何のための発信か
気になっていた尾石晴さんの記事を購読している。日常の些細なことを切り取っており、その些細なかけらを抽象化や具体化を通して、人の世を表現しているなーといつも感心させられる。Voicyも聞いているが、流れる音声より文章で読むと、なにか文章を噛み締めて読むことができ、なにかじわーっと頭の中に理解できるような気がして、おすすめである。
特に自分が何か発信しようとnoteを使っているものの、うまく発信がつづかないし、発信を面白いと思っていないのと感じていたので、下の記事にグッときた
本業は安定しており、中途半端な気持ちで副業的なものでお金をかせげたらいいなという気持ちで文章の発信を始めた。きっと根本からまちがっているのである。何のために発信をし、誰のために発信をするか整理する必要がある。
自分はいま技術士の勉強をしているが、その内容を世の中に発信なんかすることに特に大きな意味はないはずだ。何より自分がそんなことを望んでいない。会社の体裁を守るために合格する必要がある程度のものである。そこを間違えているから、根本的に発信が面白くもないし続かないのであろう。
改めて、発信することのの意味を整理必要がある。
何のために発信をするのか
・発信の言語化を通して、自己分析・理解を深める
・発信を前提とすることで、インプットの質を高める
・発信で社会に壁打ちすることで、アウトプットの質を高める
なにか根本的なことから間違っていると感じた。
まずは継続できることをコツコツ積み重ねる。
継続できなければ、自分がダメなのではなく、自分に向いたやり方ができていない。
自分が面白いと感じたこと、関心したこと、そういう小さな違和感、些細な心の動きを社会への発信を通じて、人生の密度をあげる、社会を遠くまで見れるようになる。
色々、間違っていたなーと感じた、5月24日でした。コツコツの積み重ねです。