【実話】モテない中学生だった俺が、世界中で美女とデートできるようになるまでの話。
はじめに。
このブログでは、中学時代非モテだった俺がどのようにして自分を変え、世界中で恋をしながら夢を叶えていったのか、そのリアルな経験を語っていく。そして、それは単なる夢物語ではなく、行動次第で誰にでも手が届くものだということを伝えたい。
もし、今の自分を変えたいと思っているなら、このブログを読んでみてほしい。俺の経験が、少しでも君の背中を押すきっかけになれば嬉しい。
序章:中学生時代の苦い記憶
中学生の頃、俺は完全にモテない男だった。
いや、それどころか、いじめられていた。
クラスで無視されるのは日常茶飯事。授業が始まる前の休憩時間に不良たちに殴られる。
助けてくれるやつはだれもいなかった。
誰にも相手にされない。
『あいつ弱いな』って陰口を叩かれるたびに、心がズタズタだった。
自信なんて欠片もなかった。
鏡を見るのも嫌だったし、部屋に引きこもってYouTubeでドラえもんを見る毎日。
そんな俺が、まさか数年後に世界中の可愛い子たちとデートすることになるなんて、誰も想像できなかっただろう。もちろん、俺自身もだ。
いじめの発端は、中学2年生の時に転校をし、
そこで人気になったからだ。
転校生といえばみんなが注目する。
『何で転校してきたの?』
『特技とかある?』
『面白い話ききたい!』
そこで俺が語ったのが、小学生の時にモテていたという武勇伝。
実際に俺はモテていた。というか、人気者だった。
俺はADHDという注意欠陥の病気で、授業に集中できず立ってふざけていた。だが、それと同時に注目を集めるのが得意だった。
だから女子からも注目を集め、その個性が俺が通っていた学校とは相性が良かった。
この中学でもその個性がはまり、注目を集めたのはいいのだが、変に人気が続いてしまったため、当時そこの学校で有名な不良集団に目をつけられてしまった。
俺は突然不良たちに呼び出されこう言われた。
『お前調子乗ってんな』
そして突然殴られ、そこから暴力を受ける毎日が始まった。
最初は休み時間だけだったのが、放課後も呼び出され、毎日殴られた。
呼び出しに行かなければ、翌日またクラスでボコボコにされるし、家を知られているため、家に押しかけてくる可能性もあった。
それが怖かった俺はとにかく呼び出されたらそこに行き、ボコボコにされにいった。
『このまま死にたい』と何度も倒れた地面で思った。泣きながらアパートの屋上に行って景色を眺めては、人生に絶望した。
当たり前だが、モテるとは無縁の人生。
可愛い女の子を見かけても、声をかける自信なんてなかった上に、みんな俺がいじめられていることを知っていたから、雑魚認定してたし、そもそも"人間"とすら認識なんてされなかっただろう。
実際身長は全然高くないし、喧嘩も強くない。足の速さもそこそこで、勉強もそこそこ。
何の長所もないと、本気で思ってた。
だから何しても無駄だと思ってた。
だが唯一こんな俺にも話しかけてくれる子がいた。
それは小学校の時に同じクラスだったオタクの女の子。
教室の片隅に座ってるような子で、メガネをかけて、一人で読書をしているような子だ。
でもその子は俺と共通点があった。その子と俺はクラスは違ったが、小学校は同じだったんだ。
そういう共通点もあり、その子は俺をジャッジすることなく、ずっとそばにいてくれた。 (しかもまあまあ可愛い)
その子は俺のことを気遣って、授業中も話しかけてくれたし、放課後は一緒にカフェに行ったりもした。家に招待してくれたこともあった。
そして俺は確信した。
『きっとこいつは俺のことが好きなんだ』
非モテはこういう突拍子もない考えを思いつき、咄嗟に行動してしまう。
相手からの優しさを、相手からの好意と勘違いしてしまうんだ。
『こんな俺にこんなに優しくしてくれるということは、、俺のことが好きだからだよな?』と。
そしてメールで告白。
『俺と付き合ってくれないかな?俺もお前のことが好きなんだ』
このメールからも読み取れる、
怖いよな。キモいよな。
何を勘違いしてるんだお前という文章。
"俺も"という、勘違いにも程がある文章も怖い。
タイムマシーンに乗って、今の俺からの鉄拳を喰らわしてやりたいくらいだ。
そしてその子から当然の如く言われた言葉は、、、
『ごめん、、友達としてしか見れないんだ』
おい、、、なんだと、、、
確信していた明るい未来が地に落ち、
