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【無】令和のええじゃないか

Xで、幕末期に流行した「ええじゃないか」の画が流れてきました。
それを目にしてふと。

幕末のええじゃないかは國體が仕掛けたことはすでに落合莞爾氏が著書で書いています。
國體が國體ファンドから支出しておおがかりにやりました。
國體奉公衆も多く稼動して盛り上げました。

ええじゃないかは民衆がどんちゃん騒ぎしました。
そして、明治となり。
國體は「オホヤケの代」を始めました。
ええじゃないかは「オホヤケの代」の予告です。

「オホヤケの代(よ)」は、漢字で当てると「公の代」です。
ここでいう公は民衆のことです。
これまで歴史的に王や貴族などが国家や領土の為政者であったのが、民衆が政治を行う公議政体に移行しました。
そして、いまを見て分かるように、日本に世界にぐちゃぐちゃになっています。
船頭が国民分となり、そんな船頭が最大限多い政治が成立するはずがありません。

地球が次世代に移行する直前が「オホヤケの代」ですが、それは國體なりに理由があります。
理由は、これまで書いてきた記事の総体のようなものです。
とても複合的です。

わたしが見てきたこれまでの國體のやり方として、わざわざええじゃないかを仕立てて嚆矢代わりにしたのであれば、終幕にも何か用意するのではないか、と思え。

1971年からの真の「(いわゆる)風の時代」が60年で2030年いっぱいであり、2031年から次世代に移行と國體がしているのであれば。
2030年頃に何かまた令和のええじゃないかを企画するのではないか。
「オホヤケの代」の終焉なので、終焉になる側の主役である民衆がそういうことをやるとも思えないので、別が主体でやるのではないかと思います。

それまでにどれくらい「オホヤケの代」の社会構造が壊れているのか想像もつきませんが、次世代はなにでしょう。
落合莞爾氏は「ウカラ・ヤカラの代」としましたが、一族や血族の価値が再認識される世の中になるというのは一つの諸現象であって、骨(かばね)の代、職(つかさ)の代、名(みょう)の代、公の代というこれまでの代に比べたらレイヤーが下がっているように思えます。
代には政治を担う主体が表現されているので、次の政治を担う主体はなにでしょうね。

わたしだったら・・・「英(はなぶさ)の代」かな?
そういう社会変化があるかも分かりませんし、わたしの希望でしかありませんが、民衆が政治家を選ぶ代議制からの移行。
英は英雄や英才など「すぐれる、ひいでる」の意味があるので、すでに社会で結果を出している人々が政治家となって舵取り。

で、英を「はなぶさ」と読ませたのにも理由があって。
もともと英は「はなぶさ」とも読み、これは花の花弁の付け根あたりの外輪の緑の部分で、花がつぼみの時に緑で覆っている部分です。
あくまでも「英の代」はさらに次世代へのつなぎであり、そう長くない前提で、次が本命の「皇(すめらぎ)の代」。
「皇の代」が花咲いた状態で、はなぶさに対応です。
(なかなか綺麗な対比でしょ?(笑)自画自賛)

「皇の代」は、國體と政体の和合の代であり、天皇が政治の中心にある、真の親政の時代です。
その頃には、世界は全く違ったものになっているかもしれません。

わたしは YouTube の動画で、各惑星において國體のような存在はS層公認と説明しました。
つまり、どの惑星の政治もいきついている先は國體勢力が各惑星を代表した政治の担い手になっている、ということを意味します。

まだ note や YouTube でも触れることはありませんが、日本や日本人だけが世界でもちょっと特殊な立ち位置にあるのは、ひいき目でも勘違いでもなく、なりゆきでなんとなくでもなく、S層が設定したルールが関係しています。

地球という惑星が成熟度で低く、S層が設定したルールを惑星全体で対応できないからです。
惑星全体で対応できない結果、対応しているのが日本です。
ということは、地球の成熟度が高くなったら・・・?
今日本人だけが受けている恩恵が地球規模となり、世界中が日本人ではないにしても・・・
ちなみに、海外の國體関係者含め、國體の公用語は日本語です。

だいぶ話が脱線してしまいました。
令和のええじゃいか。
あるとしたら、どんなものでしょうね。

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