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二人組声優ユニット「ゆいかおり」はどのようにスペシャルだったのか:活動休止発表から7年の今だからこそ語りたいゆいかおりの魅力

はじめに:あなたは「ゆいかおり」を知っているか?

あなたは「ゆいかおり」を知っているか?

この問いから始めなければならないのが本当に残念でならない。しかし、この問いから始めなければならない。この記事は、ゆいかおりのことを知っている人だけではなく、いやむしろ、ゆいかおりのことを知らない人に向けて書かれているからだ。この記事では、ゆいかおりの魅力を紹介していきたい。

ゆいかおりのことを全く知らない方は、以下のベストアルバムの宣伝動画が過去のMVをまとめたものになっているので、まずはこれを一度見てから読み進めてほしい(ゆいかおりのファンの中には、このアルバムのタイトルを見ると頭が痛くなる人もいるだろうから、そのまま読み進めてくれて構わない)。

ゆいかおりとは何者か?

「ゆいかおり」は、小倉唯(ゆい)と石原夏織(かおり)の声優二人からなる声優ユニットである。2008年9月7日の「HAPPY! STYLE Communication Circuit 003」のオープニングアクトで「にひえへ」(「にひにひ」と笑う唯ちゃんと「えへへ」と笑う夏織ちゃん、が由来)として初めてパフォーマンスを行ったのち、2009年9月26日発売の「3 flavors only」に収録された「恋のオーバーテイク」(「ゆいかおり」名義)を経て、 2010年5月12日発売の「Our Steady Boy」でメジャーデビュー。その後、日本武道館(2016年3月12日)や代々木第一体育館(2017年2月11日)でのライブも経験したのち、2017年3月31日に活動休止を発表、2017年6月30日をもって活動を休止した。来週で活動休止発表から7年になる。

「そこそこ売れていた声優ユニット」?

以上の紹介を読んで、どういう印象を持っただろうか?「そこそこ売れていた声優ユニット」?武道館や代々木第一体育館で単独ライブができたのだから、「そこそこ」ではなく「かなり売れていた」という評価になる人もいるかもしれない。実際、女性声優としては水樹奈々や田村ゆかり、(メディアミックス系を除いた)女性声優ユニットとしてはスフィアのように、ゆいかおりよりも大きな会場でライブをしていたアーティストもいるので、「トップ」というわけではないが、「売れていた」部類だと言っていいだろう。

「そこそこ売れていた」ので、ファンも少なくなかったし、アニソン界の夏フェス的なイベントであるAnimelo Summer Liveには2012年から2016年まで5年連続で出演していたので、ファン以外のアニソンファンの間にも一定の認知度があっただろう。それが活動休止をして、今では7年が経とうとしている。現在では、ファンだった人たち以外には、「ちょっと前に、そこそこ売れていたゆいかおりっていう声優ユニットがいたよね」「あー、いたねえ」と思い出す人がいたり、「ウマ娘/プロセカの小倉唯ちゃんって昔ユニットやってたんだ!」とゆいかおりに辿り着く若い人がいたりする、そういう存在になっているのではないだろうか。

今、改めてゆいかおりについて語りたい

この記事では、ゆいかおりについて改めて語りたい。ゆいかおりとしての活動を2013年途中から約3年半程度追いかけていた(こう改めて計算してみると、自分がゆいかおりを追いかけていた期間が思いの外短いと感じる。それほどに濃い時間だった。)ファンとして、ゆいかおりがどう素晴らしかったのかを、ゆいかおりを(よく)知らない人に伝えたい。言ってしまえば「推しの素晴らしさを語る」というやつである。

ゆいかおりはどのようにスペシャルだったか

それぞれ異なる魅力のある二人の声のハーモニー

まず、声に触れたい。小倉唯と石原夏織の二人は、それぞれに特徴的な魅力のある声の持ち主だ。唯一無二と言ってもいい(「小倉唯はわかるけど、石原夏織の声が唯一無二?水橋かおりがいるじゃん」と思ったあなたはこちら側の人間なので黙って続きを読んでください)。

