掛橋沙耶香よ、永遠なれ
君をもっと知りたい。
2024/08/10、個人ブログで掛橋沙耶香さんの卒業が発表されました。
いやはや、彼女が活動を休止してから約2年が経過しており、このような結末は誰しもが頭をよぎっていたと思います。とはいえ、実際に現実になると寂しさが沸々と湧き上がってきますね。
近い将来、彼女のブログは閉鎖されるでしょう。この投稿を含め全ての投稿が見れなくなってしまう前に、彼女の存在やこれまで紡いできた言葉を反芻したいと思います。
ちなみに、最新の投稿に載せられている写真で掛橋沙耶香さんは2024年8月現在の最新の制服を着用しています。つまり、これが彼女の現在の姿なんですね。
何はともあれ、彼女の元気な姿を見れて安心しました。今の彼女の姿からは過去に大きな怪我をしたことなんて想像も出来ません。可愛らしい姿をそのままに、大人っぽい雰囲気を纏ってより魅力が増したように思います。
2024/08/19には、事前収録した卒業セレモニーがYouTubeで配信されるとのことです。掛橋沙耶香さんの乃木坂46としての最後の姿を目に焼き付けましょう。
さて、活動休止中の掛橋沙耶香さんに対する僕の気持ちは、以前の記事で書いた通りです。
僕は乃木坂46が大好きであり、掛橋沙耶香さんのことも大好きです。そして彼女達には幸せになってほしいと考えており、掛橋沙耶香さんが自分の意志で卒業を決断したなら僕はそれを尊重します。
今回は掛橋沙耶香さんの卒業発表を踏まえ、現在の僕の思いや見解、考察をアウトプットしていきます。正直、まだ心の整理がついていないので、整然とした文章を書けていないかもしれません。
掛橋沙耶香らしい卒業
掛橋沙耶香さんが卒業を発表したブログを読んだ時、僕はこの卒業の仕方は如何にもさぁちゃんらしいと思いました。どういうことなのか、詳しく述べていきましょう。
掛橋沙耶香さんは、乃木坂46の活動を休止してから3件のブログを投稿しています。それぞれの投稿日は古い順で2022/11/02、2023/04/02、2024/08/10です。
1件目は事故発生から約2ヶ月に投稿されており、その時点では治療が続いていることが読み取れます。
2件目は、前回から半年後に投稿されてました。普通の日常生活を送れるほどに回復してはいるものの、引き続き治療が施されていることが書かれています。
そして3件目は前回から1年以上の時間を空けて投稿されました。病院の先生に相談したという枕詞の後に、海外へ行ったことやダンススクールに通ったことが述べられています。
枕詞をもとに考えると、治療はまだ継続すべきではあるものの、定期的な通院回数をかなり減らしても差し支えないほどに回復していることが想像できます。
海外へ自分探しに行ったり、卒業セレモニーを開催して歌やダンスを披露できたりするのはそれ故でしょう。もはや全快と言えるのだと思います。
さて、心を落ち着かせて3件目を読んでみると、ふとした疑問が生まれます。
海外へ行ったことやダンススクールに通ったことから推察すれば、その時点で掛橋沙耶香さんは体調面において乃木坂46の活動に復帰できる状態だったのではないでしょうか。
しかし、事実として彼女は復帰しなかった。
そして、自分探しを目的に海外へ行っていたというのであれば、多くの時間を海外で過ごしていたと考えるべきでしょう。
モデルプレスのインタビューでは「海外はいろいろなところに行っていた」とか「韓国にも何度も行きました」とか、その様子が想像できる回答をしています。
それは突発的ではなく、予め計画を練って実行されるのが普通だと思います。
となると、実はかなり前から乃木坂46の活動に復帰できるほどに体調は回復していたと考えられます。もしかしたら、2024年1月時点ではすでにそのような状態だったのではないでしょうか。
これは乃木坂46の公式サイトに掲載されていた情報をもとにした見解です。
乃木坂46の公式サイトにはニュースページがあります。このページには、乃木坂46のLIVEやイベントへの出演情報が頻繁に投稿されます。
そしてそのような投稿のほとんどには、メンバーの不参加情報も合わせて掲載されます。掛橋沙耶香さんの名前はよく不参加情報として記載されていましたね。
細かい情報なのですが、掛橋沙耶香さんの不参加情報の表現が2024年1月以降とそれ以前で微妙に変化していたのです。
僕が調べた限り、2023年で最後に掛橋沙耶香さんの不参加情報が掲載されたのは2023/10/31の投稿です。この投稿では「治療のため全て不参加とさせて頂きます」という表現でした。
そして2024年、最初に掛橋沙耶香さんの不参加情報が掲載されたのは2024/01/15の投稿です。この投稿では「活動休止中のため、休演いたします」という表現でした。
