4月の俳句(2024)
卯の花月
4月の中頃から、庭の「ヒメウツギ」が咲き出した。花の時期は長くて、いつまでも白く可愛い花で目を楽しませてくれる。
芭蕉の『奥の細道』の旅に随行した門人の曽良が、白河の関を越えるときに詠んだ挨拶の句である。元禄2年(1689)4月20日、現在の太陽暦では6月初旬になる。「卯の花」は夏の季語なのだ。
陰暦4月は「卯月」と呼ばれる。卯の花が咲く季節だから「卯月」である。
では、「卯の花」の名前の由来は?
「卯月」に咲く花だから、というのでは堂々巡りになるから、これはダメ。卯の花の枝の中は空洞になっているものが多いので(種類によれば髄が詰まっているものもある)、「空木」と呼ばれている。この「うつぎ」の「う」から来たようだ。
しかし、「うづき」の「う」は、この世界(宇)に新しい生命が「生まれる」「う」でもある。4月はスタートの季節である。
孫たちがこの4月から、それぞれ小学4年、6年、中学2年に進級した。それぞれの「自分」が、日々強く表に現れるようになってきて手強い。
一方自分自身を振り返ってみれば、仕事を離れてから一年が経つ。これといった区切りのない時間が過ぎていくのが、さびしくもある。
8日新学期が始まる。春休みが終わって、ちょっとホッとする。子どもたちにとって、いい一年になりますように。
黄色い花
今年は4月4日が二十四節気の「清明」だった。文字どおり、万物が清々しく明るくなる時期だ。春は桜だけではない。たくさんの花々が一斉に開く。その中で特に目立つのが「黄色い花」だ。
この日、駅まで自転車で出かける途中、須佐之男命神社の駐車場脇を通ったとき、黄色いものが視界に入った。引き返して見ると、オオキバナカタバミだった。
神社で「色」といえば朱色ぐらいしか思いつかないが、この黄色が神社を清く明るくしてくれているように感じる。「清明」の日にふさわしい。
背割堤お花見
5日、高校時代の同級生と誘い合わせてお花見に行く。この季節になると、家の近所でもサクラを楽しむことができるが、本格的な花見となると、つい時機を逸してしまうことが多い。今回はお誘いがあって、いい花見ができた。
行き先は、京都府八幡市の背割堤。「背割堤」とは、2つの河川が合流する場所で、合流をなめらかにするために、2つの川の間に設ける堤防のこと。
この場所では、琵琶湖から流れる宇治川と、伊賀から流れる木津川が合流する。さらにすぐ先で、京都盆地から流れ出た桂川とも合流し、三川合流という珍しい場所である。
背割堤には約220本のソメイヨシノがあり、堤の上に桜のトンネルができる。この日は七分咲き程度だったが、堤の先端辺りは満開だった。
背割堤の北側を流れる宇治川に花見船が出る。約20分のクルーズを楽しむ。
漣
4年生の孫が、漢字の成り立ちの勉強をしていた。漢字には、①象形文字・②指事文字・③会意文字・④形声文字の4つがあるという。
「漣」は、どれでしょうか?
答えは④形声文字。意味を表す「水」と音を表す「連」を組み合わせてある。しかし「連」にも意味がありそう。水が連なるから「さざなみ」じゃないのかな。
大阪中之島美術館で「福田平八郎展」を観た。イチオシの作品が〈漣〉だという。私が行った日は、作品保護のためレプリカが展示されていた。
帰り道、中之島の遊歩道から堂島川を眺める。風が吹き抜けて行く。
上弦の月
最近の子どもたちは、みんな塾や習い事に忙しい。自分が子どもだった頃とは大違いだ。中学2年の孫も、クラブが終わって帰宅すると、そそくさと夕食と入浴をすませて塾に行く。塾が終わって帰る時間を見計らって、ぶらっと外に出る。空を見上げると、上弦の月がやや西に傾いていた。
親子連れらしき2人が後ろからやって来て、やはり月を見上げて、「あれは上弦の月や」と言っている。いま自分も「上弦の月や」と思っていたところだったので、心の中を読まれたような不思議な気がした。
吉田拓郎の、何という曲だったか、その一節がふいに思い浮かぶ。思い出した。確か「旅の宿」だ。
月の話はともかく、夜はまだ冷える。待ち人は帰ってこない。
ふとこんな句が思い浮かぶ。まるで恋人を待つようで、自分ながら笑ってしまう。
散る
咲いた花はいつか散る。ハナモモもヒメリンゴも、はらはらと花びらが枝から離れていく。諸行無常というほど深刻ではないけれど、「春愁」という言葉が思い浮かぶ。
都をどり
祇園甲部歌舞練場で、初めて「都をどり」を観た。『源氏物語』をテーマにして、四季の移り変わりを美しい踊りで表現する。60分があっという間に過ぎていく。花道のそばの座席は、舞妓さんや芸妓さんの表情まで手に取るように見える。
行く春
都をどりの開催は、今日4月30日まで。いよいよ春とも別れを告げる時期だ。このところの天候はやはりおかしい。はやばやと気温25度を超える夏日が各地で記録される。いわゆる「黄金週間」に入り、初夏を実感する日が来るのだろう。
かつてはこの時期になると、運動部の練習や試合付き添いで休みどころではなかった。今は・・・何にもない。平日と休日の区別がないのは、どこかさびしい。
「行く春」といえば、芭蕉の次の句が思い浮かぶ。
惜春、惜別の句である。
ここで〈駄句〉を一つ。
俳句とは呼べない駄作だけれど、実景です。
月末に「人間ドック」に行ってきた。胃の内視鏡検査は数年ぶり。口からカメラを入れる検査だったが、これがきつかった。何度もえずき、知らず涙が横に流れた。惜春ならぬ自嘲の句である。
4月29日は「昭和の日」だった。昭和生まれの自分には「天皇誕生日」というほうがピンとくる。この日、高校時代の同級生が10人集まって、西宮近辺を回るという企画のクラス会があった。「話す・観る・食べる」の充実した一日となった。
午後から暖かな雨が降り出した。遅くに訪れた北山植物園は人もなく、静かに春が過ぎてゆく。