SNS時代はなぜ共感が必要なのか?
最近、まあまあのインプレッションを出せたつぶやきがこれ。
これはうちの事務所の佐藤ノアが、ツイッターのフォロワーを年内に20万にするっていう目標を掲げていろいろ頑張ってるのを夜中に見て、ふと思ったからなんとなく書いてみた。
こういったツイートに対して、結構共感が生まれてたり、応援する人が増えるっていうのがSNS時代なんだなぁと思う。
ひと昔前の時代の芸能の人って、ミステリアスな部分を作らなきゃいけなかったし、プライベートの部分を隠していたのって、芸能人が自分とは違う別の世界の人っていう認識があったからだと思う。SNSが出てきて明らかに変わったのは芸能人だろうが、アーティストだろうが、アスリートだろうがじつは同じ人間で自分の世界から地続きの存在ということ。(だからこそ、一部の人にとってはSNSから遠ざかることもブランディングのひとつになるし、そういうことが必要な場合もあると思うが。)
そういうことを踏まえた上で佐渡島庸平『ぼくらの仮設が世界をつくる』で、平野啓一郎さんの“分人”について書いてある箇所があって、簡単にまとめると
今まで人は個人という概念以上にわけることができないと思われていたが、じつは個人→分人にわけることができる。分人というのはつまりは誰かといるときの自分、例えば家族といるときの自分と恋人といるときの自分、会社や学校にいるときの自分は当然のように違う自分だし、それはその個人に裏表があるというわけではない。それぞれの人に対してそれぞれの自分=分人が存在し、それぞれが本当の自分であるからだ
というようなことが書かれてあって、つまりはコミュニケーションを取る人の数だけ自分の分人が存在するということ。恋人と別れたときに悲しいのは、半分は恋人ともう会えなくなることが寂しいのだけど、もう半分は自分が居心地がよかった分人(恋人と一緒にいるときの自分)を失ってしまうから。
つまり何がいいたいかというと、SNSによって芸能人でもアーティストでも気軽にコミュニケーションが取れるようになった今、それ用の分人が作られるということ。だからSNSで触れ合える時間が多いほど、1日の中でその分人でいる自分の比率が高くなってくる。その分人でいる状態が幸せなら幸せなほど、応援する気持ちが肥大していく。
うちの事務所の佐藤ノアを例に出すと、ファンの子達もフォロワー20万人企画を成功させるために、いろんなことをして頑張ってくれている。
自分が失敗を恐れず努力も隠さずむき出しに宣言することで、“応援する”っていうことも含めて、佐藤ノアとコミュニケーションを取る分人の数や時間が増えていく。そしてむき出しになることで、メディアに出ている芸能人であっても自分と地続きの世界にいる身近な存在として、共感しやすくなっていく。
なんとなく夜中に呟いた自分の言葉だけど、掘っていくとこういうことなのかなと思います。
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