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サンタさん、信じてる?
先週、孫のHちゃんのこども園でクリスマス会があったそう。
サンタさんがきたんよ~!と、大興奮だったそうだ。
Hちゃん。
いつまでもサンタさんを信じてくれたらいいなぁ。
クリスマスの思い出
本題の”サンタさん”の話の前に。
私のクリスマスの思い出話を一つ。
*
私が子どもの頃、クリスマスの前になると母は大量のケーキを焼いていた。
料理好きな母が買ったのだろうか、我が家には当時まだ珍しかったガスのオーブンがあった。
母はクリスマスになると大量のスポンジケーキを焼いて、親戚や知り合い、あちこちに配っていた。
スポンジケーキは頼まれたのか、積極的に配っていたのか。
真相は不明だが、とにかく、クリスマス前の我が家はスポンジケーキの家内制手工業だった。
昔はクッキングシートなんて便利なものはない。
新聞紙にケーキの型を置いてペンで形を取り、それをハサミで切り抜く。
クッキングシートもどきを新聞紙で作るのだ。
新聞紙から円に切り抜く係は私で、何枚も何枚も新聞紙を切った。
私のクリスマスの思い出は、新聞紙を切っている記憶が一番かもしれない(笑)
新聞紙をまとっているスポンジケーキは今のようにフワフワではなく、目の詰まったどっしりとしたケーキ。
私はアチ、アチ言いながら新聞紙をはがし、新聞紙についたスポンジをつまみ食い。
今思えば、あまり美味しくなかっただろう。
それでも、ケーキはごちそうだった。
美味しかった。
スポンジに生クリームを塗り、間には缶詰のフルーツを挟む。
イチゴなんて昔は酸っぱくて美味しくない。
缶詰のフルーツのシロップが硬いスポンジに染み込んで柔らかくなる。
イチゴのケーキより断然嬉しかった。
*
イブはチキン(昔は鶏の足と言ってたなあ。)を食べ、母の手作りケーキを食べ、家族でボードゲームをした。
もっと夜更かししていたかったけれど、
「早く寝ないと、サンタさん来てくれんよ!」と言われ、仕方なく寝たふり。
今年こそサンタさんを見てやろう!と思うのだが、、、。
目が覚めると残念ながら朝だった。
またサンタさんに会うことが出来なかった。
でも、枕元にプレゼントがある。
サンタさんが来たんだと、嬉しくなった。
*
小学5年生くらいだっただろうか。
年末の大掃除の時、押入れで見覚えのある包装紙を見つけた。
サンタさんのプレゼントと同じ柄の包装紙、、、。
その時、サンタはいないんだと、やっと合点した。
悲しいのではない。
うすうす分かっていたけれど。
ものすごく心がしぼんで冷たくなった気がした。
キリスト教のクリスマス
さて、本題のサンタさんの話。
長女の通った幼稚園は、キリスト教の園だった。
意図して入園させたわけではなく、通える範囲で幾つかあった幼稚園の中でたまたま長女と波長が合った(ような気がする)のがキリスト教の園だった。
キリスト教の幼稚園。
イエス様っていうんだって!
すごく洒落ている、ちょっとカッコイイ感じがした。
というのも、私が通ったのは浄土真宗のお寺がやっている幼稚園だったのだ。
のの様(親鸞聖人)のお誕生をお祝いすることはあっても、イエス様をお祝いすることはない。
長女をキリスト教の幼稚園に通わせて、ようやくイエス様のこと、クリスマスの意味を知った。
サンタさんの存在
入園して最初のクリスマスだっただろうか、幼稚園でクリスマスの講演があった。
お話してくださったのが誰だったか(園長先生?牧師先生?、たぶん牧師先生だったかな~)忘れてしまったが、私の胸にストンと入った話が一つある。
*
先生のお話は保護者向けで、大半はイエス様の愛!的な内容で、前半はまあ盛り上がりのない、退屈な内容だった。(失礼!)