この二人の声が、どちらかがもう片方に埋もれてしまうことなく、しかし衝突することもなく、噛み合っていたのがゆいかおりというユニットだった。小倉唯は元々自分の声があまり好きではなく、声優志望でさえなかったそうだが、その声に魅力があるんだということを周囲のサポートもあって本人がやがて自覚し、その個性が殺されることなく育っていったこと、それに負けない魅力的な声質を持つ石原夏織という存在が共にあったことは奇跡だと思う。

しっかりとしたダンスパフォーマンス

声優ユニットにはダンスが付き物だが、ゆいかおりはダンスもしっかりしていた。それも当然、ゆいかおりは「売れている声優を組ませて歌ったり踊ったりさせてみました」というユニットではなく、最初から歌って踊る存在として生み出されたからだ。

ゆいかおり誕生の経緯については、所属事務所スタイルキューブの社長たかみゆきひさ氏の著書『アイドル声優の何が悪いのか? アイドル声優マネジメント』第2章に詳しいのでそちらの参照を乞いたいが、小倉唯と石原夏織は二人ともハロー!プロジェクトで有名なアップフロントのオーディションの声優枠にその出自を持ち、歌って踊ることが最初から織り込まれていたのだ(特に、先述の通り、小倉唯は元々声優志望でもなかった)。二人は身長もほぼ同じ(石原夏織の方が少し高い)で、二人組ユニットとしてのダンスは非常に映えるものがあった。後述のように二人はキャラクターが異なる部分があるのだが、ストイックな小倉唯が見せるキレキレでかわいさのイデアのようなパフォーマンスと、普段は天然系な石原夏織がステージ上で見せる艶やかな表情やダンスの組み合わせは魅力満点だった(この二人の特徴はそれぞれのソロでも一貫している。ぜひライブで確かめてほしい。)。

※上記の書籍の一部を抜粋した記事もある。

※筆者はダンスは素人なので(いや何の玄人でもないですが……)、小倉唯と石原夏織のダンス(それぞれのソロ)についてREAL AKIBA BOYZが語っている動画も貼っておきますのでそちらも見てみてください。

最初期から共に歩んできた二人の関係性

前述のユニット結成の経緯にも関連するが、ゆいかおりの声優ユニットとして特異な点は、キャリアの最初期から二人で歩んできたということだ。小倉唯には子役として芸歴もあるが、2008年9月の「にひえへ」としてのパフォーマンスの時点で小倉唯(1995年8月15日生まれ)は中学1年/13歳、石原夏織(1993年8月6日生まれ)は中学3年/15歳と、声優としてのデビュー以前からユニットとして活動してきた。ゆいかおりは、二人にとって単なる「一緒にやっているユニット」以上のものだったと思う。石原夏織も、のちにインタビューで以下のように語っている。

──学校に通いながら、それだけの活動をされていたわけですもんね。想像するだけですさまじいです。
石原:
でも、一緒にやっている唯ちゃんも同じ境遇だったので「一緒にがんばろう!」と支えあえたんです。それができたのは、やっぱりあのふたりだったから。
 「なるべくしてなったユニットだ」って、そんなところからも感じていましたね。
(中略)
石原:
正直、ゆいかおりとしてのアーティスト活動が止まったあと、ソロデビューするとは全く思っていなかったんです。ソロデビューのオファーをいただいて、初めて事務所のみんなと「えーっ!? どうする!?」って話したぐらい、自分の中にソロでやるイメージがなかったんです。
 それほど自分のアーティスト活動には、小倉唯ちゃんの存在が大きかったんです。歌って踊ることも、がんばれたのはふたりだったから。

「石原夏織「ゆいかおり」は“なるべくしてなったユニット”だった。活動休止から5年経ってはじめて語られる「ファンへの感謝」と「小倉唯との歩み」【人生における3つの分岐点】」

ユニットとしての活動にも、この二人の関係を前面に押し出すような部分があった。ラジオ番組などでもしばしば「シンクロチャレンジ」という企画が行われていたし、楽曲の歌詞でも繰り返し二人の関係性にフォーカスが当てられていた。以下にそれらの歌詞を引用する。

