僕と槇原敬之さん〜2020〜 想いを寄せて
〜はじめに〜
今、槇原敬之さんは大変なことになっている。
2020年某日、彼はテレビ画面の中で速報として映し出された。
一番最初に思ったことは、ああ、今年でデビュー30周年じゃなかったっけ。どうするんだろ?中止かな…だった。なぜか、驚くほど無の感情だった。
いつかこうなることは予想できていたような気もするし、心が予防線を張っていたのかもしれない。けれど、やっぱり起こって欲しくはなかったというのが本音である。今日の今日(2020/05/31)まで、マッキーのことを誰かに話すことも出来ないほどに、無になってしまっていた。曲もずっと聴けていない。
そんな中で、こんな文章をネットに上げることはどういうことなのか。正直よくわからない。不謹慎なのかもしれないし、誰かに怒られるかもしれない。けれど、どうしても彼のファンであり続ける僕は、こうして文章を残すことがしたかった。
少しでも彼を応援したい、という一人がいる、という証拠にしたかったのだ。
人は間違う。そして間違いを次に活かせる生き物だと思ってる。
というわけで、以前(2018年12月)書き溜めてあった文章を、
今回 #キナリ杯 に寄せて、せっかくなので加筆修正して残しておこうと思います。
どこに向けてどう発表していいのかも謎のまま、1年半もの間Evernoteに眠っていた文章が。こうして日の目を見て、よかったのか悪かったのか、noteを公開した今でも正直よくわかりません。
作法が間違ってるのかも、右も左もまるで判断の出来ない素人ですが、ご容赦くださいますよう。
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僕と槇原敬之さん。
過去、たったの一度だけ、僕は彼と同じ空間にいたことがある。
それは2013年4月、有楽町、東京国際フォーラム。
後ろから数えて2列目という、きわめてまったくのチケット運がない席だった。
そんな場所から、僕はマッキーのことを見た。
いや、拝ませていただいたと言っていい。
ライブ当日。会場に着き、暫くして、ゲートが開かれる。
わあっと小さく歓声が起きた。皆それぞれが一様に、期待に胸を膨らませ、キラキラとした表情だった。そんな周りの徐々にボルテージが上がっていく様を見て、月並みに言えば僕は胸が熱くなってしまっていた。
今の今まで、身近な人物には誰一人「槇原敬之が好き」という人がいなかったのだ。それがどうだ。今日という今日の日は、見渡す限りのほぼ全員がマッキーのファンなのである。僕も勿論その一人だ。
まだ始まってもいないのに、すでにちょっと泣きそうである。浮き足立って仕方なく、まるで床が弾んでいるかのようだった。
もしかして夢かな?と何度も思った。結構な長時間を待ったはずだが、疲れなど微塵も感じなかった。今まで味わったことのない状況に、僕は興奮しきっていた。
しかし、現実はすぐにやってきた。席に着いて愕然としたのだ。
事前に座席表を確認して知ってはいたことである。無論。それが想像以上に遥か遠く、霞みがかって見えるのではないか?と思われるような位置にあった。
そう、我らがマッキーの立つであろう、そのステージが。
よもや、人物がまるで米粒以下。南無。諸行無常とは此の事也。
目視で確認するには少々、いや、だいぶ難しい位置だと思った。
この後すぐやってくる未来に、嘆き、苦戦を強いられるであろうことは簡単に予想が出来た。しかも気の利かないことに、オペラグラスなどというものを持っていくという発想もなく、同行者との間に気まずい空気がやや流れる。
けれど待て、なんて言ったって槇原敬之だ。生の槇原敬之だ?
念願の初ライブだぞ。単独の誰かのライブに行くなんて、しかもこんなに大きいホールなんて初めてだ!有楽町に行くのも、テレビに出るような人を見るのも、何もかもが初めてである。もしかしたら見てる最中、急に視力が上がってくっきり見えたりするかもしれない。そんな不思議体験が起こり得るかもしれない。きっとある。そう、槇原敬之ならそれを現実にさせる力があったっておかしくない(?)
暗くなり、イントロが流れる。長い長い為を経て、その時はやってきた。
マッキーーーー!!!マッキー!!ワアアアァアアッ!!!
