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家族にnoteをみせていますか?

noteを始めて二ヶ月、ちょうど30記事を投稿しました。

最初は書くことが面白く、
慣れてくると、一丁前にスキやフォロワーの伸びを気にしたりして(笑)

今はそんな事も気にならず、書きたいことを書いています。

ところで、皆さんは家族や近しい人に自分の書いたnoteの記事を見せたりしますか?
感想とか聞きますか?

今回は、私のnoteに関する家族の反応について。


noteを始めよう

私がnoteを始めたきっかけは長女でした。
学生時代からブログを書いていた長女が「お母さんも何か発信しなよ」とnoteを教えてくれました。

noteってナニ?
何も知らなかった私は、まずはnoterさんの記事に触れるところから始まりました。
うん!面白い!!
書けるかな?、いや、書いてみたいな!

なんとか記事を一つ仕上げてみて分かった事。
私のnoteは、書くことで自分自身を知り、また、書いたnoteの中にちゃんと自分らしい自分が存在している、ということ。
人生の後半に突入する段階でnoteに出会ったことは、私にとって意味のある出会いでした。

Instagramは自分じゃなかった

実は、noteを始める前の2023年の12月にInstagramも始めてみたのです。
2023年は色々あって、急にヒマになった私は「何かしなくちゃ!」と焦っていて。
旧ツイッターもFacebookも何もしたことがない私だけど、こういう世界も勉強してみるか、と。
重い腰をあげてInstagramに挑戦してみたのです。
変わらない毎日も悪くはないけど、なにかで日常を変えたい欲求もあったのかもしれません。

勢いで始めたインスタ生活ですが、キラキラした内容ではさすがに自分のキャラとは違いすぎます。
自分にも出来そうなテーマは?
日々の暮らし系の投稿で始めてみました。

おせち料理を頑張ったのとか…
レタスを添えてカッコつけてみた朝食だとか…

1ヶ月ほど毎日投稿したら、フォロワーも若干増えました。
Instagram生活は楽しかったです。
だけど、何かちょっと違う、なにか無理をしている、と思い始めました。
キレイに整った生活、写真映えしそうな盛り付けをした料理。
それらがどうも嘘くさく、私じゃない!のです。

例えば、朝の納豆。
本当の私は、ご飯の上に混ぜた納豆をど~んと乗せるくせに、
インスタの私は、納豆容器から納豆を小鉢に移し替え、小ネギをパラパラと注意深くのせるのです。
洗い物が一つ増えるというのに、、、
ホントはがーっとご飯をかきこみたいくせに(笑)

納豆を小鉢に移すのがいよいよ面倒になってきた時、
「あ、こりゃあ続かねえ、、、」と分かってしまった、、、。
Instagramは見るだけでいいや、と。

自分を表現するのに、私は写真とかでは無理でした。
Instagramの中の私は、よそいきの自分で、本当の自分はいないのです。

noteをオットにみせる

Instagramをしている時、オットが私のInstagramを見たがりました。
娘達には見せるくせに、なぜ僕には見せないのか?、と。

感覚的な話だと思いますが、娘達はInstagramの私を“カッコつけたお母さんの作品”みたいなテイで受けとれるんだと思います。
たけど、オットからしたら、カッコつけた私は違和感でしかないような、、、。
どんなに頼まれても見せたくありませんでした。
たぶん、オットがどうこうと言うより、私自身がInstagramの中の私を認められなかったんだと思います。

noteデビューは長女が旗を振ってくれ、長女に教わりながら始まりました。
noteのために自分専用のパソコンを買い、毎日毎日パソコンに向かうようになりました。

始めて1か月が経った頃、オットに「note見る?」と私のアカウントを教えました。
Instagramは見せたくなかったのに、noteはオットに読んでほしい、と思ったのです。
私は頭では色々考えるくせに言葉に出してハッキリ言うことはなにか恥ずかしい、高倉健さんではないけれど「不器用ですから、、、」的なタイプ。
一方、オットはハッキリ言わないと私の真意を分からないタイプ。
私のnote解禁は、オットとの会話の一つなのかもしれません。
(でも、恥ずかしいので感想はいわなくていい!と釘はさしました!笑)

オットの変化

約束通り?、私のnoteにオットは何も言いません!笑
でも、確実にオットは変化しました。
そして、その変化は私のnoteを見たからだ、と私は確信しています。

以前のオットは、私にすり寄ろう、すり寄ろう、としていました。
(注:別に仲は悪くありません!笑)
たぶん、オットは定年後の長い長~い第二の人生を、二人でつつがなくやっていけるか不安だったのかな、と。
かくいう私も、娘が巣立ってしまったらオットしかいないという状況に困惑を感じていました。
夫婦仲は悪くない、お互いを大事に思っている。
けれど、長年子どもを真ん中にお父さんとお母さんを一生懸命にしてきたからでしょうか。
二人での会話が下手になっていました。

最近の休日。
オットは自分の書斎で新しく始めた趣味(もう少し軌道に乗ったらnoteに書きます)をしています。
私は、noteを書いたり、キッチンでごそごそしたり。
お互いが自由になって、お互いの人格を尊重しているような、そんな感覚があります。

私からの大事な会話はnoteがオットに届けてくれている。
そんな私のnoteです。

私の読者

長女は、私が記事を投稿すると必ず電話をしてきます。
ダメ出しをオブラートに包みながら、的確な分析と感想をくれます。
ありがたい。

もう一人、ありがたい読者が、長女の夫。
読みたいのか読みたくないのか分からないけど、たぶん長女に読まされて、感想を言わされている、、、笑
彼の感想で一番刺さったのが、
「お義母さんのnoteは毎回フルスイングですね」と。
いいトコ突くなぁ!笑
私みたいなオバチャンは、毎回もちろん全力でホームランをねらってますよ?
アラサーの野球ファンの彼は、ホームランも良いけど、凡打も空振りもいろいろあっていいんじゃないか、と。
肩の力を抜きましょう、と。
彼らしいコメントです。

次女も私のnoteを読み始めてくれました。
以前、図書館の記事で書いたんですが、次女は文章を書いたり読んだりしません。(いわゆるリケジョです)
そんな次女の感想は、「私の知らないお母さんもいるね。」と。
その感想も嬉しかったです。
改めて娘たちに自分のことをいう機会など無いですから。
気が向いたときに時々読んでくれたら、、、私の考えていることを押し付けでなく知ってくれたらなぁ、と思います。
(次女の夫も読んでくれているらしいですが、いつか感想を訊いてみたいな!笑)


私がnoteを書いていることは、家族だけの秘密です。
両親や妹にも教えてないnote、、、
いつか読んでもらいたい!、いや、やっぱり恥ずかしいかな?

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