「独学」作家を名乗らない
ヌルヌルのスキンヘッド越しに眺めるスカイツリーは
どこかいつもより誇らしげに見えたんだ。(関西在住)
春ですね。
春ですがお先は真っ暗、尾崎はジャンボ。
また再び画家はお休みしてお外にお勤めに出ないといけないかもしれないと打ちひしがれています。
一応今のところ美術作家活動をしているわけだけど今後のことはどうなるのかわからん。
暦の上の季節は啓蟄だがぼくの気分は冬眠模様である。
基本的に現代の美術作家には2通りの経歴がある。
・芸大、美大出身
・芸大、美大出身ではない(イラスト系専門学校出身者も含む)
ぼくはいわゆる一般大学の人文系学部芸術学科卒、教育系大学院修了なので芸大美大には通っていない。
ぼくの経歴を知った人から善意で「独学作家」と呼んでもらうことがあるんだけどぼく自身は率先して「独学」を謳わないようにしている。
マーケティング的には「独学アーティスト」を前面に押し出した方がたぶん楽だと思う。キャラ付けになるしね。
実際SNSのプロフィール欄にも「独学」の文字を掲げている人はちらほらいる。
個人的に思うところがあってぼくは自称はしてない。
理由は2つ。
1つ目は芸大受験をするために芸術予備校に通っていた経験があるから。
高校3年の冬季から通い始めて、浪人になってからはバイトをしながら合計2浪した。自分で授業料を貯めながらだったからいわゆる夏、冬、直前の集中講義の時だけの通学だったので年間4か月くらいしか通学はできてないが一応予備校で基礎教育は受けている。
ご存じの方もおられるだろうが具体的な指導に基づきカリキュラムを組み日本のアーティストの技術力を下支えしているのは大学ではなく芸術予備校である。
そういう意味では予備校に飛び飛びとはいえ通学していた経験があるのは純粋な意味での独学とは言い難いのではないかという配慮がある。奥ゆかしすぎて禿げそう。
2つ目は率先して独学を売りにしているアーティストの作品に感銘を受けたことがなく同列にされるのが嫌だったから。
角が立つけど本当のことだから仕方ない。
いわゆる独学作家の作品っていかにも「あぁ独学なんだな」っていう技術力と作風なのがアカデミックな芸大教育を受けたアーティストよりも何倍も紋切型でつまらなく感じる。いわゆる安易なイラストやペインティング系、荒いタッチによる未完成っぽさを狙った作風などなど。
独学っていうのはアカデミックな教育を受けていないという意味ではない。既知未知問わず創作に関して必要な知識や技術を独力で学ぶことだ。
学ぶから独「学」なんだ。
ただ単に芸大生より下手なことを独学ならではの個性や味みたいに悪い意味で自己肯定している作家が多いように見えてぼくはそことは一線を引きたかった。
受験生活を終えてからも並みの芸大生よりデッサンしただろうし複数の画材の技法を独力で勉強研究したと自負はしてるけど実際それも一流の芸大という環境で修業した人たちからしたら掌の上のレベルの研究でしかないと思ってる。
これからの日本のアートシーンを支えるであろう人たちが予備校の同期にいたんだけど同じ教室で一流の才能を持った人たちと勉強して過ごすとそれだけで自分を含め周囲の人間の能力が引き上げられる現象をぼくは経験してきた。一定水準以上の芸大っていうのはそういう環境なんだと思う。
同じ環境でお互いを引き上げあった芸大美大卒業のアーティストと肩を並べるにふさわしい勉強量をぼくが維持できていたかというと甚だ疑問である。
ぼく自身は自己紹介として「芸大には行っていない」とだけ答えるようにしている。
これは事実ではある。でも武器ではない。
だからと言ってよ、独学作家と呼ばれること自体は嫌な気分になるわけでも何でもないのでどんどん「独学なのにすごい」みたいな文脈で紹介していただく分には非常に喜びます。靴舐めちゃう。(^ω^)ペロペロ
生きることで精いっぱいです。