瞬間、世界は光に包まれたのだと思った。否、それが彼だったのだ。
僕は途端、溢れ出る涙を抑えられなかった。ああ、マッキー、あぁマッキー。
それはCDから流れてくる歌声とは全く違った。なんだこれ良すぎる。
溜めた水に何かを落とし、そこから波紋が広がるかのように、ビリビリと体に波を感じた。ライブってこういう事なんだ。耳だけじゃなく、全身で受け止めるものなんだ。急に全てがわかった気がした。
ありがとうマッキー、今日は来れて本当によかった。ウォーター。
–––でもね、そう。ちっとも見えなかったのだ。
期待むなしく、やはりマッキーは普通に米粒以下だった。
今回の衣装を紹介している彼だけど、ごめん、どんなデザインかもわからない。もはや色さえ判別不可能。加えて涙。そして乱視。滲みに滲み、何も見えない。
やがて僕は、心の目でマッキーの表情や仕草を想像するという境地に至った。
そんな悪すぎる席でさえも、控えめに言って最高すぎた。
それがあの日、僕と彼の間にあった全てである。
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マッキーだが、人生において何度も支えられながら生きている、と筆者が感じている人物の一人である。マッキー尊い。心に寄り添う系シンガー。
なぜ、このラブレターよりも更に重い文章を書こうと思ったかというと、
久しぶりに曲を聴いて大号泣したからだった。
ふと、ツイッターのタイムラインにマッキー歌詞botから流れて来て、気になった曲を調べ、あれ、これってこんなにいい曲だったっけ?と思ったことからの、完全なるパッション。届け、この思い。もし届いたらどうしよう。届かないでくれ。
頼む。
その曲のタイトルは「Boy, I'm gonna try so hard」
気になる人は調べてみてね。
誰も興味もないし質問も来ていないけど、次はマッキーとの出会いについて話そうと思う。彼のことを知りたいと思うようになったことについて。
語りたいから語ります。なお、今後この文章のスタンスはずっとこうです。引き返すなら今です(たぶん遅い)。
話もしてないしキスもしてないけど出会った二人。
僕と槇原敬之さん(タイトルコール風、エコーをかけて、BGM付き)
「槇原敬之さんが好き」と言うと、よく言われることは、
「なんで?どうして?世代じゃないよね??」もしくは「あ〜、冬がはじまるよ?(遠く遠く、あるいは、もう恋なんかしないよ(間違ってる)パターンもあり)」
まぁでも恋は条件なんて関係なく、ほら突然落ちるものだから(?)
きっかけは、中村中(なかむらあたる)という一人のシンガーソングライターを注目したことである。それは2006年10月、ドラマ・コンプレックス『私が私であるために』という番組でのこと。その内容とは(非常に端的に言えば)、自分の性別に違和感を持った少年の生きゆく葛藤、出会う人々、カミングアウト…というようなものであり、当事者の周りへの理解を深めるようなものだった。
今でこそ注目を浴びている「LGBT」という言葉もなかった時代。
(注意:LGBTとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、 Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとった単語です。)
そんな中で、先の中村中(21・当時デビューしたばかりであった)氏は路上ライブを行うシンガーという役どころで出演をして現れたのだ。
その時に見た彼女は、本当にとても美しく、唯一無二の歌声と存在感で、とにもかくにも衝撃だった。瞬間から夢中になってしまうような、圧倒的なオーラを纏い、光り輝いて見えた。そんなことは人生で初めての出来事だったので、ストーリーの記憶が曖昧になってしまったような現在も尚、その時の目が離せなくなった感覚を、今でも鮮明に覚えている。
果たして「性別」とは? 「性自認」「性志向」とは? 男と女というマルの囲いが曖昧にぼやけ、とても意味のないもののように感じられたのである。
なお、番組が放送された当時の背景として。
今でいうLGBTの方達は、周りの理解に乏しく、多様な生き方を求められず、枠に嵌められたままに装う、といった生きづらさを感じながら生活をしていく、ということが残念ながら多かったように思う。
全くの当事者でない自分が「やはり受け入れ難いのだろうな」という感覚であったから、渦中にいる人達は途轍もない苦労のあった時代なのかもしれない。
いきなりの脱線具合に「お?」ということを言い出した自覚は多分にあるけれど、これらの出会いがなかったら、きっと一つでも欠けていたらマッキーとは出会えてなかったと思うと、世の中の出来事や出会う人やタイミングには意味があるんだなって思います。
話を本題に戻そう。なぜその番組を見るに至ったかと言うとだ。その当時、あるブロガーとして活躍していた女性の存在がまたもひとつのきっかけである。
槇原敬之さんまで長いな…。
ブログタイトルは「オカマだけどOLやってます。」それは、後の能町みね子氏であった。
最初は何がきっかけでアクセスしたのかも、もはや覚えていないけど、クスッと笑えて軽快な文章に、自然ファンとなった。失礼な話かもしれないが、性同一性障害というものに、そこで「興味」を持ったのだ。
また、彼女がきっかけで、相撲に興味を持ったのはまた別の話である。(客席の中の能町みね子氏を探すのが一時のブームであった謎)
