『ノモンハンの夏』(半藤一利):硬直化した組織の危険性とは?「エリートVS成り上がり」の構図が招いた悲劇
『ノモンハンの夏』は、1939年に起きたノモンハン事件を、当時の大日本帝国の政局や軍部の内情、国際情勢を交えて描いたノンフィクション作品です。この本から見えてくるのは、「エリートVS成り上がり」という構図が、日本の戦争を理解する上で重要な鍵になるということです。
著者は、東京の三宅坂にあった大日本帝国陸軍の参謀本部と、満洲事変以来自信をつけた関東軍参謀との対立を強調します。参謀本部の"秀才的集団主義"に対し、関東軍参謀は"暴れん坊的個性主義"で挑戦したのです。この「エリートVS成り上がり」「本部VS現場」の構図は、現代の日本社会にも通じるものがあります。
硬直化した大組織では、本部が現場を無視した机上の空論や精神論を振りかざします。ノモンハン事件でも、ソ連側の新種戦車に対し、機関銃にも耐えられない「弱装甲」の戦車を使い続けるなど、本部の危険性が浮き彫りになりました。現場の実情を知らないエリートたちは、「防禦鋼板の薄さは大和魂でおぎなう」などと考えていたのです。
末期状態になると、エリート本部は現場への微妙な忖度を、現場の成り上がり集団は本部への侮りを見せ始めます。指揮命令系統に「下剋上」の風潮が生じ、責任の所在が曖昧なまま、外から見ると首を傾げざるを得ない事態に陥ります。天皇の統帥権を無視したり、参謀本部の方針が守られなかったりするのです。
「エリートVS成り上がり」の構図は、「陸軍参謀本部VS関東軍」に収斂していますが、「海軍VS陸軍」「東京VS新京」「政府官僚VS軍」など、より複雑化した関係性も見え隠れします。『満洲国演義』では、「薩長閥」に対する非エリート層の不満と突き上げが、戦争への大きな原動力として暗示されていました。
この観点から戦争を読み解くのは容易ではありません。視点を広くとればとるほど、関係は錯綜し、分析は困難になります。それでも、戦後70年以上が経った今、日本はこの視座から直近の戦争を見つめ直す必要があるように感じます。