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トンボの王様「ラッポー」

以前、「コーシャホージンチ」で、「キリギリスはバッタの王様だった」と書いた。
それでは、ぼくにとっての「トンボの王様」はというと、それは間違いなく「ラッポー」だ。
「ラッポー」とは「ギンヤンマ」のことだが、ぼくが子どもの頃は「ラッポー」と呼んでいた。
もっと短く、単に「ラ」と言うこともあった。

「明日 ラ 採りに行こ!」

ぼくたちはそんなふうに約束して、夏休みの一日をラッポー採りに明け暮れた。

ギンヤンマ・オス

写真
  https://blog.goo.ne.jp/hotaru-net/e/0131c29823e705859721750b5549db98

トンボの王様は、本当は「オニヤンマ」かもしれない。
しかし、その頃ぼくたちの周りにオニヤンマはいなかった。
ぼくが初めてオニヤンマと出会ったのは、父といっしょに生駒山に登ったときだった。
近鉄電車の平岡駅から登る山道で、不意に大きなトンボがすーっと前を横切った。
大きな緑色の目に、黒に黄色の線が入った長い腹部は、オニヤンマに間違いなかった。
昆虫図鑑でしか見たことがなかったトンボが、目の前を通り過ぎたのだ。
ぼくは捕虫網を振り上げることも忘れて、オニヤンマの残影を見つめていた。

オニヤンマ2

昨夏、我が家に迷い込んできたオニヤンマ

一方、ギンヤンマは、ぼくたちの生活の中にあった。
ぼくたちは、網を持ち、虫かごを肩から斜めに提げ、糸をポケットに入れて、ラッポー採りに繰り出した。
網は、昆虫採集用の白く細かい編み目のものではなく、魚をすくうときに使う目の粗いものだった。
なぜなら、ラッポーは、必ず池や田んぼなどの水辺にいたからだ。

ぼくたちは、真夏の太陽が頭上でギラギラする中、緑の稲が一面に広がる田んぼのあぜ道にひそんでいた。
まっすぐに伸びる稲には穂が出始めている。
ぼくたちは体をかがめ、稲の緑と空の青との境目に目を凝らす。
そこには必ず、空中に透明の直線を描く「ラッポー」の姿があった。

ぼくたちは立ち上がって網を左右に振る。

「ラッポーえ ラッポーえ」

大声で叫びながら、さらに力強く網を振る。
すると不思議なことに、「ラッポー」が近寄ってくる。
しかし、もうちょっとというところで、敵はスッと向きを変える。
近寄ってくるのは、たいてい胸部と腹部の境目がきれいな青色をしたオスだった。

何度かこのような攻防を繰り返すうちに、幸運が舞い降りるときがやってくる。
近づきすぎた「ラッポー」が、ガシャガシャガシャと羽の音を立てながら、網の中に取り込まれる。
ぼくは、「ラッポー」の入った網を田んぼのあぜ道に伏せる。
そして網の縁からそっと手を差し入れて、「ラッポー」の4枚のざらざらした感触の羽をたたんで、右手の人差し指と中指ではさむ。
強くもなく、弱くもなく、絶妙の力加減で羽を固定された「ラッポー」は、頭を振り、6本の足をせわしなく動かして抵抗するが、やがておとなしくなる。

「ラッポー」のメスは、オスのように胴体に青色の部分がなく、胸部から腹部の付け根まで緑色をしている。
個体の数がオスより少ないのか、めったにつかまえられない。
しかし時折、2匹の「ラッポー」が連結して飛んでいるのを見かけることがある。
前がオス、後ろがメスで、メスは水中に尻尾を入れて産卵する。

ギンヤンマ産卵

写真 
https://soyokaze2jp.blogspot.com/2014/08/blog-post_21.html

このようなつがいを見つけると、ぼくたちは大騒ぎだ。

「あっ、サカリや、サカリ!」

連結した2匹は産卵場所をさがすのか、ゆっくり飛翔する。
産卵するために水辺の草にとまっているものもいる。
ぼくたちは、期待と後ろめたさを感じながら、しかし必ず期待が勝利して、この獲物に襲いかかる。

メスを手に入れると、いよいよポケットの糸の出番である。
1m足らずの糸の端を、「ラッポー」のメスの胸の部分、前後の羽の間に巻き付けて、もう一方を短い棒の先に結ぶ。
メスを空に放つと、必ずどこからかオスの「ラッポー」がやってくる。
そしてガシャガシャと糸の先のメスに絡みつく。
こうなると網なしで、手でつかまえることができることもある。

やがて日が西に傾き、昼の暑さが少しやわらぎ出す頃になると、「ラッポー」の姿が空に消えていく。
ぼくたちの戦いは終わり、その日の戦果を虫かごに入れて、家路をたどるのだった。



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