これ以降の投稿では活動休止中という表現が繰り返し利用されるようになり、治療や療養という表現が見受けられなくなっていきます。
この表現の変化や掛橋沙耶香さんのブログをもとに考えると、2024年1月時点で彼女の体調は乃木坂46の活動に復帰できるほど回復していたものの、敢えて活動休止を続行していたと読み取れなくもないのです。
もちろん、主張の根拠とするにはあまりに脆弱な情報を用いていることは自覚しています。
乃木坂46の運営陣にとっては不参加という情報を公開できればそれで事足りる投稿です。であれば、そこまで実情を詳細に反映した投稿文にはなっていないでしょう。
しかも、2023/10/31以前の投稿では「活動休止中」を用いているものあれば「療養中」を用いているものもあります。
このような表現のばらつきを考慮すれば、単純に用いている言葉が違うだけということも十分に考えられます。むしろそう考える方が自然だと思います。
とはいえ、たとえ程度は低くとも論考材料として一定の価値があることも事実です。感覚的な解釈にせよ、脆弱な論考にせよ、僕は掛橋沙耶香さんは2024年1月時点で乃木坂46の活動に復帰できるほど回復していたと思うのです。
そして、卒業を発表したブログには下記の文章があります。
最後にある、もう未練はありませんでしたという一文がとても印象的ですね。
これらの要素から察するに、たとえ体調面は復帰できる状態であっても彼女の心はすでに区切りをつけて次の未来を見据えており、乃木坂46からの卒業を決意していたことが想像できます。
復帰しようにも、他にやりたいことへ気持ちが向いてしまっていたというような雰囲気を感じます。
こういうどこまでもあっさりしたというか、飄々というか、自由奔放で一つのことにあまり拘らないというか、風に吹かれる羽のように、気分の赴くままふわっとどこかへ行ってしまうような感じは実に掛橋沙耶香さんらしいと思います。
誰が何をどうしたところで、掛橋沙耶香さんという人間を引き止めたり縛りつけたりすることは出来ないと思わされます。
とはいえ、彼女は乃木坂46やそのメンバーを決して軽んじているわけではないはずです。
ただでさえ卒業を発表したブログは「大切なご報告」と名題されています。しかも、下記の文章によって乃木坂46のメンバー達との繋がりが謳われています。
掛橋沙耶香さんの中で乃木坂46のメンバー達、特に4期生は彼女の意志を尊重して背中を押してくれるような存在なのでしょう。
いつもお互いの存在を想い合えるほどに彼女達は強固で自然な繋がりをもち、それはもはや乃木坂46に所属しているかどうかに左右されるものではないのだと思います。
なお、この章ではあくまで見解や考察を述べているのみです。掛橋沙耶香さんが体調が回復しても乃木坂46の活動に復帰しなかったことを咎める意図は一切ありません。
筋を通す卒業
前章の内容を踏まえると、今回の卒業発表はかなり計画的なものだったと考えられます。卒業自体はかなり前から決定していて、最適な日程を待った上で卒業発表のブログが投稿されたのではないでしょうか。
そして、事前収録とはいえ卒業セレモニーを開催することに僕は掛橋沙耶香さんの誠実さを感じました。どういうことなのか、こちらも詳しく述べていきましょう。
以前の記事で、僕は彼女の卒業やその方法を予想していました。いつかのLIVEに一度だけ復帰して挨拶を述べるという予想は概ね的中したと言えます。
僕はずっと掛橋沙耶香さんの活動復帰を期待していました。
そして彼女はその期待に応えてくれます。だからこそ僕は今、寂しいとはいえ彼女の未来に幸多きことを願ったり卒業を祝福したり出来ています。
というのも、卒業セレモニーを開催するということは、瞬間的とはいえ掛橋沙耶香さんは乃木坂46の活動に復帰するということです。この時点で僕の期待には応えられています。
そして、彼女の歌い踊る姿を観客へ届け、最後の言葉を述べた上で卒業するのです。
この一連の振る舞いが彼女の卒業に強烈な正当性と納得感を生み出しています。僕を含め、これまで彼女の復帰を待ち続けてきたファンに対して筋を通していることは明らかですね。
もちろん、単にブログで卒業発表して乃木坂46を去るという選択肢もあったでしょう。
約2年も活動を休止していたのであれば、そのような選択肢を採ることの方がむしろ現実的なのかもしれません。モデルプレスでの取材で、その選択肢がよぎっていたことが読み取れます。
しかし、掛橋沙耶香さんはきちんとファンへ最後の姿と言葉を届けることを表明しました。ここに僕は彼女の誠実さを見たのです。
また、この誠実さはファンのみならず、当然ながら乃木坂46や4期生にも向けられていると思います。
