二重犬格かと思ったけど
先日、子犬が長女を噛んでしまった。
遊びや興奮の延長上にある甘噛みではなく、攻撃することを目的とした、俗に言う本気噛みというやつだ。
ここ最近では子犬も随分と落ち着いてきたように感じていた矢先の出来事だったため、結構なショックを受けた。
これまでも既に何度か攻撃的な態度で家族全員一度は噛まれたことはあったけど、今回のケースは少し異なる。
長女の左手首には、はっきりと痣が残るくらいに強く噛まれた歯形が残った。これまでは噛まれたとしても数時間、もしくは翌日にはどこを噛まれたのかすらわからなくなってしまう程度のものだった。
子犬を迎えた当初から最も懸念していたことがこうして現実に起きてしまい、落ち込んだ気分を少し引きずっている。
状況を振り返ると、私が風呂からあがると子犬は食餌を終えた直後で、まだ少し食べ足りない様子だったため妻がフード皿に追加分を継ぎ足し、それを食べ終えたあとの出来事だった。
使い終えたマスキングテープを、元の置き場である棚の引き出しに長女が戻そうとしたとき、事件は起きた。
以前の記事にも書いたが、子犬の定位置であるサークルはリビングのメインスペースに設置してあるため、生活に必要な物品のほとんどがサークルの周囲に置いてある環境になってしまっている。
問題の棚の位置はサークルの端から数十センチくらいしか離れていないため、子犬の間合いに入ってしまう距離感となる。
引き出しの取っ手を掴むため、伸ばしかけた長女の左腕がちょうどサークル端の上空部と僅かに重なったとき、食餌を終えた直後の子犬が激しく吠え立てたかと思った次の瞬間、飛び掛かるような恰好で長女に咬みついた。
私はすぐ後ろでその状況を見ていたのだけど、あまりにも咄嗟の出来事だったためすぐには反応出来ず、また、これまでのように噛んだとしても歯を当てる程度のものか、もしくは服の袖にだけ咬みついているのかと思い、様子を伺った。
しかし、噛まれた傷跡は先に述べた通り、これまでにはなかったはっきりとした攻撃の意思を感じるような痛々しいものであった。
長女の手から口を離した子犬に対し、私は平静を装い、静かに諭すように叱ってみたが、それでも長女に対して威嚇するように吠え立てたことと、妻から”叱って”というサインが出ていため、少し迷ったが子犬を怒鳴りつけ、続けざまに頬を叩いた。
加減して叩いたためか子犬は全く怯むことなく、今までに見せたことのないような怒りの表情を私に向けて激しく吠え立てる。まさに、もののけ姫でいうところの"黙れ小僧"的な表情である。
そのまま私と子犬はしばらく睨み合い、ほどなくしてその場は一旦収束した。
上着越しに咬まれたにも関わらず長女の傷は思っていたよりも深く、幸い病院に行くほどではなかったものの、長女は皮膚に色素沈着しやすい体質のため、傷跡はこれから先も残ってしまうことだろう。
痛みはさほど感じなかったと言いつつも、愛犬から攻撃を受けたことにショックを受けたようで、普段滅多に泣く事のない長女が、この日珍しく泣いた。
私は、もしも我が子が理不尽な目に合って傷つけられたならば、場合によっては相手のところに乗り込んで抗議するくらいのモンスターペアレントになる底力を秘めている人間であると自負している。(いまのところそのような状況に陥ったことはない)
今回の咬傷事件については、たとえ動物側の立場であればテリトリーを冒されたという主張であったとしても、怪我を負わされた人間側からの立場からすれば理不尽なことこの上ない話である。
普段から子犬に対しては可能な限りストレスを与えないように心掛けている私ではあるが、この時ばかりはさすがに頭に血が上り、ここには到底書けないような罵詈雑言をネチネチと子犬に対して浴びせかけた。
子犬としても相当なストレスを受けたのだろうと思う。
お気に入りのおもちゃのボールを、かつてないほどに嚙みちぎって破壊し、中身のスポンジを引きずり出してそのほとんどを食べてしまった。(翌日の排泄物に大量のスポンジとゴムが混じっていた)
叱ることの難しさを改めて実感したが、威圧や体罰による支配的な躾では根本的な問題解決にはならないという教訓を、身をもって知る経験となった。
縄張り意識の強い子犬の特性を充分に踏まえた上で、対立してしまうような状況を作らないことが重要なのだろう。
この騒動のあともしばらくは不穏な空気が漂っていたが、私たちが夕食を食べ始めると、先ほどの出来事はまるで何もなかったかのような態度で、子犬はいつものように甘えた声で私との触れ合いを求めはじめた。
普段はそんな要望に都度応えている私であるが、そもそもの気質としてスパッと感情の切り替えが出来るような性分ではないため、甘やかさないような態度を貫こうとした。
しかし、あっさりと根負けしてしまった私は、食事の手を止めサークル内に入り胡坐をかいて座ってみると、そこに待ってましたとばかりに子犬は飛びこんできて、私の股の間にスッポリと収まった。
先ほどの鬼の形相の子犬とは同一人(犬)物とは思えない程の変わりようで、これが人間であれば確実に二重人格、あるいは多重人格者として周囲の人たちから認知されることだろう。
パピー期から度々見られるこの豹変っぷりに、当初は脳に問題があるのではないかと勘ぐってみたりもしたが、結局のところこれは相手によって態度を使い分けているのだろう。
何かを守っている最中に妻や娘たちを威嚇してしまうようなシチュエーションであったとしても、私に対しては攻撃的な態度を示すことはほとんどない。
子犬の世話のその大半を私が担当していることによる弊害が、ここにきてより顕著に出てきてしまっているのかも知れない。
このような態度の使い分けは、他所の犬やその飼い主に対しても同じように当て嵌まる。
子犬なりに、なにかしらの線引きをしているのだと思うが、その線引きの基準は、なんとなく分かるようになってきた気がする。
そんなことを思いつつ、妙に長く感じた一日が終わった。
このような騒動があるたび気が滅入ってしまう私であるが、噛まれた当人である長女をはじめ、我が家の女性陣は常日頃から実にあっけらかんとしている。
翌日、仕事中にペットカメラで家の様子を覗いてみると、そこには笑顔で子犬とじゃれあっている長女の姿が映っていた。
過ぎた出来事に対して全く尾を引かない彼女たちのメンタリティに、私はいつも助けられている。
そんな女性陣の意見として、子犬の問題行動そのものよりも、それを深刻に捉えすぎる私の思考癖のほうが余程ストレスに感じると何度も言われてきた。
いずれにしても、物理的に咬みつく事の出来ない環境を整えることが先決であり、今年の年末年始は我が家始まって以来初の模様替えをする予定である。
*
久しぶりに虹を見た。
通勤中の車の中から見えたその虹は随分と太く、天気雨の朝の空を幻想的に飾っていた。
ペットに死が訪れたとき、虹の橋を渡るという表現を用いるらしい。
随分とメルヘンチックな表現だなと思いつつ、眼前の空で輝いている虹の上に、子犬がスタスタと歩いて渡っている姿を重ねてみる。
時折りこちらを振り返りながらも、その姿が次第に小さくなってゆく光景を想像していると、不覚にも涙が止まらなくなってしまっていた。
これを書いている今でさえ、涙が滲んでしまう始末である。
この事を妻に話してみたところ、盛大に笑われたあと「めちゃ愛してるやん」と言われた。