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語るために必要なのは語彙では無い。
何か美味しい物を食べた時。
小難しい話を聞いた時。
友達の相談に乗った時。
素敵な芸術に触れた時。
ニュースの政治議論だとか、子供が少なくなったとか社会的なものは勿論だと思うが、何かを言い表す時に自分の言葉が出てこないと「語彙」が欲しいと嘆くことがある。
言葉を知っていれば、自分の考えを言い表す最適なものがあると信じて疑わないし、今こうやってnoteを書いている事も語彙があるから出来る事なのかもしれない。
本当にそうなのだろうか?
動画とポッドキャストでよくゆる言語学ラジオを聴いている。
彼らの動画の中で、
『言語学から考える食レポ。なぜソムリエは謎の語彙を使うのか』#202
と言うものがある。シンプルに言ってしまえばタイトルそのままの事の説明を試みており非常に面白い。
ただ、本当に必要なのは語彙なのだろうかという疑問も一緒に浮かんだ。
結論から言えば、優先順位が高いのは語彙ではなく考え方とその整理の上に語彙が成り立つんじゃ無いか。
よく求める語彙といえば最初に言った通りだが、それも同じように語義が違うように感じる。
語彙とはそもそも何か
《「彙」は集める意》
1 ある言語、ある地域・分野、ある人、ある作品など、それぞれで使われる単語の総体。「語彙の豊富な人」「学習基本語彙」
2 ある範囲の単語を集録し、配列した書物。「近松語彙」
デジタル大辞泉より
つまり単語を知っている量が多い=語彙が多いってなるわけで。
大富豪で手札が多かったからと言っても、スペードの3も8も、その他ローカルルールを知っていたとしても順番を間違えれば勝てない。
なんだったら手札が少ない方が強いし残っている物でさらに順番を考えやすくもなる。
勿論、凄いとかやばいだけで説明ができない。というのは十分に語彙が無いしそれで表現する事もできない。
なんて言う事もあるが、どうして凄いと思うに至ったのかの考える癖が付いていないだけで、他の人の表現を見ればすぐに腑に落ちる事があるのだから、足らないのはやはり語彙では無いように思う。
物事は噛み砕けば厳密さに欠けながらでも大きい意味はキチンと伝わる事があるのを経験値的に知っている人は尚更わかってもらえるんじゃないかな。
物事はグラデーションであって簡単に2つに分ける事ができない中で、自分が上手く言葉にできないのは何も物を知らないからじゃない。
どう考えるかを知らないだけで、吸収すべきは多分他の人の課程にある気がする。
よくいる胡散臭え親父の「何事も経験だよ」はここにも出てくるのか。
やめて欲しいかもしれねえ。