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INTERVIEW.14 須田直子さん

 2023 年より駒ヶ根市の地域おこし協力隊として活動する須田直子さんにお話を伺いました。

ーご出身はどちらですか
 香川県の高松市出身です。高校まで香川にいて、大学は地元から離れ、就職で香川に戻って約4年働き、そこからは県外です。

ー子どもの頃はどんなお子さんでしたか
 どちらかというとインドア派でしたね。読書が好きでした。あと小学5年生から英語塾に通い始めたら英語にハマってしまって。中学で洋楽を聴くようになり、歌詞を訳し始めて没頭しました。マドンナの歌詞を自分で訳したときに、日本のポップスにない世界観に衝撃を受けて、歌詞を知って聴くのとそうでないのとでは全然感じ方が違うっていう体験をしたのが大きかったかもしれない。
 あと、今の仕事につながっているかも?ということで言うと、小学校高学年頃から新聞に入ってくる不動産のチラシが好きで間取り図をよく見ていました。その頃からインテリアに興味はあって、この間取りならこういう家具の配置ができるなって想像するだけで楽しかったです。

ー大学卒業後の社会人時代はどんなことをされてきましたか
 地元に戻り、金融機関に就職しました。そこでの仕事はやりがいもあり充実していたのですが、一度タイに住む友人に会いに行く機会があって、そのときその友人がタイ語も喋るし、英語も喋るしっていう生活をしていたんです。それを目の当たりにし、同じ歳生きてきて、3ヶ国語を操る友人の生活はわたしの生活とはこんなにも違う!って衝撃でした。
 その友人の影響もあったりして、会社を辞めてイギリスへ留学する一大決心をして(笑)。それまでの社会人生活で貯めたお金を注ぎ込んで留学して、英語にどっぷり浸かる生活でした。その後、せっかくこれだけ勉強したんだから英語を使った仕事に就きたいと思って、留学から戻ってからは東京の外資系企業に就職しました。28歳の頃でした。外資系の会社に入って英語を使う日々は人生の中で一番アグレッシブな時期だったかな。元来のきっちりやろうという性格もあり、目標を定めて達成するためにやる。今振り返ると、ものすごく肩に力が入っていたな...(笑)

ー英語が話せることが転機になったんですね
 今の時代、英語が話せる人なんてごまんといますが、やっぱり英語ができることで就職の幅は広がる。あと、母国語で直にネイティブの声が聞ける。本人の話し方、表情、声のトーンをちゃんと見て感じてコミュニケーションがとれるって、世界が広がると思います。

ーそんな須田さんが駒ヶ根に移住することになった経緯を教えてください
 もともと母が量産ではなく一点物の器を選ぶようなところがあって、その影響もあり、わたしもクラフトが好きだったんですよね。都内でもいろんなクラフトの個展に足を運んでいて、そこで出会う作家さんたちが松本や安曇野在住の方が多く、長野での暮らしについて話を聞く機会が増え、そのうちに松本で開催されるクラフトイベントにも通うようになって。そうすると長野にはおいしい野菜を使ったお店やおしゃれなカフェもあり、だんだん長野が好きになり、「いつか長野に移住するかも?」「できたらいいな」ということが頭の片隅に生まれました。それからしばらくしてコロナが始まりました。

ー都会でのコロナ禍はどんな生活でしたか
 毎朝熱を測って、それを出勤時に報告したり、各デスクにパーティションを設置して、さらに座るのは1席空けて離れて仕事をしたり、特に最初の半年くらいは本当にすべての環境が一変しましたね。会社の入っているビルで感染者が出るとエレベーターに「何階でコロナ感染者が出ました」って貼り紙が貼られたりして。

ーそのコロナ禍に色々と考えるきっかけがあった?
 幸い親もまだ元気でいてくれて、好きなことやっていいよと言われていたし、コロナ禍でリモートワークでどこでも仕事ができるなと考えたとき、自分の残りの人生何しようかなと考えました。そのときに 30代の頃に足繁く通っていた長野のいい印象を思い出しました。

ーそこから長野へ
 2023年の1月、東京有楽町にあるふるさと回帰支援センターに足を運びました。もちろんそのときは仕事をしていたし、まだ長野県内でも移住候補先は決まっていませんでした。で、そのときに、そういえばわたしがいつも長野を訪れていたのは春夏だったなと思って。ふるさと回帰支援センターの方からも「移住を考えるなら、冬の長野を体験したほうがいい」と言われ、すぐ翌月の2月に松本へ行きました。イギリス留学の時もそうでしたけど、決めたら行動は早いんです。

ー松本はいかがでしたか?
 その頃はコーヒー店で勤務していたこともあり、5件くらい松本のカフェをまわりました。そのときに仕事ありますか?って聞いたら、そんなにしょっちゅう求人は出ないということや、時給がどれくらいとか家賃のことなど、いろんなことを親切に教えてくれたのが印象的でした。
 ただ、久しぶりの松本は都会すぎると思いました。せっかく地方へ行くのであればもっと郊外がよいのではと。
 その後、東京に戻り、再びふるさと回帰支援センターに行き、その際「地域おこし協力隊」のことを教わり、それからは「地域おこし協力隊」に絞って求人を探し始めました。そしていくつかの求人を見て行くうちに、地方では空き家の課題を抱える自治体が少なくないことを知り、そのとき、子どもの頃に好きでよく見ていた不動産のチラシを思い出したりもして、興味が湧きました。

