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町山博彦/元DOKUMO BGメンバーインタビュー

丸本(以下:丸)「まっちーは今25歳で高校の時から表に出る活動してたから、SNSが今ほど盛んじゃなかった頃からの付き合いだよね。」

町山博彦(以下:町)「僕は高校の時、埼玉県民だったんですけど、雑誌に出たら周りからすげぇって言われる時代でした。それで、当時付き合っていた彼女と原宿を歩いたりしてたら、たまたま雑誌『HR』のかたに声をかけていただいて、カップル特集で雑誌に出るようになりました。」

#雑誌HR 。当時、高校生モデルの人気が凄まじく、すべてはこの雑誌から始まっていた。町山博彦は表紙も務めた。

丸「雑誌に出るとまわりの反応が違うの?」

町「全然違いますよ。その頃は雑誌の影響力はすごかったっす。それで、当時の彼女のみなみちゃん(勝南美)ほうが先に有名になっていって、その付属でよく呼ばれるようになりました笑。」

丸「まあとりあえず出れないよりは出れたほうがいいよね笑。」

町「カップル推しみたいな感じで、ある種他の人と違う感じを出せてるのでいいやって当時は思ってました。」

丸「HRって今はもう休刊してるんだね。当時は人気者がどんどん出てきてたよね。」

町「そうですね、ゴンくん(鈴木勤)とかきゃりーちゃん(きゃりーぱみゅぱみゅ)とかすぅちゃん(現在Silent Sirenのボーカル)とかが先輩でした。」

丸「SNSはどうやって始めたの?」

町「HRの先輩方がアメブロをやっていて、僕もそれにならって始めました。ゴンくんにしてもそうなんですけど、その人のオリジナリティというかその人にしかないものを先輩方は持っていて、それが一番出せる場所がブログだったんですよ。だから僕も他の人にはない自分だけのものを、ブログで表現しようとして書いていました。」

丸「なるほどね~。まさにSNSの自分メディアっていう部分に当時の高校生たちは気づいてたってことなんだね。まっちーにとっても自分らしさとはなんだったの?」

町「いろいろ考えたんですけど、他の人にあって自分にないものっていうのは、彼女との仲の良さだったり距離感というか、そういう親近感的なことをブログで表現してましたね。」

丸「当時のブログの1日のアクセス数ってどのくらいだったの?」

#アメブロ 。今まで雑誌の登場回数を競っていたモデルたちが、アメブロのジャンル別ランキングを競いだした。

町「10万いかないくらいかなぁ。ランキングで上位に食い込めるかどうかっていうのが、当時の周りも含めて話題になってましたね。」

丸「当時はブログのランキングが高ければ雑誌に呼ばれるっていうのはあったの?」

町「ちょっとはありましたね。雑誌社の人からブログに撮影してること載せてって言われたりするくらいですかね。」

丸「ブログでアクセス数が上がったりコメントが来たりするとうれしかった?」

町「僕、今考えてみるとなんですけど、当時の自分自身に自信がなかったんですよ。雑誌に出たりして有名になれたり、雑誌に出てるっていう普通の人との区別化があって自信をなんとか取り戻して、SNSでファンの子たちとコミュニケーションを取って承認欲求というか、足りない自信をさらに満たしていたというか。」

丸「なるほどね。そうやってSNSを使ってるうちに、サロンモデルとして大活躍するようになったよね。」

町「LIPPSというサロンでヘアモデルをやらせてもらってそのヘアスタイルがすごい評判になってから、いろんな雑誌やヘアカタログ誌にも読んでもらえるようになりましたね。その頃からツイッターとかも出てきて、そこでも自分の思ってることを載せたりしてるうちに、丸本さんともヘアカタの撮影で会いましたよね。」

丸「当時、俺はまだSNSやってなくてヘア雑誌作ってたからねー。懐かしい。ヘア雑誌でまっちーが主催してたイベントを特集したこともあったね。」

町「クロストーンですね。あのイベントを主催した経験は今やっている仕事にも生きてたりするので、すごくよかったです。」

#高校生イベント・クロストーン。同年代の有名モデル、インフルエンサーを集めたイベント。バンド、お笑い、ファッションショーなんでもあり。当時は高校生以上のモデル、インフルエンサーを集めた平田遥(CRUDE PLAY)というイベントがはしりで、モデル自身がイベントを開催することが多かった。

