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大阪市の神社と狛犬 ⑪中央区 ⑦高津宮~仁徳天皇の宮を護る狛犬たち~

大阪市中央区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。中央区は、かつての東区と南区が合区となって1989年に発足した新しい区です。大阪市のほぼ中央にあり、上町台地とその西側の地域になります。この区には、大阪府庁などの官公庁街、船場と呼ばれる商業街、ミナミと呼ばれる繁華街などに加えて、大阪城や難波宮跡などの歴史的建造物もあります。

中央区には、生國魂神社行宮を含めて11社の神社があります。さらに、神社ではありませんが、大阪城公園内に明代の中国獅子があります。この12箇所について、順次紹介したいと思います。

7社目は、高津宮こうづぐうです。高津神社とも呼ばれています。大阪メトロ谷町九丁目駅の北西、徒歩5分ほどの地に鎮座します。

高津宮

■所在地 〒542-0072 大阪市中央区高津1-1-29
■主祭神 本座・仁徳天皇
     左座・応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
     右座・履中天皇・葦姫皇后
■由緒  社伝によると、当社の創建は、貞観8年(866)、清和天皇の勅命により仁徳天皇の「難波高津宮たかつのみや」の遺跡が探索され、その地に仁徳天皇をお祀りしたことに始まるとされている。当時の社地は現在地より北、現在の大阪城付近にあったが、豊臣秀吉の大坂城築城の際に、比売古曽社(現在は摂社)の鎮座地である現在地に遷座したと伝えられる。

高津宮拝殿

狛犬1

■奉献年 宝暦四庚戌(1754) 台石改修 昭和五十四年一月吉日
■鋳物師 冶工 心斎橋 長谷川久左衛門   
■材質  青銅
■設置  拝殿前

拝殿前 青銅狛犬
拝殿前 青銅狛犬(阿形)
拝殿前 青銅狛犬(阿形)
拝殿前 青銅狛犬(吽形)
拝殿前 青銅狛犬(吽形)

拝殿前の青銅狛犬の坐す台座には「九之助町 願主 紀伊國屋二兵衞 寶暦四庚戌載」「六月吉日 酒邊町 願主 紀伊國屋五郎兵衛」と彫られている。この台座は新しいもので、「台石改修 昭和五十四年一月吉日」と書かれている。宝暦4年(1754)奉献の狛犬の台座だけを新調したものである。
『摂津名所図会』(1796~98)を見ると、拝殿前に小さく狛犬が描かれている。宝暦4年(1754)奉献の青銅狛犬の可能性があるが、判別できない。
古い社殿は、昭和20年(1945)の大阪大空襲で焼失し、残ったのは神輿庫だけだったという。この狛犬は、金属類回収令も免れ、戦火にも耐えたということか。現在の社殿が復興したのは昭和36年(1961)であった。
さて、この青銅狛犬は、阿形は垂れ耳・巻き毛、吽形は立ち耳・直毛で立派な角がある。獅子と狛犬に、はっきりと変化を持たせている。

作者については、『大阪なにわ狛犬の謎』(小寺慶昭著)に、「台座に『心斎橋 長谷川人左衛門』と刻まれている」と記されているが、これは間違いで、台座ではなく、阿吽とも火炎のような尾の一筋に次のように書かれている。

冶工 心斎橋 長谷川久左衛門

青銅狛犬 阿形尻尾の銘
青銅狛犬 吽形尻尾の銘

「冶工」というのは鋳物師のこと。阿形の尾は1本が損失しているが、その隣のいちばん長い一筋に銘が彫られている。吽形は中央のいちばん長い1本の右隣の一筋に、この銘がある。阿形の尾はおそらく戦火で損傷したものであろう。
鋳物師の名前については、「久」を次のように記している。

小寺氏はこれを「人」と読んでしまったのだろう。

長谷川家の先祖は、平安時代の12世紀に京都室町で創業し、13代目の次右衛門易基は、豊臣秀吉から「天下一」の朱印状を授かっている。平野区の杭全神社には、27代長谷川亀右衛門易重のすばらしい青銅狛犬がある。

狛犬2

■奉献年 不明
■石工  不明   
■材質  砂岩
■設置  摂社・比売古曽ひめこそ神社前

比売古曽神社
比売古曽神社 狛犬(阿形)
比売古曽神社 狛犬(吽形)

「由緒」のところにも記したが、高津宮はもとは上町台地のもっと北の方にあった。しかし豊臣秀吉の大坂城築城の際に移転を強いられたのが比売古曽神社の鎮座地であった。その結果、「軒を貸して母屋を取られる」ではないが、比売古曽社神社は高津宮の摂社となってしまった。
狛犬は大阪では珍しい構え型だが、損傷がかなり激しい。出雲あたりからの渡来物だろうか。それとも、浪速の石工が出雲の狛犬を模倣したのだろうか。後ろ姿がかわいい。

比売古曽神社 狛犬(後ろ姿)

狛犬3

■奉献年 寛政十一己未年 九月吉日(1799)
■石工  不明   
■材質  砂岩
■設置  谷末社前

谷末社案内
谷末社と狛犬
谷末社狛犬
谷末社狛犬
谷末社狛犬
谷末社狛犬
谷末社狛犬
谷末社狛犬

高津宮は上町台地にあり、起伏が大きく、社殿の東側の小さな谷の部分にこの末社が祀られてる。社前に安置されているのは、「寛政十一己未年 九月吉日」(1799)の台座銘を持つ砂岩製の浪速狛犬である。表面の損傷がかなりひどい状態だが、発展期の浪速狛犬の雰囲気が感じられる。
台座正面のマークは、奉献者の家紋か屋号紋だろうか。

同じ谷には、大きな陰陽石もあった。

陰陽石

高津宮境内

高倉稲荷神社

高倉稲荷神社
高倉稲荷神社狐像
高倉稲荷神社狐像

高津宮境内図

高津宮ホームページより

本殿(拝殿)を挟んで高倉稲荷神社と反対側に絵馬堂がある。江戸時代、この辺りは展望の名所として有名で、ここで望遠鏡(遠眼鏡)を貸して大阪の町並みの説明をする商いが庶民の娯楽としてにぎわっていた。当時、高津宮の西側は海がすぐそばまで迫っていた。『摂津名所図会』や芳瀧の浮世絵「浪花百景」には、境内から見える海が描かれている。

芳瀧「浪花百景 高津」


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