幸せになる(Are you happy?) 競争してる いつも(I'm happy)
つらい事も こわい事も平気 二人ならば
手首のシュシュ おそろなキュートなpink 気分上昇でsing
覚えたての歌を どちらからともなく歌ってハモっちゃう

こんなふうに 今すぐに 広まるといいな
双子みたいなシンクロニシティ
そこのあなたと、きみと 心をひとつにしたい
もっともっと 近くにいてね(come come…Join us)

ゆいかおり「Our Song」(作詞:大森祥子)

携帯機種(けいたい) バッグのチャーム オーダーのティーも
すべてかぶるふたり
同じ人好きになったのも きっと偶然じゃないね

一番憎らしく いとおしい存在かもしれない
誰よりもライバルで どっか自分みたいで
嬉しいことも悲しみも 一緒に感じ憶えてく
急いでも正解(こたえ)はない アイ探し始めた私達

ゆいかおり「ふたり」(作詞:大森祥子)

不安で足が止まった時も
手と手繋いで 笑ってうなずく
誰も知らない 誰も覗けない
これからも二人の 秘密

カナリア 君の歌が 心動かしていく
うつむいてた日々が嘘のように
カナリア 君がいれば 明日へ羽ばたいていける
きっとずっと 二人ならそう大丈夫

ゆいかおり「カナリア」(作詞:服部祐希)

キミと行こう 駆け上がるよ Next Stage
ギュッとギュッと ハートで手をつなげば
向かい風さえ みかたになるね ドキドキもシェアしてゆこうよ
初めてより もっと先の初めてへ
翔ぶ瞬間(とき)には 絶対ユニゾン「せーの!」で
キミも私も キセキ並べよう
し・た・よ、今! I Promise You!!
か・な・え、かなうよ! Promise You!!

ゆいかおり「Promise You!!」(作詞:大森祥子)

ライブやラジオ、特番などで見せる二人の姿からも、二人の関係性の特別さがしばしば感じられた。もちろん、それも「パフォーマンス」の一部であると突き放すことも可能だし、本当に二人の間にどのような関係が結ばれていたのかをファンに過ぎない自分たちが知ることはできない。二人の本当の関係性をファンが勝手に想像して投影することは暴力的でさえあると思う。それは二人だけのものだからだ。しかし、どこまで「二人の本当の関係性」を反映していたかはともかく、ファンに対して提示された二人の関係性というものがあったことは間違いなく、これを魅力の一つとして語ることは許されるだろう。以下、「二人の関係性」と言った場合にはファンに対して提示されたそれを指す。

ゆいかおりの二人の関係性は、いわゆる「百合」ではなかった。確かに、そういう要素を感じさせる場面が全くなかったわけではなく、そういう楽しみ方をしているファンもいただろう(このことに問題があったと考えているかどうかについてはこの場では書かない。関係性をファンが楽しむということ自体を含めたこの辺りの論点については、香月孝史・上岡磨奈・中村香住編『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』、とりわけ第1章の香月孝史「絶えざるまなざしのなかで - アイドルをめぐるメディア環境と日常的営為の意味」、そして上岡磨奈『アイドル・コード』の「Code 2 映されるセクシュアリティ - 異性愛主義の中のアイドル」をご一読いただきたい)。しかし、二人の関係性の一番の魅力はそこにはなかったと筆者は考えている。

ゆいかおりの二人は、感性や背格好の似た「双子」であり、一緒になってプロとしてのパフォーマンスを生み出す「戦友」であり、中学生時代から大学卒業付近までのまさに青春時代(ゆいかおり活動休止発表の際、石原夏織も「青春時代をゆいかおりとして過ごせたことを幸せに思います」と語っていた)を共に過ごした「親友」であった。

ただ、小倉唯ちゃんと同じ高校に通っていて、一緒に収録やインタビューなどの現場へ行っていたので、2人で歩いている時間が多かったんです。そうやって一緒に下校しているタイミングが私にとって「青春」だったのかなと思います。現場に入ってしまえば正直青春という感じがしないというか、いまも同じような動きをしているので、やっぱり下校時が青春だったかなって。