前列に座っていなければ寝ていたかもしれない。(前列だった、、、)
前列でイエス様の愛のお話をしっかりうかがったあと、先生がおっしゃった。
「ところで、皆さんのお子様は、サンタさんが本当にいると信じていますか?」
大きな子どものいるお母さんは「もう信じてないです」とか、
「もう6年生なのに、まだうちは信じてます」とか。
お話しくださる先生の意図が分からず、教会内はザワザワっとした。
先生は、静かにこう言われた。
*
「幸いにもまだサンタさんが存在すると信じているお子さんには、
これからもとことん信じさせてあげてください。
長くサンタさんを信じることができたお子さんは、
人を信じることができる大人になります。
今はサンタさんを全面的に信じている皆さんのお子さんも、小学生になると、だんだん「あれ?」って思いますよね。
ホントのことを知ってしまったお友達が、いらないことを言ってくれるんですよ。
そしてある日、「お母さん、本当はサンタはいないの?」と、訊くんですよ。
本当はいないし、一晩で世界中の子どもたちにプレゼントなんて配れない。
そんなことは大きくなったら分かるんです。
だけど、目に見えないもの(サンタのような架空の存在)を長く信じてきた子は、大人になった時にまわりの人を信じることが出来る幸せな大人になるんです。
まわりの人間を信じることが出来る子は、人を信じて頑張れるんです。
お母さん、大人の都合で「そうよ、サンタなんてホントはいないよ。だからプレゼントはもうなしよ。」なんて言わないでくださいね。
とことんサンタさんはいると信じさせてください。
人を信じる気持ちを育ててください。
人を信じる気持ちは子どもの時にしか育ちません。
優しい、強い子に育てるために、目に見えないもの(=サンタさん=神さま)を信じさせてあげてください。」
クリスマスになると今も思い出す、先生のお話だ。
サンタさんいるよ!
今より段違いに素直で若く可愛いママだった私は、当然、
サンタさんを信じさせなくちゃ!
となった。
そこで。
私の大真面目な〈サンタさんいるよ!ミッション〉は以下のとおり。
*
その1
両方の父母(祖父母)からのクリスマスプレゼントをやめてもらう。
祖父母というものは、とかく孫には甘い。
なにかしてやりたい。
気持ちは分かる。
しかし、だ。
良い子に配られるプレゼントは、サンタさんからの一択!であるべきだ。(と、私は思い込んだ。)
「娘たちにクリスマスプレゼントはやめてくれないかなぁ。」
父母たちからは激怒された。
とくに私の父母からは遠慮なく怒られた(笑)
孫を持つ歳になった今、当時私が父母(祖父母)にお願いしたことは酷だったなあと思う。
でも、サンタさんがたくさんいるのはダメなのだ。
サンタさんの秘密は絶対守らねばならないのだ。
(ちなみに、私たち夫婦は孫にほとんどなにも買わない。
一緒に旅行に行ったり、果物を買ったりはする。)
*
その2
娘たちが希望するプレゼントは滅多に通らない。
世界中を回るサンタさん。
どう考えても世界中の子どもの希望をサンタさんが知るよしもない。
希望が叶うなんて、親が買わないと叶うハズがないのだ。
叶えていたらゆくゆくは親だとバレてしまう、、、。
娘たちには、「サンタさんは忙しいんだから、たくさんの子どもの願いはきけんからね。プレゼントは貰ってからのお楽しみだね。」と言っておいた。
少し大きくなると、友達が希望のモノを貰ったという話を聞きつけ、報告してくるようになった。
「ほほう、〇〇ちゃんは今年のラッキーガールだわ。すごいね~!」
とごまかした(笑)
*
その3
プレゼントを包んだ包装紙の残りは必ず捨てる。
これは、うちの両親が私にやらかした失敗だ(笑)
プレゼントを包むと、必ずというほど包装紙は余る。
ダイソーで包装紙を買うと、1枚残ってしまう。
残った包装紙、もったいないから捨てずにとっとくよね?
普通の包装紙はいいのだ。
でも、サンタさんのはダメ!
いつか子どもに見つかる(笑)
「あ、この包装紙、サンタさんの、、、」
勿体ないけど、捨てましょう!
どうしても捨てられない、そこのアナタ。
仕方ないですね、来年用に友達のとこの余った包装紙と交換しておきましょう!
***
サンタさんの秘密。
我が家は娘たちが6年生の時まで守り抜いた。
おかげで、娘たちが人を信じる大人になったかというと、、、
まあまあ、いい子に育ちました(笑)
でもそれがサンタを信じてきたこととの相関性があったのか、どうなのか?
それは分からない(笑)
今のご時世、人をむやみに信じたら危ないのかもしれない。
だけど。
人を信じちゃだめよ!
そんなこと言いたくないし、言う人にはなりたくない。
やっぱり、サンタさんは信じてほしい。
孫のHちゃんには「サンタさんはいるよ!」と信じてほしい。
サンタさん。
私もあなたを信じています。
信じて良い子にしているから、私にもなにかプレゼントくださいな(笑)