丸「どうやって集客したの?」

町「ツイッターとアメブロですね。僕と同世代のモデルたちを集めて、みんなのSNSで一斉告知して、500人くらいの会場がソールドアウトしました。イベントの制作過程から企画途中まで全部ブログやツイッターに書いてました。」

丸「今考えてみると、昔ながらのイベントの作り方とは違うというか、情報解禁とともに一気に出すというよりも、イベントの企画を考えてるところから公開するっていう新しいやり方だったよね。高校卒業してからはいろんな雑誌でモデルとしてSamurai ELO、キラリ!、CHOKiCHOKiとかいろいろ出てたね。」

町「その頃に丸さんがWEGOに入社してDOKUMO BOYS&GIRLS立ち上げて、僕もそこに加入してって流れでしたね。」

丸「当時、メンズのモデルとしては北村諒(現在、俳優。2.5D俳優としてトップレベルの人気)や米重晃希、そして町山博彦がトップにいたと思うんだけど、同じBGにまだモデルとしては全然雑誌に出てなかった、こんどうようぢ(現在、タレント、デザイナー)、大倉士門(現在、タレント)の人気がSNSでどんどんすごいことになっていったのは、どんな感じに思ってたの?」

町「なんなんだろうこの人達は?って最初は思いました笑。ある意味、自分が2年なり3年なりで培ってきたものや道を、まったく別のルートから一気にトップに昇り詰めていったんで、びっくりしましたよ。」

丸「その後くらいから、SNSで人気になったら雑誌に呼ばれるっていう今までと逆のルートが定番になっていくよね。士門、富はメンズ雑誌にもハマりやすかったから人気になったらすぐに雑誌にモデルとして呼ばれだして、ようぢは雑誌に呼ばれるより先に単行本『ようぢWORLD』が出たしね。」

町「すごいなって思います。そんなSNSから現れたようぢくんや士門くんとWEGOの全国の店舗で来店イベントをするようになりました。LOOPもやりましたよね。」

#WEGO来店イベント 。チームDOKUMO BOYS&GIRLSとして、対象店舗で対象商品を購入するとチェキが撮れるというイベント。お店がオープンする早朝からファンがお店の前に列を作った。

#LOOP vol.1。チームDOKUMO BOYS&GIRLS主催のイベント。のちに代々木第二体育館やZEPPで開催することになるが、vol.1は無料で原宿ベルエポック専門学校での開催だった。雨にも関わらず100人近くのお客さんが来てくれた。

丸「まっちーにとっていわゆる読モ活動を謳歌してる時代だね。そこを過ごして、心境の変化はあった?」

町「徐々に自分に会いに来てくれる人がいるっていうことがうれしいっていう反面、まあ歳も大人になってきたっていうのもあったと思うんですけど、外面の僕っていうよりももっと内面も含めた本当の自分を応援してほしいって思うようになって、役者をやりたいっていう思いが強くなりました。」

丸「なんで役者だったの?」

町「僕、そもそもが仮面ライダーになりたかったっていうのもあったり、映画を見るのが好きだったので、明確なものはなくても、やってみたいなぁっていうのは元々ありました。そう思ってるうちに、あるマネージャーさんと知り合って事務所に所属することになりました。」

丸「まだBGでの読モ活動をしながら、事務所の仕事もしてたよね。」

町「いきなり大きな舞台が決まったりと芸能の仕事もわりと順調で、芸能界と読モというかインフルエンサー業界のハザマにいた時期でした。自分にとってBG、WEGOが帰る場所みたいな感じですごく楽しかった。芸能界は厳しいけど、自分の成長のためには必要な場所でした。」

#さくら色 オカンの嫁入り。元光GENJIの佐藤アツヒロさんが主演の舞台。
町山博彦が初の舞台を経験した。

丸「そしてBGを辞めて芸能一本でいくことになるけど。」

町「そうなんですよ。僕の中でその頃、役者一本でいきたいって思うようになって、なんていうんだろ、読モの自分って楽しいけど、会いに来てくれてる人たちも僕のこと本当の意味で分かってないって思うようになっちゃって。」

丸「厳しいながらもちゃんと努力をした役者の自分を見に来てほしいって思うようになったってことだね。実際、完全に芸能のほうにいってSNSとの付き合い方はどうなったの?」