「石原夏織さん 11thシングル「Paraglider」インタビュー|ソロアーティストデビューしてからの5年間は「すごく自分と対話した5年間」。次の5年後に向けて“あること”を実行中!?」

嬉しいことも苦しいことも共に経験し、お互いのことをよく理解し、信頼しあっている二人が、一緒になって笑ったりスタッフに甘えたりしたかと思えば、ピッタリ揃ったダンスを見せ、個性のある歌声でハーモニーを奏でる。ライブのMCなどは必ずしも巧みではなかったが、そうした深い関係性の二人が生み出す楽曲、ライブでのパフォーマンス、ラジオ等での姿は、第三者の闖入を許さず、この二人をずっと見ていたいと思わせるものだった。

二人の関係性が紋切り型でなかったのも良かった。石原夏織の方が小倉唯よりも2歳年上なのだが、小倉唯が「しっかり」しているのに対して、石原夏織はしばしば「ポンコツ」と言われる(高橋美佳子のWebラジオ「美佳子@ぱよぱよ」の2023年6月17日に開催された公開録音で「みんなが思っているよりも色々考えている」と語っており、それはそうなのかもしれないが、根本的に天然なのだ)ように、石原夏織に対して小倉唯がツッコミを入れるという場面も多かったと思う。しかし、時には小倉唯が年少者らしく甘えたり、石原夏織がお姉さんムーブを取ろうとしたりする場面もあったし、同級生のような関係で一緒になってスタッフにいたずらを仕掛けたりはしゃいだりするなど、見る者を飽きさせなかった。

前述のたかみゆきひさ氏は、著書のなかで、ゆいかおりの後輩に当たるユニット「Pyxis」の伊藤美来と豊田萌絵を題材に「秀才タイプ」と「天才タイプ」という話をし、タイプの違う二人が組むことに意味があると語っている(伊藤が秀才タイプで、豊田が天才タイプだそうである)のだが、この話の末尾でゆいかおりについては小倉唯が秀才タイプ、石原夏織が天才タイプだとしている。これはファンとしてもなるほどなと思う話で、小倉唯はとにかくストイックな頑張り屋さん、石原夏織は(努力していないなどというつもりは一切ないが)飾らずに自分らしくしていることで周りを惹きつけるタイプ、という印象がある。このタイプの違いも魅力であった。

なお、「二人組ユニット」というのはゆいかおりに限らず下火らしい。以下の記事に二人組ユニットの魅力の所在も含めて書かれているのでぜひ読んでみてほしい。ゆいかおりにも「声優アーティスト界にはゆいかおりという出色の2人組がいた」と言及されている。

なぜ、いつまでもゆいかおりについて語っているのか

さて、長々と(本当に長くてすまない)ゆいかおりの良さを語ってしまった。少しでもゆいかおりに興味を持ってもらえただろうか?途中に挿入していたMVやライブ映像は見てもらえただろうか?

え?「いつまでゆいかおりの話をしてるんだ」だって?

なるほど、現在は、女性声優ユニットというカテゴリに限っても、TrySailがいて、DIALOGUE+がいて、harmoeがいる(そういえば、petit miladyのTwitterが久しぶりに動いたのはなんだったんだろう)。メディアミックス系のユニットも盛り上がっている。声優ユニットが好きなのであれば彼女たちを追いかければいいのであって、もう活動していないユニットにわざわざ言及する必然性はない。活動休止から7年も経つのだから、ゆいかおりが忘れられていくのは仕方のないことかもしれない。

流行り廃りのなかで忘れられていく、だけの存在?

