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月を見る人たち

「月が綺麗ですね」

横に居たソイツはなんて事無いかのように、そう言った。
いつもの抜けたような口調で、「センパイ、見て下さいよ!」と頭上を指差すので、釣られて見てみれば、なんて事は無い平凡な月が、星も見えない夏の夜空にポツンと孤独に浮かんでいるだけだった。

「あー……綺麗っちゃ綺麗だな。うん」

そんな感じの返事をしてしまった。

ここで与太話を1つ。
かの有名な夏目漱石が言ったとか言わなかったとか、諸々の尾鰭が付いて回る話だ。
I LOVE YOUを、かの文豪は月が綺麗ですねと訳したんだとか、いやそんな事無かったとかそんな話。

そんな話が適当な返答をした後になって、私の頭の中に浮かんできた。

えっ……この後輩、今私に告白したのか……?

分かるまでタイムラグがあったが、分かってしまってからはこちらが恥ずかしくなってきてしまった。

なんで私の方が恥ずかしい思いをしているんだよ。

そんな突っ込みを自分にしながらも、徐々に顔に熱が集まってくるのがわかった。
耳元で心臓の音が聞こえる。

「あっ、あのさ……」

私は月の方に向けていた視線を、横の後輩の方へと移した。

「はい?」と同じく空を見上げていた後輩の顔がこちらを向く。

コイツ、無駄に顔は良いんだよな…。

そんな生意気な後輩の顔に見惚れている自分が妙に照れ臭く、こそばゆい。
いやいや、意識し過ぎだろ私。

「なんすかセンパイ?月が綺麗なんすよ?」
「いや分かってる……分かってるよ、うん」
「ほら、めっちゃ綺麗じゃないっすか。月」
「分かったから……。そんな何度も言わなくても分かったから……」
「いや、ちゃんと見て下さいよ。ほら」
「えぇ?」

余りにもしつこく言うので、もう一度私は月を見てみる。
そして思わず声を失った。
月が先程よりも眩く光り輝いていた。
後程調べて知ったのだが、この時の月は数年に一度のスーパームーンで、その月光は確かに、普段の月とは異なった物となっていた。

「おお……確かにさっきよりも……」
「ね?綺麗でしょ」

そう言って後輩は普段のように間抜けに笑った。

なんだ……私の勘違いか。

「ふふっ……はっはっはっ」
「え?センパイどうしたんすか急に」

横で急に笑い出した私に畏怖を抱いたのか、若干遠ざかる後輩。

あぁ、誰かさっきまでの私をぶっ飛ばしてくれないかな。

こんな勘違いをさせた文豪に無償に腹が立ってきていた。

八つ当たりとばかりに、私は一歩後輩の方に踏み出してから、尻に向かって蹴りをかましてやった。

「いって!」
そう言う後輩を更に私は笑ってやった。

何が月が綺麗ですね、だよ。
なんだこの気分は。

君よりも、夜空の月が、綺麗でさ。

575の短歌を思わず詠んでしまった。
季語無し。

「月ばっかり見てんじゃねえよ、バカ」

私の勘違いを嘲笑うように、微笑むような月は、一人孤独な夜空の中でまた輝かしさを増していった。

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