育ってきた時代に刷り込まれてしまった「無意識の偏見」はなかなか直らない
と、ちょっと言い訳がましく前置きしましたが、
今日は(も?)とても攻撃的でネガティブな文章になると思います。気分を害する恐れもありますので、それについては「自己責任」で読んでいただきたいと思います。
わたしが出会った一人の「女」について言及します。
それにはどうしても「わたしの価値観」という偏った見方が入ってしまうことが避けられず、わたしというフィルターを通して見た「女」であるということと認識してください。
彼女はアラサー。
外見を言うと、
背は日本女性の平均的な高さ。
痩せすぎていて、とても華奢である。
肌は色素が薄く透明感のある白さをしている。
顔は凹凸に乏しく、全体的に薄い印象だが、目は切れ長でほんのりと色気を感じる美人と言っても差し支えがない。
ざっとこんな感じです。
内面的なことは、
頭の回転が速く、話が理路整然としている。
自分の価値観が全て。
自分の考えに自信を持っている。
時折理論武装しているのを時々見かけるため、案外メンタルが弱いのかもしれない。
自身の外見に対するコンプレックスが異常なほど強い。
という印象を受けました。
1年ぐらいの付き合いでしたが。
本人曰く、「偏差値の高い高校出身、偏差値の高い国立大卒」らしいです。
彼女とは、初めて知り合って話をした時から違和感を感じていました。
「結婚しているが、料理は一切せずに、インスタントのご飯、味噌汁、お惣菜という食生活」
料理は「できない」のではなくしたくないとのこと。
「子供は可愛いと思うが、自分は一人の人間を育てる責任を負うことができないため、作らないと決めている。」
「週二日パートをし、それ以外の日は好きなことをして一日を過ごしている。」
「体質的にお酒が飲めないために、お酒を好んで飲む人の気持ちがわからない。」
「旦那は同じ大学卒で、大手企業に勤めており、高収入。子供を作らない事については、反論も別になく了承している。」
「アニメ、漫画、声優、ゲームが大好き。」
「さらに、着物が好きで、たくさん所有しており、そして、その着物を保管する専用の部屋が一部屋割り当てられている。」
「趣味に費やすお金に困っていない。」
ここまで来ると、羨ましさを通り越して、
わたしは
「ぽかーん」
状態でした。
彼女と会うたびに、
「旦那が3万のコートを買ってくれた」
「今度旦那が8万の着物買ってくれるらしい」
とか、そんなのばかりでわたしは聞き流していましたが、
「わたしって実感ないんですけれど、多分幸せなんですよね?」
と言われた時、
(ああ、この子は精神的に満たされていないんだ)
と思いました。
そして、他人(わたしですが)の言動には容赦なく自分の価値観に基づく説教をしてきたりして、
わたしは彼女に対してだんだん嫌悪感がつのっていきました。
わたしが子供を作らないのは、「完全なる母性の欠如、子供嫌い」なのですが、
それとは正反対の「子供が大好き」なパートナーとの様々なぶつかり合い、苦悩しながらの妊活、不妊治療、姑のマタハラ、を経てそれでも妊娠に至らず、やっと諦めてもらった経緯があります。
同じ「子供はいらない」
でも、考え方と環境が違うので、気持ちの共有ができませんでした。
彼女はそれがわかりません。
そしてもう限界だなと思った会話がありました。
わたしが
「今は女性の生き方に多様性があって、いいよね」
と何気なく発した言葉に、
「今じゃなくて、昔からありましたよ!」
と言われた時でした。
この「女」は!
日本では「お見合い結婚」が主流で、旦那の両親との同居も当たり前だった時代に生まれ、
常に姑に虐められ、マザコンの旦那が味方してくれる事もなく、離婚も許されず、専業主婦として、独り献身的に毎日毎日「家事」「育児」「旦那の世話」を行ない、果ては「自宅での老人介護」を余儀なくされ、「自分の幸せは後回し」の人生を送った。
そんな「女」たちの屍が所狭しと転がっていることを知れ!!
と言葉にはしませんでしたが、わたしは静かに激昂していました。
その後、彼女とは会うことをやめました。
アラフォー世代の「女」にも、まだまだ時代の縛りがあります。
「長男神話」も田舎に行けば色濃く残っていますし、昭和の「いづれは一軒家」など様々ですが、
アラフォー「男」に、いまお話した「女」のことを話すとだいたい眉をひそめます。
新しい時代の先端を行く「女」としてみれば、彼女は、幸せな「女性の生き方」としてのモデルでいいのかもしれません。
しかし、わたしは「古い」考えもある「女」であることから逃れようがないのです。
旦那さんはよほど素晴らしい人格者で、彼女を溺愛しているのでしょうか?
浮気の心配をしないのは、自分にそれだけ魅力があるって思ってるからなのでしょうか?
どうぞお幸せに。