11th YEAR BIRTHDAY LIVEで、遠藤さくらさんは4期生の各メンバーに言葉を贈っており、もちろん掛橋沙耶香さんにも言葉を贈っていました。
そうなんです、掛橋沙耶香さんは4期生に必要不可欠なんです。
だから彼女は、自分が立つべき場所を空けておいてくれた乃木坂46と4期生のもとにきちんと帰ってきて、正式な手続きを経て乃木坂46以外の夢を叶えるために卒業するのです。これは喪失ではなく、旅立ちです。
なんと鮮やかなけじめのつけ方でしょうか。もはや誰しもが彼女の幸せを願わずにはいられない、彼女の背中を押さずにはいられません。
この誠実さは、これから掛橋沙耶香さんが取り組むと言及している慈善活動で大いに発揮されることでしょう。彼女は間違いなく幸せになるし、間違いなく誰かを幸せにしていくはずです。
僕の気持ちを繋ぎ止めたもの
個人的なエピソードを語ります。
僕はこのエピソードのおかげでずっと掛橋沙耶香さんを大好きでいられたし、これからも彼女の大好きでいられると思います。
2024/01/29(月)、自宅のポストを開けてみると何やら不審な郵便物が入っていました。表面には、当時活動を休止していた掛橋沙耶香さんの名前が記載されています。
このような投函物に全く心当たりがなかったため激しく動揺しました。あの時の僕にとってこれは怪文書以外の何物でもなかったのです。
怖くなったので未開封のまま捨ててしまおうと思いましたが、裏面を見ると株式会社ソニー・ミュージックレーベルズの署名がありました。
調べてみると、確かにこの会社は存在している。しかもこの会社の100%株主である株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントは乃木坂46の運営に大きく関わっている。
これはもはや怪文書ではなく、正式な書類か何かだと勘付きました。
恐る恐る開封してみると、乃木坂46のベストアルバム「Time flies」発売記念スペシャルプレゼント秘蔵生写真に当選したという書面と掛橋沙耶香さんの生写真が入っていました。
「Time flies」は2021年12月に発売されました。その発売記念の特典が2024年1月に届いたのです。書面によると、コロナ禍の影響で発送が遅くなったとのことでした。
この特典は応募者から抽選されるものだったらしく、僕は自分が応募したことを完全に忘れていたのです。応募当初は、当選しない前提で応募するだけしてみたという心持ちだったのでしょう。
もはや、写真だけが時空を超えてポストに投函されたような感覚でした。
当時の僕は、いつ訪れるか分からない掛橋沙耶香さんの復帰ずっと待っていました。信じて待つことしか出来ないというのは、今思うと想像以上に辛かったです。
そんな僕にとって、この生写真はその気持ちを繋ぎ止める糧になりました。
何の音沙汰もないまま掛橋沙耶香さんの存在が思い出になっていき、いつしか推しメンじゃなくなってしまうことを予防するような効果を発揮してくれました。
僕の大切な宝物です。
掛橋沙耶香さんが乃木坂46に復帰するため治療やリハビリを頑張っていることを僕に思い起こさせ、いつか訪れるその時に彼女へ「おかえり!」と言える心構えを作っておかなければならないことを再確認できました。
ちなみに、書面の内容を鵜呑みにすれば、僕の境遇と同じように約2年越しでプレゼントが届いた人は何人かいてもおかしくありません。その中で掛橋沙耶香さんの写真が届いた人はどれくらいいるのでしょうか。
思いは一緒です。
2024/08/19、我々が夢にまで見て心待ちにしていたその瞬間がついに訪れます。掛橋沙耶香さんの復帰と旅立ちが同時に行われる卒業セレモニーへ、みんなで祝福と応援の気持ちをもって臨みましょう。
まとめ
掛橋沙耶香さんが卒業することを知った時、僕は解放された気持ちになりました。
前章でも触れた通り、掛橋沙耶香さんの復帰を信じて待つことしか出来ないというのは、本当に辛い苦行のようでした。
やっとです。
やっと乃木坂46のLIVEを観る時に「本来ならここに掛橋沙耶香さんもいるはずだったのに」という残念で悲しい気持ちをもたなくて済むのです。
掛橋沙耶香さんが正式に卒業という手続きを経てくれることで「きっとどこかで掛橋沙耶香さんもこのLIVEを観ているはず」という安心感のもと、乃木坂46のLIVEを観ることが出来るようになりました。
彼女の誠実さに救われたように思います。
繰り返しですが、僕は乃木坂46が大好きであり、掛橋沙耶香さんのことも大好きです。彼女達には、彼女には幸せになってほしい。
どうか、掛橋沙耶香さんの未来に幸多きことを祈ります。
僕は君を忘れない。幸せになるんだよ。
以上、「掛橋沙耶香よ、永遠なれ」でした!!