考えるために書いてみる
ブログを始めよう、と思ったのはずっと前のことだった。おもしろいものを観たときに「おもしろかった」だけでは足りなくて、思ったことを思うままに、徒然と書ける場所がほしかった。でも、ずっと二の足を踏んでいた。
好きなもの、好きなことがたくさんある。ミュージカル、演劇、映画、お茶、博物館に美術館。ほかにもたくさん。好きと言っても詳しくはない。だから書けなかった。どこかの誰かから、「好きだと言うわりに、そんなことも知らないなんて」と思われるかもしれない。そう考えると、やっぱり「おもしろかった」しか書けなくなった。
私は「見当違い」や「場違い」がこわい。会社の会議でも、「見当違いだったらすみませんが」みたいな、ださい枕詞をつけてしまう。自分の知識や経験が足りない場では、みんなに見えるように初心者マークをつけておきたくなる。
もっと言うと、「解釈違い」もこわい。解釈なんて人それぞれで、正しい解釈は存在しないかもしれないけれど、間違った解釈は存在するような気がしてしまう。好きなものであればあるほど、間違えることがおそろしい。
でも、もういいや、と思った。もういい。私が感じたことを私が言葉にしてなにが悪い。というか、誰にも悪いと言われていないのに、私が勝手にひるんでいただけだった。
そもそも、どこの誰かもわからない私の文章なんて、誰にも読まれないかもしれない。だから、とにかく書いてみよう、と思ったのだ。
どのブログサービスを使うかは少し迷った。それぞれ特長があるし、どこで書くかによって自分の文章も変わってしまう気がしたからだ。でも、そこで悩むとまた始められなくなると思って、とりあえずnoteのアカウントをつくった。書き始めて、どうにもちがうと思ったら、別の場所に引っ越すかもしれない。そのときはそのときだ。
人は言葉で思考する生きものだから、なにかについて書くということが、私の考えを深めたり整理したりすることにつながると思う。誰かになにかを伝えたいというよりは、私自身が考えるために書いてみる。
あとから自分の記事を読み返して、このときこんなことを感じたな、考えたな、と思い起こすのもきっと楽しい。書き続けることで、自分の考えが変わっていくのがわかったらおもしろい。
もしかすると1つ2つ記事を上げただけで止まってしまうかもしれないけれど、書きたいときに書けるだけ書く、というスタンスで続けていけたらと思う。まずはこの記事を書いていること自体が自分の中ではかなりの進歩で、なんだか少しうれしい気持ちでいる。