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大阪市の神社と狛犬 ⑮浪速区 ⑦敷津松之宮(その1)~草叢の狛犬たち~
大阪市浪速区の地図と神社
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大阪市には、現在24の行政区があります。浪速区は上町台地の西側、大阪市のほぼ中央に位置します。区の面積は4.39㎢で、大阪市で最も狭い行政区です。区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」からとられました。
浪速区は、長い歴史をもつ「大阪木津卸売市場」や「でんでんタウン」など市内でも有数の商業地域として発展してきました。また、大阪のシンボルといわれる「通天閣」がある新世界など、庶民の町として親しまれています。
浪速区には、神社庁に加盟する神社が4社ありますが、これら以外にも少なくとも5社が確認できます。
敷津松之宮は、前回の難波八阪神社から南へ500mほどの地に鎮座します。大阪メトロ「大国町」駅からは北へ100mほどで、国道26号線に面しています。
敷津松之宮の正面鳥居は境内の南側にあり、その正面が社殿です。一方、国道26号線に面した東側にも鳥居があり、こちらは境内社の大国主神社の正面になります。大国主神社は「大国町」という地名の由来にもなっていて、摂社でありながら、本社よりも有名です。
神社庁への宗教法人としての登録名は「敷津松之宮」なので、2回に分けて、今回は敷津松之宮と、境内片隅の狛犬についてお話しします。
敷津松之宮
■所在地 〒556-0015 大阪市浪速区敷津西1-2-12
■主祭神 素盞嗚尊、大国主命
■由緒 神功皇后が三韓遠征から帰朝し、住吉大社に向かう途中に敷津の浦を航行していると、敷津浜に荒波が打ち寄せられていた。そこで渚に松を三本植えて、「ここより潮が満ちないよう」と祈願し、その松の下に素盞嗚尊をお祀りしたのが、当社の由来とされている。
平安時代には牛頭天王社もしくは祇園社と呼ばれるようになり、明治以降は八坂神社と呼ばれた。明治26年に敷津松之宮と改めた。
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狛犬1
■奉献年 明治百年記念 昭和四十三年十月二十三日勧進
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
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拝殿前に安置されているのは、昭和43年(1968)奉献の岡崎現代型の石造狛犬である。台座正面に「明治百年記念」とある。奉納日は10月23日で、この日には日本政府主催の「明治百年祭」という大祝典が催された。
敷津松之宮は歴史ある古い神社である。当然ながら古い狛犬もあっただろう。しかし社殿の前の狛犬は新しいものだった。
境内を見回して、目にとまったものがあった。それは境内片隅に捨てられたように置かれている「草叢の狛犬たち」である。
狛犬は3体あった。1対と1体。
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狛犬2
■奉献年 不明
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 境内東側
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3体のうち、対になっている2体の狛犬。下の台座には「納」と書かれている。この1対の右にやや大きい狛犬があり、そちらは「奉」の台座である。狛犬本体の大きさから考えると、この台座は右の大きい方の狛犬のものであろう。
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奉献年などが記されていないが、阿形の口元の三角形の舌から、大正から昭和にかけて造られたものだと思われる。損傷が少ない状態なので、こんな片隅に放置されているのが残念だ。
狛犬3
■奉献年 明治四十一年
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 境内東側
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先の1対の狛犬よりも一回り大きい。第二台座もあり、その下の「奉」の文字が書かれた台座のサイズとも合う。吽形なので、もとは「納」の台座に坐していたのだろう。
「奉」「納」の台座は半ば草に隠れ、地面に埋もれているが、「施主」や奉献年がかろうじて読み取れる。
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この狛犬も、ほとんど損傷が見当たらない。阿形がいないのが残念である。
これらの狛犬は、おそらく敷津松之宮の拝殿前や、次回に紹介する大国主神社の拝殿前に設置されていたものだろう。新しい狛犬や神使が奉納されたときに、移動したと思われる。しかし、これでは放置されているとしか思えない。何とかならないものか。
大国主命(大黒さん)
敷津松之宮には、摂社として次回に紹介する大国主神社(日出大国社)があるが、敷津松之宮にも、素盞嗚尊と並んで大国主命が祀られている。大国主命は、後に密教の神様である「大黒天」と混同され、習合されていった。
拝殿前には、米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った長者姿の「大黒さん」が置かれている。
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