斎王からの伝言[創作]6
6 善く生きる
3月上旬の土曜日、午後からチラホラと雪が降っていた。コウはお気に入りの紫色のコートを着て、メディアテークに来ている。図書館、イベントスペース、ギャラリー、スタジオからなる公共施設だ。一階にはカフェがあり、パニーニを注文して図書館で借りた本を眺めながらパクついていた。
「お待たせ~」身長180㎝の巨漢がコウの目の前にやって来た。黒いコートで何故か頭に年中サングラスを乗せている。ポリシーらしいのだがコウはその事をいつも恥ずかしく思っていた。彼は10年来の友人でゲイだ。
「あれ、タツ君だけ?ホウ君はどうしたの?」ホウ君はタツ君のパートナーでいつも一緒に行動することが多く、タツ君と会うときには必ずついて来た。ホウ君は中国人留学生で東北大学に通っている。
「今日外せない集まりがあるからって大学に行ってる。」申し訳無さそうに、コートを脱いで正面に座った。
「なんだ~聞きたい事があったのに。必要な時には来ないんだもんなぁ。使えない奴だ。」コウの容赦ない物言いに、タツ君は困った顔をして「気功なんて、また漫画の題材にするつもりなんでしょ。どういうストーリーを考えているの?」といきなり本題に入ってきた。
「その前に何か注文してきたら?」ここのカフェはカウンターで直接注文をする様になっている。「行ってくる。」ノソノソとタツ君はカウンターに向かっていった。
当てが外れたので、どうしようかと思っているとタツ君が戻って来て、「カレー頼んできた。」と言いながら席についた。【しっかり食べるのか…】ストーリーもプロットもまだ何も準備していなかった。アイデアだけでも話をして意見を聞いてみようと考え直し、今回の目的を切り替えた。
コウ「まだ漠然としているのだけど…山崎まどや伊藤計劃の作品ってディストピアじゃない。その逆となる世界を描きたいんだよね。とにかく人は簡単に操られて死なないし、殺人も戦争も頻繁には起きないの。和風白魔法みたいな[何か]が世界にはあって、でもだからって[何か]が全部を統一したり、解決する訳でもなく、ちゃんと醜さや和風黒魔法も存在できる世界観を描きたいんだ。」
「へーいいじゃない。面白そう。[善い何か]は在るけど多様な世界を創りたいんだ。」彼は中卒なのだが、物事を極限まで追求するタイプで偏った深い知識を有している。ホウ君とも東北大学で行われた社会人対象のイベント研究企画に参加して出会っていた。
漫画も昔は描いていて、投稿作品で賞を貰った事があり、ガロ編集者の目に留まった事もあった。今は、よく分からないがコンテンポラリーダンスとか、ギターで他の人達とセッションをしたり、映像を作成しているらしい。自称ギタリスト・コンポーザー・ディレクター・エンジニアでアーティストだ。
「日本には言霊信仰があるでしょ。伊勢に行って、斎王という存在を知ったって前にも話したよね。それをヒントにソクラテスの[善く生きる]というクリアな世界を日本バージョンで描けないかと思っているんだ。」コウは注意深く考えながら話した。自分の中の思いを言葉にするのはとても難しい。発した言葉に違和感を覚えるとイメージが一瞬で消えてしまう。
タツ「アリストテレスは[最高善]という概念を創ったけど、日本なら天照大御神がその象徴かな。」注文したカレーが運ばれて来たので、イソイソと食べ始めた。
コウ「伊勢に行った時に、倭姫の物語の絵本を購入したんだ。その中に[倭姫命(やまとひめのみこと)の言葉]として[人は天下(あめのした)の神物(みたまもの)なり 心神(たましい)を傷(いた)ましむることなかれ]という一文があるの。
これって[善く生きる]という精神に通じているんじゃないかって思うの。実際、斎王が伊勢に来ていた660年間、世の中は穏やかだったって伝えられているし、争いは1/2、地震は1/3と斎王がいない時代と比べて少なかったんだよ。」
カレーを食べながら聞いていた彼が、呆れたように「数えたの?」と言って笑った。
コウは少しムッとしながら「斎王の存在意義に根拠が欲しかったからWikipediaで調べて数えた。」と言って、図書館から借りてきた本をパラパラと目繰り出した。作家の五木寛之が望月勇というイギリスと日本で気功治療を行う気功家を対談相手に書いた『気の発見』だ。