本当にそうだろうか?流行り廃りのなかで忘れられていく、ただそれだけの存在だったのか?いや、そうではない、そうであるべきではない、と言いたい。ゆいかおりはスペシャルな存在で、「いま人気の声優ユニット」という枠から「ちょっと前に人気だった声優ユニット」という枠に移り、次第に忘れられていく、そんな存在であってはならないと思うのだ。

だから、ゆいかおりがいかにスペシャルであったかを語ったのだ。そうすることで、ゆいかおりを知らない人に「そういうユニットがいたんだ」と思ってもらったり、ゆいかおりを知っていた人に「あー、ゆいかおりいたなぁ」と思い出してもらったりして、楽曲を聴いたり(2024年3月現在、ゆいかおりの楽曲がサブスクで聴けないのが本当に残念だ。記事中に挿入したもの以外にも、YouTubeの公式チャンネルに過去のライブ映像やMVが残っていたり、iTunes Storeなどでデジタル音源が買えたりするので、興味を持った人はぜひ確認してみて欲しい。)、SNSに書き込んだりするきっかけになれば嬉しい。

なお、これは筆者がゆいかおりのファンだからゆいかおりのスペシャルさを語りたいということであって、ゆいかおり「だけ」がスペシャルであったということを言いたいわけではない。筆者はゆいかおり以外の声優ユニットを追いかけていたわけではないから、そんな主張ができるはずもない。以上で語ったゆいかおりの素晴らしさの中に「それは〇〇も同じじゃん」と思うところがあったとしたら、そうなのかもしれないとしか言えない。筆者が伝えられるのは、「ゆいかおりは筆者にとってスペシャルで、それはきっとゆいかおりのこういう特徴のためで、その特徴を知ってもらえばあなたの目にもゆいかおりがスペシャルなものとして映り始めるかもしれない、それを期待したい」ということだ(したがって、筆者の個人史におけるゆいかおりの位置付けはこの文章では捨象された。そこは筆者にとってだけのゆいかおりのスペシャルさだからだ)。

もし、読者の中にpetit milady、every♥ing!、やまとなでしこ……などのファンがいらっしゃったら、彼女たちがいかにスペシャルだったかをぜひ聴かせてほしい。筆者が言いたいのは、それぞれのユニットがスペシャルだったはずで、そのスペシャルさは流行り廃りで消え去るものではなく、「今はもう〇〇の時代だよ、いつまでゆいかおりの話してんの」と言われる筋合いはないということだ。別に最近のユニットを否定したいわけじゃない(筆者が二人組声優ユニットを見るといつもゆいかおりのことを想起して悲しくなってしまうのは別の話だ)。最近のトレンドについていけない老いたオタクだと言われたらまぁそうかもしれないが、流行を追うだけが正義じゃないだろう?

なぜいま、ゆいかおりについて語るのか

というわけで、ゆいかおりのスペシャルさについて語ってきたわけだが、なぜ「今になって」ゆいかおりについて語るのかという問いに答えておきたい。ゆいかおりの活動休止発表から7年が経つ今のタイミングになぜわざわざこんな文章を書いているのか?これは書き手側の事情の話であるから、この記事の本筋とはずれてしまうのだが、ゆいかおりというユニットにまつわる重要な事情も絡んでくるから、ここで言及しておきたい。

突然の活動休止・与えられなかった最後の舞台

ゆいかおりは、前述の通り日本武道館や代々木第一体育館でのライブを経験しながら、2017年3月31日に活動休止を発表した。この活動休止は、あまりにも急だった。まさに青天の霹靂であった。代々木第一体育館でのライブ(ライブツアーの千秋楽公演)が2月11日で、これがそれまでのライブ会場よりも一段階スケールがアップした会場でのライブだった。このライブでも、活動休止するという雰囲気はなく、3月22日発売のコンピレーション・アルバム「AKIBA'S COLLECTION」に収録された「B Ambitious!」も披露していた。

(営業的に伸び悩んではいたのかもしれないが)人気が下り坂だったわけではないなかで、突然の活動休止発表、しかも活動休止前の最後の舞台を用意されることもなく、文化放送で放送されていたラジオ「ゆいかおりの実♪」の最終回が実質的なお別れの場となった(公式Twitterアカウントも以下に掲げるラジオ放送の告知を最後に更新停止となった)。

