映画『羊の木』と、Not In My Backyard

先日、映画『羊の木』を観て、とてもとても面白かったので、その感想を。本稿での作品名でのリンクは、全て作品のWikipediaに飛びます。

パニック映画を観ていた視点

私はホラー映画は駄目なくせに、パニック映画がめちゃくちゃ好きだ。しかし、その境は自分の加入している動画配信サービスでは「ホラー・パニック」のみで区分けされており、その中から、幽霊が入っていそうなものを避けて観なくてはならない。

パニック映画は本当に良い。あんなに人間が恐怖におびえ、逃げ惑っているにも関わらず、観ている自分は絶対安全である。仮に映画の内容が現実であったら、自分は第3者という安全な場所ではないため、人の様子を観察できるなんていうことは絶対にあり得ないだろう。そういう”フィクション”も含めてパニック映画は楽しむことができる。

パニック映画で一番好きなシーンは、危機的状況が訪れた場合に、誰を優先的に助けるか悩むシーンである。つまり、やむなく人が命に順位をつける瞬間である。

例えば、『宇宙戦争 (2005) 』である。あの映画には、私が記憶している中で、主人公の父親には少なくとも2回そのようなシーンがあった。1度目は、敵に向かっていった息子と善意で他の夫婦に連れて行かれそうになる娘に、2度目は、自分と娘の命と、錯乱した男に順位をつけた。

『宇宙戦争』では、父親が、どちらも大切なはずである息子と娘の間で迷っている苦悩が描かれているところがよい。そのくせ、その後息子のことは戦争が終わるまで全く思い出さないところも、緊急状況下でのポジティブシンキング、死んだやつのことを考えていても仕方が無い、という感じがたまらない。

人は緊急事態にならないと、助ける命に多分優先順位をつけないのだと思う。

普通くらいのやさしさと常識を兼ね備えている大人なら、目の前でいきなり心肺停止になった人がいた場合、AEDを持ってきたり救急車を呼んだり、何かしら対応するだろう。しかし、自分がその人の心臓マッサージをしている最中、横で見ていた自分の知り合いも何かの拍子で気を失ったら、自分は心臓マッサージの手を絶対止めないと果たしていえるだろうか。

知り合いの重要度で対応が変わらない、自分は絶対目の前で心臓マッサージをしてる人を助ける、あるいは、絶対知り合いの方を助ける、なんて、普通である私は言い切れない。

この、よくいえば人間らしい気がする感覚を持っていることが間違っていない、この選択をする際に人間はどんな表情、目をするのかとかを観てみたいがために、私はパニック映画を好んで観ているし、こういうシーンが出てくるたびに非常に興奮させられる。これは一種の私のおそらく誰にも理解されない性癖である。

感想-導入

『羊の木』では、この感情とは異なっているが、よくいえば人間らしい感覚に気づけたので、感想として残しておこうと思った。あ、パニック映画ではないよ。

そして、私はこの映画を環境用語である、Not In My Backyard: NIMBY から、NIMBY映画(ニムビー映画)と分類しておくこととする。

『羊の木』あらすじ

2018年に公開した映画であり、かつ、ネタバレなしで感想を述べることはできないので、あらすじの説明に入る。『羊の木』は漫画が原作だが、ここでは映画のみの感想に留める。

映画をご覧になってから感想を見たい方はぜひここでブラウザバック。

過去に殺人を犯した6人の囚人が同時に、過疎化の進む港町、魚深(うおぶか)市に仮釈放される。刑務所は税金で運営されているため、囚人はできるだけ仮釈放し、その負担を減らしたいのだが、身元引受人がいなければ現行法では仮釈放が認められていない。この仮釈放は、「地方自治体が引受人となることで、仮釈放を認める」制度の社会実験も兼ねている。

その6人を市役所職員1人が迎えに行き、市役所職員に、6人が接触しないよう、ゆるめの監視を命じられる。6人が犯罪者であったことは、迎えに行った職員も含め、限られた人間しか知らない。

市役所職員は、その内1人と、親しくなっていく。同時に、市役所職員の父親も別の元囚人と恋仲になったり、と、物語が進むにつれ、職員は、囚人らとはお仕事以上の関係性を求められるようになる。

というのが映画の前半のストーリーである。

市役所職員、月末一

この映画の主題は、事情はあったとしても、「人を殺したことがある人間を側に置けるか」である。

主人公の市役所職員月末一は、職員である前に普通の人間である。だからこそ、罪を償った囚人はもう普通の人間であると思う気持ちと、ほどよく関わるのはいいが玄関より先には入ってきて欲しくないような気持ちで揺れる。

また、月末はこの制度、および仮釈放がいかに重要であるかは把握している。もちろん、囚人がどこかに仮釈放されなくては生活できないことも分かっている。分かっているからこそ、表だってそんな感情は出さないが、いざ、というときに、つい嫌悪感的な何かからくる何かを言葉や表情で出してしまう。

まさにNot In My Backyard、うちの裏庭ではやらないで、である。

Not In My Backyardとは、”施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」「嫌悪施設」などと呼称される。”(Wikipedia より引用) よく言われるのが、ごみ処理上や、火葬場、墓地、原子力発電所などがこのような施設に当たる。

かつて犯罪を犯した人も、塀を出たら、この世界のどこかで、どこかで働かなくてはならないし、どこかに家を借りなければならないし、誰かと一緒に暮らしたっていいのである。

でも、なにもそれはうちの市でやらなくても…、恋するのはうちの親父じゃ無くても……

よ、よくいえば人間らしい~~~~~、普通にいえば、内なる偏見、差別。この感情で揺れ動くときの表情とか、第3者の目線で観察できるからおもしれええええ!!!

一番大事:こんな感じのNIMBY映画知ってたら、教えてください!!!!!

おわりに

どこで読んだのか全く思い出せないが、関係者の方が、「やくざの抗争で3人殺した人より、借金を断られたから殺した人の方が生理的に無理、その辺りを裁判では裁けない」という感じのコメントをどこかでみた。(出典見つけたら貼ります)

わかる、すごくよくわかる気がする。

どんな人も同じ人間、人は皆平等、聞き心地は良いが、誰の前でもいえるのか?一定以上はまだちょっと入ってきて欲しくないラインが本当に無いのか?自分の中にあった、まだ気づかされることの無かった非常に差別的な感情を言語化してくれた映画でした。

本当に面白かったので、動画配信サービスにありましたら、よろしければどうぞ。

NIMBY映画知ってたら、教えてください!!!!!!!!!

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