タツ「だから気功だったのかぁ。人間が発する意識というかエネルギーがどう周りに影響を与えるのか、ホウに直接聞きたかったんだね。中国は気功の本場だもんね。」
コウ「うんそうなの。でも気功だけじゃなくて、インドのヨガも調べてる。」望月勇は、ヨガの指導者でもあった。
タツ「ヨガ?ダンスとは違うから分からない世界だよ。」カレーを全部食べ終えて、まだ物足りなそうに水を飲んだ。
コウはニヤニヤして「ユートピアの世界をタツ君なりに考えてくれたら、ここのデザート何でも一つ奢るよ。」と言った。
正直、全く何も思い浮かばず行き詰まっていた。ミキとエマは、ストーリーの設定には携わらない。三人で好きなように話し合ったことを元にコウが作り上げ、またそのストーリーについて三人で話し合うスタイルになっていた。
タツ「う~ん。ユートピアね…。コウさんは、[まどか☆マギカ]みたいな世界観を創りたい訳でもないしなぁ。とても良い作品だと思うけど、負のスパイラルで、ディストピアだし、結局根本的な解決には至ってないしね。
でもユートピアなんてものは現実の世界には存在しえないって思う。だからプラトンは本物の世界を[イデア界]と名付けて、もう一方の[生成界]はそもそもイデア界の影を見ているのだから、故にリアルユートピアは無いって事な訳。」
コウ「プラトンの説の一部分だけを抜き出して自分の都合の良いように言っているだけじゃない。タツ君は、リアルユートピアの世界は、妄想の中でも表現出来ないって言っているの?」
タツ「だって本物の完璧な三角は現実世界には無いんだし。」
コウ「私は完璧なユートピアではなく、不完全なリアルユートピアを描きたいの。」
タツ「う~ん。言いたい事は分かるけど。自分もリアルユートピアという世界がどんなものか想像出来ない。」困った顔をして、少し黙り込んだ。
タツ「リアルね~…天国は、皆で協力しあって生活してるっていうし、天国も地獄も全く同じ環境と状況だけど、対処の仕方が違うって話があるくらいだから、現実の世界も同じなんじゃないかな?シャンバラになるも桃源郷になるも人間の対処次第って事。」
コウ「対処次第ね…じゃあその対処の基準って何?」
タツ「ちょっと、苛つくから産婆術を使わないでくれる。」
コウ「ゴメン。甘い物食べたくなってきたね~。タツ君は何食べる?一緒に行って選ぶ?」
タツ「お言葉に甘えて、ケーキアソートを食べたいと思ってたんだ。飲み物もいいよね。カプチーノ HOTで注文お願いしま~す。」
「分かった。」コウは苦笑いしながら席を立ちカウンターに向かった。
コウ【ソクラテスは必死になって善く生きる為には、徳を身につける必要があり、徳を身につける為には、物事の本質を知ることだと考えて、言葉を使って知識人達に「勇気」とか「正直」の本質を問うたけど、結局みんな分からなかったし、恨みをかって死刑にされてしまった。
プラトンは、イデア界を創り出して、本質はイデア界に在るとした。魂がイデア界の善なるものを想起すれば善く生きることが出来て幸福に近づけるなら、イデア界の悪なるものを想起して不幸に近づく人もいて…でも幸福なんて主観的で、アリストテレスが唱える最高善を希求するという滅茶苦茶レベルが高い事を強制できるものではないのだし、そもそも幸福感は快楽なんだから、快楽の延長線上に最高善があるの?
それにどうしても善を崇高で中庸とする位置付けに抵抗感があるんだよな。善が崇高で中庸なら、自分は一生善側には近づけないからかな…あれ?私は善側にいたいのか?…また戻った。これで何回目だろう。】数えるのももう止めていた。
【ループになる原因は、きっと私自身の何らかの思い込みが邪魔しているに違いないけど、何が邪魔しているのか自分では分析できない。】何とか視点を変えたいと足掻いてはいたが、どうすれば良いのか方法が分からなかった。
コウは、カウンターでデザートの注文と会計を済ませ席に戻った。「結局、何が幸福かなんてそれぞれが主観で判断するしかないのだから、それをレベル高く統一しようとする事自体が無理なんだよ。」
タツ「また相対主義に帰結したんだ。これで何回目?」と言ってニヤリとした。
コウ「西洋哲学ではこれが限界って事だよ。」と自分の知識の浅さだとは言わず、知ったかぶりをして言ってのけた。
コウは、自分では問題を解けないからって諦める訳にはいかなかった。なぜなら、親を家族をそして人を普通に愛していたからだ。