おそらく多くのゆいかおりファンにとって、急な活動休止発表はショッキングな出来事で、しかもその動揺に一定の区切りをつける機会もないままに、ゆいかおりは活動休止してしまった。特に、石原夏織を応援していたファン(筆者もその一人である)にとっては、当時ソロアーティスト活動をしていたのは小倉唯だけであったので、喪失感が大きかった(全員が表舞台から去るタイプの解散・活動休止もあるし、「声優」ユニットであるがゆえに音楽活動が止まっても声優としての活動が続くという点では救いがあったとも言えるが)。落ち着いて「ゆいかおりって良いユニットだったよね」と振り返る気にはとてもなれなかったのだ。 2017年6月21日に同時発売されたベストアルバム「Y&K」と最後のライブツアーの映像化作品「Starlight Link」も、筆者は1年半経ってからやっと購入できたほどだった(「Starlight Link」を開封して鑑賞できたのはさらに数年後である)。

持続する喪失感

その喪失感は、筆者の場合、石原夏織が2018年3月21日にソロアーティストとしてデビューしても、拭い去ることができなかった。今でも忘れられないのは、石原夏織の1stライブである2018年12月29日の「Sunny Spot Story」昼公演に参加したときに感じた寂しさだ。ゆいかおり活動休止前からあれほど待ち望んでいた石原夏織のソロデビュー、その後の初めての晴れ舞台であったのに、筆者は「なんでキャリさん(石原夏織の愛称)の隣に唯ちゃんがいないんだろう……本当に見たいのはこのステージじゃない……」と思ってしまっていた(全く楽しまなかったわけではない)。

その後、石原夏織は順調に音楽活動を展開していったが、筆者は(仕事で気持ちの余裕が失われていたことや、転職などもあり)いつしか新曲を聴くこともライブに行くこともなくなってしまった。我ながら本当に酷い話だと思うし、石原夏織のファンとしての活動を再開して1年経った現在でも引け目に感じている。だが、それだけ筆者にとってはゆいかおりというユニットに意味があり、その突然の活動休止の衝撃が大きかったのだ。

ゆいかおりのファンだった人たちがいつまで経っても(?)ゆいかおりの活動再開を願ってSNSに書き込んだり、シークレット枠でゆいかおりが出るんじゃないかと疑って毎年アニサマに足を運んだりして、「ゆいかおりの亡霊」などと言われてしまいがちなのも、こういった事情によるところが大きいだろう。もし仮に、活動休止発表後にお別れの場としてのライブが開かれ、最後の勇姿を最後の勇姿として目に焼き付け、きちんとありがとうと伝えられていたら、ここまでゆいかおりのファンがゆいかおりを引きずることはなかったのではないだろうか。

Google検索のサジェストにも現れる「ゆいかおりの亡霊」

活動休止発表から7年、石原夏織ソロデビューから6年経って

こうして、いつしかゆいかおりのことを意識することもなくなった筆者だったが、2023年1-3月に突如として石原夏織のファンとして復活することになる。経緯は省略するが、復活できた事情としては、ゆいかおりの喪失感が6年という時間の経過によってだいぶ和らいだことと、石原夏織のソロアーティストとしての活動の蓄積で、2018年12月に自分が感じた「これじゃない」感を塗り替えてくれたということが大きいだろう。

4年間追いかけていなかった石原夏織のパフォーマンスにはしっかりとソロアーティストとしての個性が確立され、「ゆいかおりの石原夏織」から「ソロアーティスト石原夏織」になっていた。音楽としてもゆいかおり時代とは異なる様々な曲があり、筆者に「刺さる」曲も増えていた。ファンとの関係性も、ゆいかおり(の、筆者の知る2013年以降の)時代の「二人の作る世界を外部から鑑賞するファン」という構図から、「“心の距離”が近いアーティスト」というアーティスト像を踏まえたより相互性のあるものに変わっていた。楽曲作りにもそれが表れている。

そして、2023年8月6日、石原夏織の30歳の誕生日に開かれた「石原夏織 5th Anniversary Live -bouquet- 」で、筆者は「キャリさん派の栽培係(※ゆいかおりのファンのこと)」をやっと卒業できたと感じたのだった。ゆいかおり時代にはなかった生バンドでの歌唱、5年間の間に積み重ねてきた多様な楽曲、気合の入ったハードなダンスパート、会場との一体感。ソロアーティスト石原夏織はこういうものだ!というのを存分に見せてくれるライブだった。

