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ずっと都を探している

大人になってよかったと思うことの1つが、選べることが増えたことだった。特に大きかったのが、住むところを選べるようになったことだ。
子どもは生まれ育つ場所を選べないから、あらゆる選択肢がはじめから絞られている。通う学校、遊び場、買い物や外食をする店、習い事、コミュニティ。
インターネットで世界中にアクセスできる時代に生まれた私は、自分がいかに小さな世界にいるのかを自覚できてしまった。だから、私は今たまたまここにいるだけで、ここが自分に適しているわけでもなければ、ずっといるところでもないと思っていた。同時に、故郷なんてみんなそんなものかと納得もしていた。でも、どうやら「そんなもの」ではないこともあるらしい。

「札幌に生まれたってことだけでも、私はものすごい強運の持ち主なの」
出張先の北海道で出会った人が、そう語っていたのが忘れられない。
生まれ育った地をそんなふうに思えるってすごい。私は「ここに生まれてよかった」と思ったことは一度もない。子どものころから、早く地元を出たいとずっと考えていた。

中途半端な田舎の、特徴のない町。大きなデパートもなければ、おしゃれなカフェもない。かといって自然が豊かなわけでもない。統一感のないバラバラな一軒家が立ち並ぶ、見どころのない風景。
選べない子どもだった私はそこで生まれ育ち、選べる大人になったとき、満を持して東京で暮らし始めた。

とはいえ、「地元を捨ててきた」というほどのこともない。実家にはしょっちゅう帰っているし、地元の友だちとの関係も続いている。でも、私にとっては親がいるところが実家なだけで、地元自体にはたいした愛着はない。「ここに生まれたことが強運」なんて、今後も思うことはないだろう。

でも、もしも、札幌で生まれ育っていたらどうだろう。ふと考えてみる。
強運だと思うかもしれない。思うような気がする。
それは漠然としているようで、ほとんど確信めいた感覚だった。

「住めば都」という言葉があるけれど、私はそうは思わない。20年住んでいても、地元を住みやすいとは思えなかった。逆に今住んでいるところは、引っ越してきたその日にしっくりきた。これが本当の都だと思えて嬉しかった。
だから、たった3度しか訪れたことのない北海道だとしても、ここが都になりうるという直感を信じられる気がする。

私は寒がりだけれど、その倍は暑がりなので、暑いよりは寒いほうがいい。それに北海道は実は寒くないことも知っている。気温が低い分、室内は暖かくなる工夫がされていて、地下鉄が充実しているから外に出なくてすむ。
観光スポットは多いのに、人が多すぎないところもいい。おいしい食べ物がたくさんあるし、買い物をする場所にも困らない。ゴキブリに遭遇する回数を減らせるのも最高だ。
考えれば考えるほど、私にぴったりな気がしてくる。

もちろん、住んでみないとわからないことも多いと思う。イメージ通りではない部分もあるだろうし、見えていない欠点もあるかもしれない。
でも、大学も仕事も今の住まいも、自分で選べることは外したことがない私は、自分の肌感覚をそれなりに信頼している。日本全国いろいろなところを旅したけれど、また行きたいと思うところはあれど、住んでみたいと思ったのは、東京以外では札幌だけだった。だから、私との相性はきっと悪くないと思う。

どこでも住めるとしたら、私にとっての都に住みたい。ここが自分の中心だと思えるような場所。
生まれ育ったところがそうであるなら、それはたしかに幸運なことだと思う。思い返せば同郷の友だちの中にも、故郷を愛して住み続けている人もいる。でも、住んでも都と思えなければ、自分なりの都を探して移り住むしかない。
強運の持ち主ではなかった私は、生まれてからずっと都を探しているような気がする。第1の都はもう見つかって、今まさに住んでいる。第2の都は今のところ札幌が有力候補だけれど、まだ出会っていない地にも可能性はある。

第1の都に住めていることで、昔より自分らしくのびのび生きているという実感がある。不規則でズボラな私の暮らしぶりは、雑誌に載っているような上質な暮らしとはほど遠いけれど、それすらも今の私の正しさであるように思える。
家から外に出るときの空気が心地よくて、帰り道の足取りが軽い。家にこもっていても閉塞感がなくて落ち着く。その感覚こそが、何よりも私の暮らしを肯定してくれている気がする。

「ここに住みたい」は、そのまま「こう生きたい」に直結する。状況や考え方が変われば、都が他に移ることもあるだろうし、増えたり減ったりすることもあると思う。第2の都が見つかったとき、新しい自分らしさにも出会えるかもしれない。
なににせよ、選べる私でありたいと思う。自分の気持ちや状況をきちんと見つめられて、変化にもしなやかに対応できて、自分で決める覚悟を持てる。そんな人でありたい。

きっとこれからも、自分の都の在処を考えながら生きていく。生活の出発点かつ終着点として、ふさわしいと思えるところを追い求めていたい。思い切り羽を伸ばせて、安心して羽を休める、私らしい私を思い描きながら。

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