標本 8/9
命が続くはずだったものを固めて、今後に繋げていくという営み。
もちろんコレクションとしての評価もあるだろうが、自分は学術的な意味合いを強く持ち合わせるが故に、人が人であるが故に行える行為だと思っている。
昆虫の標本商をしている友人がいる。
たまにイベントの売り子として1ヶ月に1回ぐらいのペースで手伝いを行っている。
世界中様々な場所から1箇所に集まった昆虫は、単体でいる時の不快感を消し去り芸術品としての様相すら見えてくる。尊敬の念が湧いて来るほどに。
命を奪う仕事であり野蛮だと片付けるのはあまりにも短絡的過ぎると思う。
食事をする供犠と学術的な営み行う上での供犠は剥離が垣間見える。
実験をするだなんて何だと思っているのか。命を奪う時はどんな気持ちなのかと聞かれる事は標本屋にとって避けては通れない質問だと彼もいっていた。
だが形として半永久的に残せるものを、どこで採取しどのような学名がついていたのかの価値は本当に大きいものだ。移り変わりをタイムラプスとして見せてくれる自然は我々が丁寧に採取し撮影し形として残さなければ何も見えてこない。
20年先、50年先に自分一人で見える世界は変わってない事などないのだから。
少しだけ興味を持つと足元にある命はずっとここにいたのか疑問が湧いてくる。