全て年の瀬の所為
※この記事は純然たる愚痴です。
11月某日。第32回美浜美術展にて福井新聞社賞をいただき受賞式のため福井県は美浜町へと足を運んだ。
そこで審査員の安達博文氏からのこんな言葉があった。
「受賞者のみなさんは活躍する義務があります」
自分たち審査員が自信をもって選出した作家なのだからそんな作家たちが美術の現場で活躍しないなんてことがあっていいわけがない。そんな感じの意味だ。
もちろんぼくもそのつもりだしそのためだけにこの十数年生きてきたという自負くらいはある。
他の審査員の方にも「個展やりなよ」「なんでやらないの?」といろいろ激励をいただいた。
今回の美浜美術展の受賞だけではない。ここ数年はほぼ毎年コンスタントに入選、入賞を獲得している。コンペだけではない。一般公募作家として出品料を払っていろいろな企画展示に参加もしている。
かつて何度かお金を払って出品したギャラリーなんかも何軒かあるんだけど結局今に至るまでぼくに声をかけてくれることはほぼ無い。
もちろんぼくが「コンペで箸にも棒にも掛からない実力不足な作家」だっていうのならそれは自己責任だし納得するしかないんだけど上にも書いた通り対外試合ではそれなりに結果は出せている。それでもぼくには声がかかることはなくて、逆にコンペなどの対外試合では全く受賞歴のない作家にはギャラリーは積極的に声をかけてたりする。
そんな中でぼくら作家だけが一体これ以上何をどう頑張ればいいのか。いわゆるパズルアクションゲームでギミックが解けず止まってしまった時、プレイング技術が問題で先に進めないのか、それともパズルギミックの解き方自体が間違っているのか、それがわからず詰まってしまった時のような気分。とにかく美術ギャラリーの選考基準がぼくには分からない。
ギャラリーと仲良しこよしの評論家からは「不満があるなら結果を出せ」と言われてしまう始末だ。
出してますけどもしかしてプロフィールをご存じない?
年の瀬っていうのは美術ギャラリー界隈では各ギャラリーお気に入りのいわゆる「人気作家」様をそろえた展示を開催する時期だ。この「人気作家」様というのは別に何かコンペなり審査なりを勝ち抜いて実力を認められてその座をつかみ取った人たちではない。なんかよくわからないけど少なくとも関西美術界ではギャラリーとそこのお客さんたちに気に入られることで「人気作家」と呼ばれるようになった人々が大半だ。申し訳ないが実力的にもプロとして尊敬されるべき人はほとんどいない。
ただ「人気」がある。それだけ。
お客さんからの人気はもちろんだが外ならぬギャラリストからの「人気」が厚い、それが「人気作家」様の正体だ。
仲良しこよしの馴れ合いだから仕方ない。
ぼくに関しては今年も例年の如く作品展示、作品制作の依頼などの案件の類は何一つとしてもらうことはできなかった。
有償のものはもちろん無償の展示の話すら一件たりとも来ることはなかった。
死んだほうがマシだ、死ぬ勇気が無いからただ生きてる。
恐らく2022年も何某かのコンペには出し続けるだろう。
何よりほかの活動の仕方が思いつかない。今は悔しさというより怒りの感情しかない。
そんな感じ。やってらんない。
全て年の瀬の所為にして。
生きることで精いっぱいです。