町「僕の中でその頃、変な区切りができちゃって、SNSは告知をする場所だっていうふうになっちゃって。」

丸「俳優だからプライベートはできるだけ出さないっていうイメージかな。」

町「そうです、そういうスタンスでした。事務所も含めそういう感じでした。僕も左右されやすい時期だったんで、そうあるべきだって思うようになって。今まではSNSは自分を表現する、自分の思いを吐き出す場所だったんですけど、それができなくなっちゃいました。芸能界でいうと僕なんか下っ端の下っ端だから、僕から発信できることなんて何もないって思ってました。」

丸「仕事は順調だったの?」

町「仕事は割と順調でした。役者を始めたばかりの人と比べたらいろんな作品に出させていただいたりしました。テレビドラマ『GTO』が決まったり、地上波が強い事務所だったので本当に事務所のおかげでいろいろ出させてもらいました。」

#人気ドラマ 『GTO』。町山博彦は生徒役で登場。

丸「どのくらいの作品数に出たの?」

町「4年間で20作品くらいは携わらせてもらいました。」

丸「ぶっちゃけ今は役者としての活動を辞めてるよね?」

町「はい。実は去年、芸能界からは完全に引退しました。」

丸「それはどういう思いというか、決断があってそうなったの?」

町「25歳までに仮面ライダーになれなかったら辞めようっていうのを元々決めてました。最後にオーディションにチャレンジしたときにダメだったので、そこで決断しました。」

丸「決断は即決できたの?」

町「正直、1年くらい悩みました。だけど、最終的には僕の中で辞めることを決めました。いろいろ考えたんですけど、自分が努力した分がちゃんと結果として返ってくるものがいいなって思って、役者ってそれとは一番遠い世界だと思うんです。俳優を志すなら、努力に対する見返りは求めちゃだめだと思うし、好きだからやるっていうスタンスじゃないとダメだと思うんですよ。」

丸「なるほどね、すごい悩んでだした答えだから、間違ってないと思う。芸能界を辞めて次はどうしようと思ったの?」

町「BGや俳優、活動をしながら6年続けていた飲食の仕事など本当に様々な経験をさせて頂いて培ってきたものがあったのでそれを深く考えて…努力した結果が目に見えるモノとして現れて、そこにちゃんと現れるような自分の頭で思い描いてる流れや仕組みを表現して形にして人に求められるモノって何だろう?っていろいろ考えてて行きついたのが、僕自身が人が大好きなので人とつながる様々なビジネスを自分でやりたいってことでした。努力した結果の見返りがちゃんとあるものって何だろう?っていろいろ考えてて行きついたのが、自分でビジネスがやりたいってことでした。」

丸「起業ってこと?」

町「そうです。芸能界やBGをやってきたからこそ、自分の人生はすごい濃いものになったと思うし、振り返ってみたら本当にいろんなことをやってきたなと。そんな自分の経験と人脈とで何か面白いビジネスができたらと思って、最近会社を仲間と立ち上げました。」

丸「まだ25歳なのに、いろいろやってきたもんね。」

町「やりたいことがいっぱいありすぎるんで、これからいろいろ仕掛けていこうと思っています。」

丸「具体的に動いてるものってあったりする?」

町「あるタレントさんと一緒に、古着屋さんをやろうと思ってまして、昨日も古着のピックアップに行ったりしてます。近いうちに告知もしていくので、見ててもらえるとうれしいです。」

丸「昔、一緒に古着を掘りに行って売ったりしてたね。」

町「そうです、それこそWEGOでそういうのをやってた経験から、今ならもっと新しい形でできるんじゃないかなと思って、やるつもりです!」

丸「芸能界を辞めてSNSとの関わりはどう?」

町「今日、丸本さんに会いに来たのも、その相談をしたかったんです笑。何を書いたらいいんでしょうか?っていう笑。」

丸「SNSをフォローしてくれてる人たちって、俳優だからとか読モだからっていう理由で好きになってるわけじゃないからね。人間・町山博彦のことを好きになってるわけだから、表舞台の人間とか、スタッフとか関係ないと思うんだよね、俺は。だから自分が思うままに更新して、それでフォローしてくれる人がいたらラッキーって思えばいいのかなって。」

町「あるがままってことですね。そうですね。発信できるような気が芽生えてきてるので、やり始めますね。」

町山博彦/TwitterInstagram

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