2019.6.9 『作家たちの対話』 第2回「アートの可能性」 エリイ(Chim↑Pom)×毛利悠子
現代美術館のリニューアル展示と合わせて見に行った
その時のメモ
思ったこと
エリイは登場して、まず椅子を客席に向けて座った
姿勢がとても良い、背筋が綺麗
猪子さんと考え方が似てると思った
自己紹介タイム
毛利さん自己紹介
動くもの
キネティックスカルプチャー
墓に閉じ込めるなら墓並みに静かにしてくれ
名前良い
インシュレーター
breath or echo
チンポム
広島の千羽鶴が保管に困るほどの量がある
それをほどいてアメリカ(核の当事者)に持って行って折り鶴作って、また広島に送る
鶴は増えないけど、折る行為は増える
エリイはアメリカには入れない
入国を断られてから行ってないぽい
人間レストランのご飯
アメリカの死刑囚が最後の晩餐はなんでも頼める
そのメニュー
エリイ14日間家出
コンクリートで寝たりすると気力がどんどんなくなっていく
対談スタート
始めるとどんどん広まる
使う素材テーマどんどん変えるモチベーションはなに?
アートバーゼル
暗い絵がイチオシ
これは売れない
エリイは何のために作るのか?興味があることは?
神はいない
今までの作品、7割神、3割自分がやってきたと思ってたけど、全部自分の力だった?と気づいた
カトリックで神を信じて生きたけど、いないと言われても腑に落ちた
we don’t know god
作品集
クリスチャンではなくキリスト教に詳しい人
99匹
迷える羊も大事
毛利さんは浄土真宗
カジュアルな仏教
最近面白いパブリックアートを見てない
それはバブルの勢いでドーンの時代を象徴してるのではないか
風化する彫刻、雪や風もノミ
作品の時間性
作品自体も時間で変わる、美術館は同じ状態で保存することが仕事?
作品自体でなく、その受け取り方も時間で変わる
古い地図で見ると道、その上に屋根作ったり家ができた
それをまた道に戻した
道を育てる
最近ダサい服屋が入った、それも道なので受け入れる
バラック
寝たくなったり食べたくなったりする作品がある
美術館での振る舞い
国立美術館と国道を繋ぐ道の作品、チンポムの道の上では水飲んで良いよとか
ウーマンズライブラリー
フェミニストとして強く意見を言うのではなく、普段の活動を素直に生きて言説とセットで広めていく
ひめゆりの塔、沖縄
展示
インスピレーションというよりなまけに旅する
自分はチンポムの一部
チンポム以外でやることはない
今までもこれからも
アートの思考回路
自分の見えてるものと他人の見えてるものは違う
エリイも猪子と同じ役割分担の話
説明はリーダーがしてくれるけど、ぼんやりしてる自分が必ずしも説明できる必要はない
力仕事は得意な人がいて、自分はやらない
アートの可能性を信じていれば、パンピーに向ける言葉をわざわざ簡単にする必要がなかった
毛利さんはどういうものを残したい?
残ったものが残る
質問タイム
2人にとって現代アートとは?
作り始めと今でどう違うか
毛利さん
答えを求めて作ってない
アートを作ってる感覚がない時もある
自分が作ってる機械仕掛けのものが現代アートのシーンに適してるからやってる
別の名前があるかもしれない
いろんな芸術家の歴史が面白い
2013に仕事と自覚した
このままぼんやり続けていけると思ってるのか?と怒られたことで気づいた
エリイ
価値観を仕事にしていく
角度の多さ、視点の見え方、概念の提示
こんな見え方あるんだっていう発見
こんな考え方はなかった
金属っぽくて柔らかいとか、見えてるものが全てじゃない
概念を形にする
最初と今との違いは、ない
概念として作品を作るのは一緒
エリイは芸術の文脈は?
先輩を見てへー!とかこういうのあるんだというのはある
美術史を知ること網羅しなくても作ることで1位にできる
神はいない
実生活においての体験、アートでの体験はどう違ったか
アートの方が先
神がいないという概念の方が後
アーカイブする時代
でも世界中回って同じ作品でもその土地土地で細部は異なる、どう思うか?
モノは超大事
アウラがある
作った瞬間に答えが過去と未来から来る時がある
有機的なストーリー