そんな風に「自分の性以外の性になりたいと思う人」の存在が気になるようになった。理解を示す、というよりも、初めは生物学的にどういうことなんだろう?という興味からだったかもしれない。或いは思春期特有の、自分の「性」という枠に嵌められて見られることが、捕らわれながら生きることが、生きていくしかないことが、嫌でたまらなかったのかもしれない。常に自分以外の何者かになりたかった。
そんな逃げ道としての「自分は違う性であるべきではないか」という可能性。
そのどちらにせよ、それは当事者からはたまったものじゃないと思う。そういう自分本位な、後ろめたい思いから脱却するためか、学ぶためにか『私が私であるために』というドラマを見ることになったのだったと思う。確か。
そこで中村中氏に出会った。
今思うと、そういう色んな立場の人の気持ちを知ってみたいと思ったことで、自然、マッキーを理解することに繋がったのかもしれないなと、ふと思う。
その後、彼女のアルバムを買い、調べ、何かの折に歌われたカバー曲がyoutubeにアップされていることをある時、知った。
それが槇原敬之氏の「THE END OF THE WORLD」というタイトルだった。
いわゆる世間一般の知ってるマッキーのヒット曲、しか知らなかった自分が、それ以外で初めて出会った曲がこれだった。
一度聞き、どうしても歌詞の内容とメロディーが頭から離れなくなってしまった。
その数日後、近所のGEOで、その曲が収録されている「UNDERWEAR」というアルバムを買った。それが初めて手にした槇原敬之のCDだった。
今からして考えると、一番最初にそのアルバムを手にしたのは、大正解だったのではないかと思うくらい、とても良い曲ばかり入っている。
何回も何回も、ほんとうに一番聞いたし、今でも大好きなアルバムである。
しかし、恋と言っても最初からドカンと燃え上がる、というものでもなかった。
最初に買ったアルバムを聴いたときは、正直、ふうん、くらいのもので、いいけど別にそんなにかな〜?みたいな、ふわふわとしたものだった。
でも気になる曲が入ってるし、まぁiPodに中村中と一緒に入れておこっと。そのくらいの気持ちだった。
それがガラッと変わったのは、当時働いていた会社でゴリゴリの体育会系パワハラを受け、生来もやしで豆腐メンタルの自分がギリギリの精神状態で電車通勤していたある日のこと。iPodのランダムで流れたマッキーの曲(ヤバヤバの状態で記憶が一部曖昧な為、どれだかは正直覚えてない)で、突然、視界が開けたような感覚があった。世界が眩しく見えたというか、肩の力が抜けたというか。
次の日から、出てるアルバムを片っぱしから買いまくる、という生活へ。
それからというものの、マッキーへの愛は、ほかのアーティストに抱くそれとは全く違った。自分は生来、ファンになると所謂イノシシ的な愛を持って接してしまって、ファンとしては結構、いやだいぶ気持ちの悪い部類なのだ。
猪突猛進、周りが見えず、気持ち悪いくらい調べまくり、片っ端から集めたがる。ちょっとうっすら恋みたいなのもしちゃう。会ったこともないのに。
それゆえ、そんな自分の気持ち悪さにふとした時にはたと気づき、自然とファンから遠ざかることも少なくなかった。
まぁ今回の文章でだいぶ気持ち悪さは分かっていただけると思う。
だけれど僕らのマッキーは、どんなに気持ち悪く愛しても「そんなに好きになってくれたの?!ありがと〜!」「わ〜、CDいっぱい持っててくれてるんだねぇ〜」「いつでも好きな時にたくさん聞いてねーっ」「あぐらかいてリラックスして聴いたって、もうぜーんぜん!いいんだからっ」そんなスタンス。優しい。
しばらく聞かなくなったとしても「またいつか会おうね」「いつでも戻っておいでよね」「テレビから聞こえて思い出した?ウフフ」なんてフランクに接してくれて。久しぶりにしっかり曲を聴いてみれば「おかえりなさい」「待ってたよ」「また沢山楽しんでね!ありがとう」。そんな風に、心の中のマッキーがささやく。
こうして気付けば12年、付かず離れず付き合って来たのだ。
(⚠︎もちろん上記の槇原さんのセリフは全て筆者の妄想上のものです)
マッキーのいいところは弱い人に寄り添う心があるところだと思う。
たまにクスッと笑えるところも、とっても優しい人なところも、犬が大好きなところも、僕はマッキーが大好きだ。好いた腫れたの恋愛曲ばかりじゃなくて、世の中への批判(恐れずすごい)や、平和を願うもの、過去の悲しかった記憶、これからへの前向きな気持ち、日常の事。いろんな人生がなんだか沢山詰まっていて。
どんなに自分がポンコツで価値のないものだと思えた時も、失敗して凹んだ時も、いろんなものの見方を教えてくれたり、励ましたりしてくれたのだ。
いかなる年齢、状況、感情であっても、絶対にピタリと嵌まる歌がある。自分は一人じゃないんだと、そう気づかせてくれる人。
隣で「大丈夫だよ、心配ないよ」「僕もいろいろあったけれどね」「あなたはきっと大丈夫だから」と肩をポンと軽く叩いて、笑いかけてくれるような、ぎゅっと抱きしめてくれるような。とってもあったかい心根の人なんですきっと。はぁ 好き。
そして今日も「頑張ろうね。きっと頑張れるよ」と心の槇原敬之さんが笑顔で言うので、僕はずっと頑張れるのです。うん。
だから、過去にどんなことがあろうとも、この先にどんなことがあろうとも
僕はずっとマッキーに心を誓って生きていきたいと思っている。
そしてこの先、あなたにどんな未来が訪れようと、それを受け止め、いつかまた、戻ってきてくれることを待ち望んでいます。あなたのファンより。
〜おしまい〜