阿倍野区の神社と狛犬一筆書き巡り
阿倍野区はここ
「大阪市の神社と狛犬」をテーマとしてnoteに投稿し始めてから1年半以上になりました。出発は、大阪市24区の最北部の東淀川区、松山神社でした。いま調べてみると、2022年5月1日の投稿でした。
現在は東成区で、間もなく生野区に移動します。そしてその次が阿倍野区です。阿倍野区の神社はほとんど参拝済みでしたが、確認のためもう一度歩いてみました。北風が吹く寒い一日でした。
阿倍野区の神社一筆書きルート
「阿倍野」という地名は、昔この地を領有していた阿倍氏に由来するという説が有力だそうです。「阿倍」の名前は、平安時代には「安倍」となります。安倍晴明が有名ですね。そういえば、凶弾に倒れたあの首相も安倍氏でした。
朝9時30分に家を出発。自転車で最寄りのJRの駅に向かいます。駅に到着したときに、モバイルバッテリーを持ってくるのを忘れたことに気づきました。スマホのカメラで撮影する予定なので、バッテリー持つかな?
大阪駅で乗り換えて環状線の新今宮駅で下車。ここで阪堺電車に乗り換えです。6駅先の天神ノ森駅まで行きます。阪堺電車は全線均一の230円。住吉大社もこの電車で行けます。
天神ノ森駅の駅名は、すぐ目の前にある天神ノ森天満宮から名づけられました。本日の一社目は、この天神ノ森天満宮です。
〈天神ノ森天満宮〉
実はこの天神ノ森天満宮は、西成区にあります。阪堺線を境界にして、東が阿倍野区、西が西成区になります。だからこの神社は、西成区のいちばん東側に鎮座することになりますね。阿倍野区の神社巡りですが、すぐそばなので、まずはここからスタートします。
道路の反対側から正面の鳥居を撮影し、参道の二の鳥居付近の狛犬を撮影しようとすると、目の前にこの神社の宮司さんがやって来ました。
平身低頭して事情を説明したのですが、まったく取り付く島もないとはこのことです。頭ごなしに叱られました。
ということで、不穏なスタートとなりました。
気持ちを取り直して次に向かいます。
〈阿部野神社〉
阿部野神社は、なぜか「阿倍野」ではなく「阿部野」です。ここは、北畠親と北畠顕家の父子を祀る神社で、明治初期に創設されました。この辺りの地名も北畠です。急な階段の上に、神馬像があります。こちらは西参道でした。
南参道から参拝すると、正面に拝殿があります。
阿部野神社には、昭和の狛犬が3対と手水舎に陶製の狛犬があります。詳しいことは、後日「大阪市の神社と狛犬」で。
ここでは珍しい手水舎の陶製狛犬の写真を載せておきます。
阿部野神社をあとにして、住宅地を抜けて次の目的地正圓寺に向かいます。
〈正圓寺〉
正圓寺は歓喜天を本尊とする真言宗のお寺です。聖天山の上にあるので、「天下茶屋の聖天さん」と親しまれています。聖天山は標高14mの低山で、「大阪五低山」の一つだそうです。
山門を潜ると、大阪では珍しい構え型の狛犬があります。本堂には大聖歓喜天をはじめ、たくさんの仏様が祀られ、護摩堂・釈迦堂・大師堂・稲荷神社などもあります。また珍しいものに、マニ車や仏足石も設置されています。山門前の石仏も見逃せません。
さらに、境内東側には奥之院と呼ばれる不思議な空間があります。ここで2対の小型狛犬を発見!
見どころの多かった聖天山正圓寺を出て、松虫通を東へ向かいます。この通りの名称は、道路沿いにある松虫塚に由来しています。
この辺りは松虫の名所であったようですが、後鳥羽上皇が寵愛した松虫・鈴虫という名の姉妹の松虫が当地に隠れ住んだとか、謡曲「松虫」に登場する、虫の音に惹かれてこの地で命が尽きた男の墓であるとか、いろんな伝承があります。
松虫塚からしばらく行くと、阪堺電車・上町線の松虫駅に出ます。ここから昔の熊野街道に入ります。
〈安倍晴明神社〉
この街道沿いに安倍晴明神社があります。
安倍晴明といえば、平安時代の有名な陰陽師です。京都にも晴明神社がありますが、安倍晴明の出生地は大阪だという説が有力です。伝説によると、清明の父、安倍保名が和泉国の信太明神にお参りした帰り道、狩りで追われた白狐を助けたことがありました。その後、白狐は葛乃葉と名乗る女性に化身し、二人は結婚しました。こうして生まれたのが安倍晴明だといいます。
こちらの宮司さんは、狛犬の撮影をお伺いすると、快く許可してくださいました。
〈阿倍王子神社〉
安倍晴明神社からほんの少し南に下ったところに阿倍王子神社があります。
社殿は南向きですが、東西に鳥居があります。西側の鳥居は熊野街道に面しています。
熊野街道沿いには九十九ヶ所の分霊社があり、それを「王子」と呼びました。熊野詣での人々は王子を順に参詣して熊野に向かったといいます。
拝殿前には立派な青銅狛犬が安置されています。ここでも社務所で許可を得てから撮影しました。
阿倍王子神社の参拝を終えると、東側の道路「あべの筋」を渡ります。シャッターが閉まった商店街や住宅街を抜けると「あびこ筋」に出ます。目の前に、桃山学院の中学校と高等学校があります。そのさらに東にあるのが桃ヶ池で、公園になっています。
〈股ヶ池明神〉
「桃ヶ池」という漢字の名称が定着したのは昭和になってからで、それまでは「百ヶ池」「脛ヶ池」「股ヶ池」とも表記されたようです。現在は整備されて公園になっています。その一角に「股ヶ池明神」があります。
この地には、「桃ヶ池に棲んでいた大蛇を聖徳太子が退治した」という伝説があり、大蛇の霊を沈めるために作られた「おろち塚」が昭和初期まで残っていたといいます。
股ヶ池明神も、江戸時代に蛇霊を祀ったのが起源だということです。
桃ヶ池付近は、吹きすさぶ北風をさえぎるものがなく、その冷たさにスマホを持つ手が凍り付きそうでした。
池の端の公園を通って500mほど行くと、JR阪和線の南田辺駅に着きました。このJR線の東側は東住吉区になります。これで阿倍野区を西から東へ横断したことになりますね。
〈山阪神社〉
駅でこの付近の地図を見ると、ここから500mほど南に山阪神社という神社があるようです。予定外ですが、まだ時間があるので参拝することにしました。
公園に隣接して神社の森があり、鳥たちの声がします。公園と神社の玉垣の間に一対の浪速狛犬が置かれていました。一目で江戸末期の狛犬だとわかります。期待がふくらみます。
しかし、ここで心配していたことが起こりました。スマホのバッテリー切れ・・・。あとわずかなのは分かっていたのですが、ここに来てついにアウトです。
まずは神社の正面に回って大鳥居を潜り、拝殿でお参りします。拝殿前には大きな玉に前肢をかけて立つ狛犬がいました。何とか写真を撮ることができました。
しかし、先に見た江戸末期の浪速狛犬や境内の写真は撮ることができず、次回のお預けとなりました。
東住吉区の神社と狛犬たち、待っててね~。
ということで、もう一度南田辺駅まで戻ります。
現地での所要時間は約4時間。歩いた距離は6kmほどでした。