見出し画像

芽吹く頃 〜その運命と私〜

さて今回より、私が乳がんの宣告を受けるまでのお話を少しずつ。それは2018年4月に遡ります。その新芽に気付いた朝、私は独り、全身の血の気が抜け落ちる絶望感を今でも忘れる事は出来ません。どう考えても異質な黒く小さな塊。一見、かさぶたのようでもあったがやはり違う。もしかして?いや、きっとそう…

現在41歳の私は22歳で結婚。しかし長く子供が出来ず、嫁として立場がない私の結婚生活は常にどこか暗い影を落としていたように感じます。ちなみに夫は優しい人なので辛い事があっても耐えられましたが、それ故の身勝手な負い目に内心では怯え続けていました。でも幸せだった。この二人の穏やかな日々さえあればそれで良い。私はこの小さな灯だけを頼りに生きてきたのです。あの日までは…

黒い芽吹の朝、夫は出張で不在中。実はその頃、私は体調の悪い日々が続いていました。微熱や強い倦怠感が続き、右胸も何となく張りが強くて段々チリチリした不快な痛みも出始めており、さすがにもう病院へ行かねばと思いつつ、中々足を向ける事が出来ませんでした。今にして思えば本当に愚かですし、何で早く行かなかったのかとお叱りを受けても仕方ありません。どんな言葉も全て言い訳にしかならないのも分かってる。だけど言わせて欲しい。確かに日々の生活にかまけて受診を遅らせたのは私の責任。しかし一番はただただ「怖かった」のです。もしかしたら乳がんではという、淡くも妙に確信めいた予感を受け容れる勇気が持てなかった。そんな私の右胸に芽吹いた運命は、もう戻れぬ世界への道に私を誘うようでした。とりあえず、自宅近辺で乳腺科(乳腺外科)のある病院を探して予約を取り、即日受診。綺麗な病院だったけど、自分の事で頭が破裂寸前の私は足を踏み入れて驚きました。待合室に集う人達の多さに。

問診票の記入を済ませて一度診察。しかし担当医は、私の右胸の異物を見るなり怪訝そうな表情を浮かべて言ったのです。「それは皮膚科じゃないの?」と。

…えっ、皮膚科? ʕʘ‿ʘʔハァ?

マンモグラフィとエコー検査を受けた診断自体は右乳房がステージ3〜4、左は0〜1で完全に乳がんでしたがどうにも先の発言に引っ掛かり、尚且つ医師の態度も色々と疑問が拭えなくて不信感が募った為にその病院での治療を断念。紹介状を書いて貰って現通院先に行く事となった訳です。あっ、先にお察しのネタバレですけど、今の病院での検査はいとも簡単に、皮膚の異物は普通に乳がん細胞という診断でした。まっ、ど素人の私だってそう思ったのだからそうでしょうね…

こうして後日、改めて一連の検査を受けたのですがまた次回に!

こまぶし🎀

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?