「デートDV」は歪んだ愛が原因
先日「デートDV」の講義を聴いた。そんな言葉があるのか?と思いながら聴くと、恋人同士の間のDVだという。DVを感じた時点で別れれば良いだけの話かと思ったし、別れる決断ができないのは被害者側にも問題があると思ったが、DV被害によって別れにくく(言い出せなく)なる(精神的に追い込まれる)とのことで、この問題の奥の深さを感じた。
VTRで紹介されたデートDVの事例は、たしかに犯罪レベルのものだったが、その本質は「歪んだ愛」ではないかと気がついた。
「本当(本来)の愛」は相手に尽くし、見返りを求めないものだと思うが、自分の欲求を相手に求める権利があるのが恋人同士だという“勘違い”をしているのではないか。この「歪んだ愛」が広まった(?)背景には、個人主義による孤立化やSNSの溢れる情報の中で苦しんだり快楽主義に走るなど、若者を取り巻く環境の変化があると思う。そういう意味では今の若者たちも被害者であり、大人もその責任を負うべきではあるが、、、。
今回の講義では、問題の解決として「人権擁護」の観点から、相手を傷つけない言い回しや被害者の相談窓口などの説明があったが、「人権」を当事者に考えてもらうより「本当の愛」の姿を考えてもらう方が効果があるように思えてならない。
「愛」に正面から向き合うのは、教育現場には抵抗があるかもしれない。古くから「道徳教育」が行われ、学校では生徒が自ら清掃するなど、諸外国から称賛されている日本社会の良さ(誇り)を今の若者世代に継承するためにも避けて通れないのではと考えます。