そういうわけで、ようやっとゆいかおりについて落ち着いて書いてみようと思えるようになったのだ。今はもう、石原夏織のソロのライブに行っても、小倉唯のソロのライブに行っても、ゆいかおり時代の影を追ってしまうようなことはない。ソロとしてのパフォーマンスを存分に楽しむことができる。そうであるならば、ゆいかおりについても、読者に「まだ現実を受け入れられていない昔のファンがなんか言ってるな」とそれほど感じさせずに語れるのではないかと思ったのだ(この試みが成功したかどうかは読者の判断に委ねるほかない)。

おわりに:ゆいかおりが活動していない時代に

10,000字を超えたこの記事もそろそろ終わろう。

ゆいかおりは今はもう活動していないが、その楽曲を聴くことやMVやライブ映像を見ることは今でもできる。CDや円盤を買い集めることもできるだろう。また、ゆいかおりのファンだった人たちは小倉唯・石原夏織それぞれのソロのファン(あるいは両方のファン)であり続けている人も多いので、SNSを探せばゆいかおりのファンは簡単に見つけられる。ゆいかおりについて書き込めばきっと反応がくるだろう。今からでも、ゆいかおりというユニットを楽しむことはできる。

「そうは言ってももう新規供給ないんでしょ」という方は、筆者と一緒に石原夏織の活動を楽しもう。4月24日に新作アルバムが発売されるし、6月-7月にかけてはライブツアー(大阪・愛知・神奈川・東京)も開催される。アルバムを予約購入すれば、先行抽選に今からでも申し込むことができる(2024年3月27日締切)先行抽選は締め切られたが、まだチケットを手に入れる機会はあるはずだ。ちなみに、千秋楽の東京公演は生バンド編成だ。公式アカウントをフォローしておけば最新情報が手に入る。

もちろん、小倉唯を推してくれてもいい。小倉唯も石原夏織と同じ4月24日に新作シングルをリリースする。小倉唯はウマ娘などのメディアミックス作品にも複数参加しているから、今後も供給には事欠かないはずだ。また、MAQUIAが選ぶ「フェイスオブザイヤー2023」に選ばれるなど、美容方面の仕事や美容に関する発信も増えているので、美容に興味のある人にもおすすめだ。

そしてもちろん、ゆいかおりは完全に消滅したわけではないことも忘れてはならない。「ゆいかおりの実♪」最終回での石原夏織の発言、「私たち二人が揃えばゆいかおりですので!」にもある通り、小倉唯と石原夏織が元気でいる限りは、いつだってゆいかおりがまた見られる可能性があるのだ。仮にもう活動する可能性がないとしても過去の楽曲やパフォーマンスを楽しむことはできるのに、我々にはまたゆいかおりに会える可能性すら残されているのだ。その幸せを噛み締めて、二人の健康を祈りながら、ゆいかおりの、小倉唯の、石原夏織の見せてくれるものを、今できる限り精一杯楽しめばいい。

かつて、「そして、僕らはゆいかおりに夢を見る。」というキャッチコピーを表紙に掲げた雑誌があった。この号が発売されたのは2015年8月だから、武道館公演が追加公演として行われたツアー「RAINBOW CANARY!!」を控えていた頃だ(2015年8月時点では武道館公演は未発表)。まさに上り調子で勢いがある時期だったことがコピーにも表れている。この1年半後には活動休止が発表されるのだから残酷なものだが、筆者はこのコピーが今でも大好きだ。他ならぬ自分も、この頃のゆいかおりに夢を見ていたからだ。どこまでも大きく羽ばたいていってくれそうな期待感があった。活動休止してしまった今はもう、ゆいかおりに夢を見るということは難しい。しかし、あの頃の僕らが見ていた夢は、まだ醒めていないように感じるのだ。繰り返しにはなるが、ゆいかおりをリアルタイムで追っていなかった人には、ぜひゆいかおりのライブパフォーマンスを円盤等で見てみてほしい。もしかしたら、同じ夢を見ることができるかもしれない。(終)

「そして、僕らはゆいかおりに夢を見る。」(B.L.T. VOICE GIRLS Vol.23)



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