見出し画像

道に迷ってしまった人はどんな表情をしている?

久しぶりに漫画を読んだ。
『夫の扶養からぬけだしたい』(ももことつとむの場合)と
『ママはパパがこわいの?』(ゆうかとてるおの場合)のシリーズ物のゆむい著の本だ。
どちらの本も、幼い子どもを育てる専業主婦が夫に対する不満や窮屈さを感じ、
自分で働いて収入を得ようとする話で、似たような境遇の方なら深く共感するところが多いのではないかと思う。

十数年間、理解できなかった。
どうして夫は私の話をきちんと聞こうとしないのか。
話してもわかってくれないから、何度もこちらの言い分をまくし立てた。
けれど、まくし立てたところで夫には何も届かず、状況は変わらなかった。
こういう人なんだと、怒りと諦めを抱えながら十数年もの間過ごしてきた。

なぜ夫は家事や子育てをしている妻の大変さを、理解しようとしないのだろう。
家事や子育ては収入にならず、誰にでもできることだと思っていたからだろう。

私には高収入を得られる資格や特技があるわけではなく、
収入を得ようとするなら時間給のパートか、せいぜいがんばって正社員として働くくらいしかない。
文句や意見を言うなら、ももこの夫つとむが言ったように「僕と同等に稼いでみなよ!!」と、
口に出してこそ言わなかったものの、頭から話を聞く気がないことから夫はそう思っていたに違いない。
その頃を思い出すと、今でも時折腹立たしい気持ちになる。

収入がないと家族は暮らしていけない。
妻が専業主婦の場合、夫は稼ぎを得るために1日中働き家族を養っていく。
働いた経験があれば、仕事の大変さは想像できる。
だから、夫が家に帰ってきたときにはできるだけ家を整え、バランス良い食事を作り、
給料内でやりくりを行うようにしてきた。

夫は勤めを終えて帰ってきたら家でゆっくり過ごすことができた。
しかし、主婦である私は家にいても家事や子育てなどで、芯から気が休まることはなかった。

二人目が生まれたとき、私は上の子と赤ちゃんの世話で疲労困憊し、月に一度40度の熱が出て寝込んでいた。
下の子が歩き出す頃には少しづつ睡眠がとれるようになったが、1日中子どもの世話で一人になる時間がないのが辛く、
ストレスが溜まると寝室にひとり閉じこもり、スーパーで買ってきた煎餅を一袋全部を一気に食べつくした。
時間にしてわずか5分くらいのものだったが、アンバランスな自分を過食を行うことで取り戻すことができていた。

冒頭のマンガ2冊を読んで、夫婦の考えのズレについて改めて思った。
そして、ようやく理解した。

子育てや家事は「主体的」にできる、と夫は思っていたのだ。
妻は毎日家にいて、家事や子育てを自分の裁量で誰にも気を遣わずに、自分が好きな時に好きなように自由に行うことが出来る。
そう考えているから、妻からの夫への要望や不満は甘えや我儘な主張にしか聞こえなかったのだろう。

一方で夫は、家族のために決められた時間を労働のために拘束され、人間関係に気を遣いストレスを抱えながら働かなくてはならない。
一所懸命に働いた給料も独身の時と違い、自分だけのために自由には使えない。

私は夫の収入を無駄にしないようにやりくりを行い、将来の子どもの学資や老後のための資金になるように貯金をなるべく頑張ってきた。
私から見れば、夫は浪費としか思えないような無駄なことにお金を遣っていた。
家族の将来のためにと、私は私の正論を振りかざして、夫の自己管理の低さを責め立てていた。
家事育児を一所懸命にしている私は、夫と同等の立場だと思って話をしていた。
今になって思えば、夫と私の意識のズレを理解していなかった。

夫は長年の多量の飲酒の影響で、潰瘍性大腸炎になった。 
難病指定で完治が難しいと言われる病気になっても、
医者からはストレスになるからと、禁酒と言われていないのをいいことに飲み続けた。
夫は医者と薬が病気を治すものと考えていた。

そして脳出血で倒れ、半身麻痺の身体になった。
リハビリ後に職場復帰した。
障碍者が健常者の中で働くということは、本人でなければわからない数多い苦労があるだろう。
会社は福祉作業所ではない。
社員として当たり前の給料をもらうからには、利益を出さなくてはならない。
職場の人も以前と同じように接してくれるのかどうか……。
それは違ってしまっても仕方がないのか……と思う。

夫は仕事に対し責任を果たす人だ。
会社での愚痴や苦労など家ではあまり話さない。
私に言ってもわからない、という気持ちもあるのだろうが、もともとそういうことを話すことを良しとしないプライドを持っている。
家ではマイペースで穏やかで、子どもたちには優しく温かく子どもたちも父親を慕っている。

しかし、夫婦関係はそうではなかった。
夫が病気になったことでできなくなった雑多なことを、私一人でやらなくてはならなかった。
全てを背負わされている気がした。

半身麻痺になって夫も大変な思いをしているはずなのに、親姉弟が集えば多量ではないもののアルコールを飲んだ。
親も姉弟も病気になる前と変わらず、飲むのを勧めた。
脳出血は再発することが多い病気だ。 
そう伝えたはずだが、価値観が絶望的に違うのだ。

穴を掘ってその穴をまた埋める。
翌日もまた穴を掘って、そして埋める。
夫との生活は無益な繰り返しだと時々思うことがある。
私がどんなに健康に留意して食事や生活習慣、身体の状態などに配慮しても、少し体調が良ければ自分の健康を顧みずアルコールを飲もうとする。
夫が倒れてから私がどういう思いでやってきたのか、少しでも考えることができるのなら飲めるはずがない。

マンガの主人公のももこたちのように収入を稼ぐことができるようになれば、もっと納得のできる生き方ができるのかもしれない。
しかし今はまだ道を拓くことができていない。

ゆむいさんがあとがきに書かれていた文章が印象深い。
「道に迷ってしまった人はどんな表情をしていると思う?」
この文章の続きを読んだ時、私はそんな表情をして家では暮らしている、と思った。
状況が大変だから苦しいのではない。
その状況に自分がどう在りたいかがわからないから「怒ったような顔」になってしまっているのだ。

いいなと思ったら応援しよう!