕はその光景にメディアの未来を勝手に感じ取った。
WEGOの内情や目指す理想をまったく知らずに、ここで新しい、若者のためのメディアをつくりたいって勝手に夢想した。
アパレルショップがメディア?
そんな疑問はもちろん当時の僕の頭の片隅には浮かんだんだけど、直感でここだって思えた。
そんな時に、たまたまWEGOの原宿エリアのマネージャーの幼馴染という人間がよく仕事をしてた美容師で、その人間からWEGOの人が会いたがってるって話をもらった。余談だが、その美容師は後にオーシャントーキョーという今、日本で一番勢いのある美容室を企業した。
僕は何か運命を感じて、その話を受けながら、なんとかしてWEGOに入社させてもらった。
そしてSNSを使ったPR、プロモーションを使い、DOKUMOというメディアをつくった。ジェンダーレス男子も、ボーイズグループXOXもガールズバンドsuga/esもそんな延長線で、それぞれの居場所をつくろうと思ってできたものだ。
だけど、僕がWEGOで若者にあふれてる光景は、まだ完全にメディア化できていない。
他の方がWEGOのことについて記事にしてくださってて、しかもかなり的を得ていてすごいうれしい。
だけど、自分があのときに見た光景と感じた可能性を、もっともっと自分で追求していかなきゃって最近思ってます。