【バトンリレー企画2022】心に残るエピソード『Kの思い出』
チェーンナーさんのバトンリレー企画のバトンが、さいとうT長さんから周ってきました。
▼バトンリレー企画
さいとうT長さんは、シーズー犬の可愛い『おかづ』ちゃん目線のエッセイを洒脱な語り口で投稿されていて、いつも楽しく拝読しています。
今回のエピソードも少し重たい内容ながらも、おかづちゃんの生い立ちや立ち位置が分かる傑作です。
▼シーズーおかづがやって来た!
閑話休題
私は高校時代のエピソードを書こうと思います。
もしよろしければ、学生時代に戻ったつもりでご覧いただければ幸いです。
『Kの思い出』
「おい、おまえ」
不意に呼びかけられ、「はぁ」と応じるのが精一杯だった。
「おまえ、北杜夫読んどるんか」
初対面というのに、何ともぶしつけな物言いではないか。
それが、Kとの出会いであった。
地元の高校に進んだ私は、入学式を終え、クラス分けにより指定された教室にいた。担任到着までの待ち時間、中学時代の友人と取りとめのない話題で時間をつぶしていた。
当時、北杜夫フリークを標榜していた私は、当然のごとくその作品のウンチクを披露していた。
その矢先、Kに呼びかけられたのだった。Kとは今日が初対面。大柄な体躯に横柄な態度。それにコワモテである。
私は気の進まぬままKと対峙した。
「北杜夫は、ほとんど読んどる」と私。
誇張はあるが嘘ではない。『どくとるマンボウ航海記』を始めとして、短編に至るまで手当たりしだいに読んでいた。
「『船乗りクプクプの冒険』は、どうじゃ?」
大柄なKから発せられた、クプクプの言葉が可笑しかった。
「読んどる、面白かった。『怪盗ジバコ』も面白かった」
当時の私は北杜夫作品の中でも、『怪盗ジバコ』が最も好きだった。
「おお、読んどるで」
Kも、かなりの北杜夫マニアのようだ。
それから担任が現れるまでの間、Kと私は北杜夫作品の談義に花を咲かせた。そして私は第一印象とは異なる感情を、同じ北杜夫愛読者のKに抱いた。
大柄なKは少し不器用で、しかも粗暴であった。したがって、教師からは遠ざけられる存在となっていた。また、同級生も敢えてKに近づく者はいなかった。
しかしながら、そのようなことにはお構いなく、私はKと北杜夫作品を熱く語り合った。
『どくとるマンボウ』シリーズ
『楡家の人々』
『夜と霧の隅で』
『さびしい王様』などなど、
短編・エッセイから始まり純文学まで、ありとあらゆる北杜夫作品を読みあさった。そして、作品について意見を交わした。いつしか、お互いの家にまで押しかけて熱弁をふるうようになっていた。
口はばったいが、Kと私は親友であった。大柄なKと痩せっぽちな私。不器用だが気骨のあるKと要領が良く風見鶏な私。もしかしたら、お互い自分に無いものに惹かれたのかも知れない。
そして、高校三年間をKと北杜夫作品と共に過ごした。
そして・・・
この歳になって改めて思うことがある。それは、学生時代は時間が緩やかに流れていた、と。敢えて言い換えるならば充実していた、と。
翻って、昨今はどうか?
感動することがめっきり減った。そして、時間が過ぎるのがとても早い。
人は、月日が経つのが早いとか遅いとか言う。それは、日々感動しているか否かの違いではないか。そして私は今、人生で最も早く過ぎてゆく「時間」の中に身をゆだねているのだろう、と思う。
私の充実した時間。それは、Kと過ごした三年間。即ち北杜夫作品を読み漁った日々なのである。
いまKは精密機器の営業をしている、と風の便りに聞いた。
元気にしているだろうか。不器用なKのことだから、さぞかし苦労しているに違いない、と気遣ってしまう。
そのようなことを思いながら、久しぶりに北杜夫の作品を読んでいる。Kと出会った頃とは趣向が変わったのだろうか、エッセイが面白い。
またKと喧々愕々、意見を交わしたいものだ。
・・・・・
なんてことのない青春のひとコマです。
でも私にとっては、かけがえのない思い出です。
チェーンナーさん、
楽しい企画をありがとうございました。
さて、つぎのバトンは春~と共に🌸さんにお渡しします。
春~と共に🌸さんは短歌を広めた功労者です。
もちろん短歌を詠む人は大勢おられますが、春~と共に🌸さんは、みんなに短歌の面白さを教えてくれました。
きっと素敵なエピソードをご披露してくださると思います(←少しハードルを上げましたw)。
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それでは、春~と共に🌸さん、よろしくお願いします(^^)/