ーそこからはあっという間に物事が進んで2023年のうちに移住、転職が完了する須田さんですが、実際に駒ヶ根に来て感じた最初の印象はありますか?
 人あたりが皆さんとてもいい。コンビニ、スーパー、ガソリンスタンド、どこへ行っても感じのいい人が多い。
 例えば、駒ヶ根のゴミ袋をコンビニに買いに行きました。よく分からないままチケットだけ握りしめて行ったんです。これ、東京だったらそんなの事前に自分で調べろ!って言われそうな話(笑)。だけどここだと店員さんが親切で、3種類あって、サイズが違うとか、なんてありがたいんだって。友達も知り合いも誰もいないところだけれど、ここでなら生活していけるって思いました。
 あと、中央アルプスと南アルプス、どっちを見ても山があるっていうこの景観が大きなプラスでした。朝、山を見ると元気が出る。車があれば不便さも感じないですし。デメリットということもないですが、強いて言えば、電気代や水道代、ガソリン代が高いところかな。お野菜はいただくし。仕事柄、空き家を見に行った先で、『これ持ってきな』って野菜をもらうことが多いんです。秋になるとりんごを山ほどもらうし。
 シャイな人が多いけれど、こっちからノックすればとても親切にいろんなことを返してくださるなと思います。

ー地域おこし協力隊としての仕事内容について教えてください
 空き家を掘り起こしてくる、つまり空き家を探してくるのがメインの仕事で、特に中沢というエリアに力を入れています。なので街に出て、聞き込みをして、地域住民の方に空き家を教えてもらったり、オーナーさんを探して利活用の意向を確認したり。空き家を空き家のまま放置せず、オーナーさんから話を聞きながら、売ったり貸したりできるのであれば、空き家を必要とされる人につなぐというのがミッションですね。

ーこの仕事の難しさはどんなところにありますか
 最初の2ヶ月くらいは何からどう始めたらいいのか、空き家ってどう探したらいいのかっていう手法が分かりませんでしたね。なので伊那とか辰野とか、既に地域おこし協力隊で空き家の掘り起こしをされている方のところへヒアリングに行ったりしました。室長の松崎さんが、他の自治体へ話を聞きに行くのも選択肢の一つですよと背中を押してくれて。
 あとは中沢には空き家のことも議題に入っている「地域づくり委員会」というのがあって、そこに参加して、自己紹介させていただいて。そこからいろんな情報が入ってくるようになりましたね。

ー空き家を所有しているオーナーさんたちの反応はいかがですか
 空き家をこのまま放置していてはいけないという意識はみなさん持っておられます。でも、オーナーさんも何から手をつけたらいいか分からなかったり、年に数回は帰って来て寝泊まりしているとか、僕はいいけど他の親族がいいと言うとは限らないとか。本当の理由でもあり、どこか理由をつけて腰が上がらないってことが多い気がします。家族が短くない時間を過ごしてきた建物ですから、思い入れもあるでしょうし。
 別の視点から言うと、こんな田舎の家を買ってくれる人なんていないでしょと悲観している人も少なくないです。自分自身(オーナー自身)都会に出ているくらいだから、買う人なんていないでしょっていう。そもそも売れるなんて考えていない人も多いです。だから、いやいやそんなことはないですよって話もしますね。今は古い家をDIYする人たちもいるし、田舎と都会の二拠点生活の人もいるし、そういった昨今の移住の傾向の話もしたりします ね。あとは市の空き家バンクに登録すれば、改修や片付けの補助が出るとか現実的な話もして、活用に向けて具体的なイメージが湧くような話もします。

ー空き家の掘り起こし以外はどんな仕事をされているのですか
 ウェブでの情報発信やイベントの準備ですね。移住スカウトのサイトでは他の自治体のコンテンツで「いいね」がついているプロジェクトの内容や見せ方を観察しています。やっぱり見せ方で「いいね」の数が変わってきたりするので。写真の選び方、言い回しとか、情報量とか、フォントの選び方とか、気にしてみてます。
 あと、情報公開するタイミング。なるべく早めに企画して早めに載せることで告知期間を長くする。やっぱりみなさん忙しいところわざわざ時間を割いてイベントに来てくださるわけだから、検討期間が長いに越したことはないので。

ー今後の展望は?
 営利を追及する民間企業とは違っていわゆるノルマはない仕事ですし、個人の想いが詰まった家を扱うので、こちらの都合で結論を急かさないってことは意識しています。
 あとは例えば、移住相談員の同僚は移住検討中の方の進捗管理をしっかりされていて、適度な距離感を保ちつつ、2、3ヶ月したら「その後どうですか?」と声がけするとか、そういう人付き合いのペースを参考にもしています。
 任期は3年。残り2年あっという間だと思いますが、わたしの顔と名前を覚えてもらえて、空き家と言えば須田!市役所!と思ってもらって(笑)、空き家の情報が集まってくるようになればいいなって思います。

須田直子 Suda Naoko
香川県高松市出身。大学卒業後、イギリス短期留学を経て上京し、外資・国内の複数企業で主にアシスタント職を経験。
「幅広いエリアで移住を検討し、最終的には直感で駒ヶ根に決めましたが、その直感は正しいでしかなかった!これからも空き家と地域と移住者を繋いでゆきます。」

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