【読書noteNo.18 坂口安吾『堕落論』を読めば、人生はもっと生きやすくなる】
毎年、このクソ暑い時期になると読みたくなる本があります。それが、今回紹介する本『堕落論』です。
発表されたのは、1946年。
日本が戦争に敗北した年の翌年に発表された本です。
この本を読むと、思うことがあります。
美徳・常識・道徳ほど、人を縛り付けるものはないよな。敗戦後の日本人は、今まで自分が信じてきた美徳・常識・道徳がこんなにも呆気ないものと分かった時どういう気持ちだったんだろう…。
私達は生活する上で、この三つに強制的ではありませんが、縛られているような気がします。順番にみていきましょう。
まず、美徳。今だったら、「真面目に働く」といったどころでしょうか。でも、考えてみると、「真面目に働く」メリットってあるのかな~と思います。少し前ですが、某政党に所属している国会議員や大臣の脱税問題がありました。このニュースを見ていると、真面目に働くのが、馬鹿らしいなと思います。真面目に働く分だけ、損じゃないか。高い税金や社会保険料も取られるし…。にもかかわらず、ノホホンとしている国会議員や大臣は、税金を納めていない…。真面目は、バカを見るとはこのことかな~と。真面目に働いているこっちが、精神が参ってしまうなんて、ちゃんちゃら可笑しい話ですよね。
次に常識。美徳は、ケッ!そんなの従ってられるか、と思ってれば何とかやり過ごすことはできますが、常識はもっとヤッカイだと個人的には思います。「○○は常識だ。」「○○すべき」という共通認識が人々の間に共有されているからです。例えば、「社会人になったら、石の上に3年という言葉があるように、3年間は、我慢して働け。」という常識。私自身、前職は3年以上なんとか続き(4年は満了しましたが、辞める時は精神的には結構追い詰められていました。)、今の仕事も、3年は続いていますが、だから何?という感覚です。
仕事を覚えるのが早い人は、とっくにスキルを磨いて別の職場に転職できるだろうし、いつまでたっても仕事ができない人は、3年経とうが、5年経とうができないです。
これは、推測でも何でもなく、私自身がそうだったからです。前職は、証券会社の営業職でしたが、人前で話すのが苦手で競争意識が皆無の私にとって、営業をどんなに極めても、人前で話すのが元々得意な人にはどう足掻いても勝てませんし、数字に貪欲な人間、つまり競争心がなければ、営業は務まらないな~というのが、私が営業職4年いて思った事です。
最後に道徳。一番分かりやすい例が、「嘘をついてはいけない」でしょうか。他人に対しては誠実に接しましょう、という奴です。よく薄っぺらい自己啓発書が好みそうな言葉です。でも、これなんかも、ハア?と思うわけです。「嘘も方便」という言葉にあるように、相手を傷つけなければ、多少の嘘はいいと思います…。毎回毎回、他人に対して誠実に接しようと思ったら、そりゃ疲れますよ。
ほどほどに嘘はつきましょう。自分の心のバランスを保つために。
ここまで長々と書きたい衝動に駆られたのは、『堕落論』の後に発表された『続堕落論』にある次の文章を読んだからです。
この文章を読む度に、救われます。
好きなものは好き、厭なものは厭、そう思うのは別に変じゃないんだ。むしろ、人間だったら当然の感覚なんだ、と安吾から励ましのエールを頂いた気分になれます。でも、そうはいっても、社会で生きていくには安吾が言うようには難しいと思います。時と場合によっては、我慢が必要な時もあるでしょう。「教祖の文学」という評論に次の文章があります。
そうなんですよね、どんなに美徳・常識・道徳に従っても、結局自分の人生を作るのは、自分しかいないんですよね。人間は、弱いからこそ、こういう美徳・常識・道徳を作って、その枠の中で生きようとするのも分かる気がします。でも、本当に生きやすくなりたいのであれば、そういった枠から出る必要があります。薄っぺらい自己啓発本を100冊読むぐらいであれば、安吾の『堕落論』を読み、自分の血と肉にしたほうが自分の人生を生きやすくなるな、と学んだ夏の日でございました……。