目の前が真っ暗になるとはこういうことかと悟った。
そこから俺はこう思うようになった。
『運命は決まってるんだ。何やっても俺はダメなんだ』と。
これがいわゆる非モテ理論だ。
いや、その気持ちはわかる。
俺もたくさん引きずったからだ。
今の俺からすると、たった一度の失敗じゃないかと思うが、その時の俺は人生終わったと思った。
それからというもの、学校に行くのも楽しくなくなり、部屋でひたすらドラえもんと、それに加えてクレヨンしんちゃんの動画を見る毎日。
俺は思った。人生はこれでいい。
もうドラえもんとクレヨンしんちゃんと心中する
そう心に決めたのだ。
しかし、ある日、担任の先生から電話がかかってきた。
『明日は大切な授業だから、必ず来なさい』と。
実は俺の担任の先生はいじめを発見してくれて、助けてくれた恩人でもあった。だから、彼の要望には全て従うときめていた。
そして俺は彼の英語の授業だけを受けることにした。
その日、先生はこう言った。
『マイケルジャクソンが最近亡くなりました。私は大ファンでした。今日はマイケルジャクソンやその他のスーパースターたちが製作した “We Are the World” のドキュメンタリーを見ます』
"マイケルジャクソン"なんて名前すら知らなかった俺は、正直「まあ適当に見るか」と思っていただけだった。
ところが、マイケルの歌声が流れた瞬間、俺の心に雷が落ちた。
なんだ、、、これは。。。
ダンスとの出会い:新しい世界への扉
その瞬間から、俺はマイケルジャクソンの虜になった。彼の歌声、ダンス、圧倒的な存在感。その全てが、俺の中で眠っていた何かを目覚めさせた。
それから俺はYouTubeでマイケルジャクソンの動画を探しては見続け、彼の動きを真似して踊るようになった。
部屋の中で一人で練習を重ねるうちに、ダンスは俺にとってただの趣味以上のものになっていった。ダンスを通じて『自分を表現する』という新しい喜びを知った。
それと同時にマイケルジャクソンの人生にも興味が湧くようになり、彼の生い立ちを調べるようになった。
マイケルジャクソンといえば、世界中からバッシングを受け、誤解されてきたスターの一人だ。
たくさんの根拠のない噂、数えきれないくらいの誹謗中傷。彼はその言葉を受け続け、病んだに違いない。
しかし、それでも彼は多くの人たちの前に立ち、
数万人を魅了していた。
子どもをレイプしたなんて根も葉もない噂やゴシップもあったにも関わらず、彼は世界中の女からモテ続けていた。
俺はマイケルジャクソンと自分が少し似てる境遇にあるんじゃないかと勝手に思い始めた。
俺も学校の奴らから変な噂を立てられ、否定しても、それを面白がるやつも出てきて、いじめられていた。
マイケルジャクソンも誹謗中傷を受け、全世界からバッシングされていた。
境遇は似てるが、違ったのは行動力とメンタルだと思った。
彼は誹謗中傷を受けようが、家族や友人から否定されようが、関係なくステージに立った。誹謗中傷を諦める理由にしなかった。
でも俺は?
いじめをモテない理由と勝手に決めつけ、
被害者ぶっていた。
非モテ理論にしがみついていた。
でも俺は思った。
きっと俺がいじめられたのは、マイケルのように何か輝く才能が眠ってるからなのかもしれない。
そう、あいつらは俺に嫉妬してるんだ。
あいつらは俺の存在そのものを妬んでるんだ。
そしてマイケルジャクソンがモテてるのは才能があるのはもちろんだが、自分の使命のために常に挑戦するという行動力だと考えた。
そう解釈するようにした。
そしたら自然と俺も動こうと考えるようになった。行動しまくろうと。
すると俺の頭の中突如降ってきた。
『俺は世界でモテる。マイケルのようなスターになる』
夢という言葉が。
今まで夢なんて言葉と無縁だった俺が、非モテの俺からは遥かに遠いが、夢を持つことにり、その夢を叶えるために行動し始めるようになったのだ。
第2章:転機。高校で芽生えた変化
転機は高校だった。中学からの悪夢のような環境を抜け出し、新しいスタートを切ろうと足を踏み出した。
『これまでバカにしてきた奴らを見返してやる』
そう誓ったと同時に、心の奥底にずっと眠っていた夢も目覚めた。『可愛い子と付き合いたい』。
いや、もっと欲張って『世界中の美女と付き合いたい』
中学生時代の俺からしたら途方もない夢だけど、高校デビューした俺は、この夢を真剣に追いかけようと決心したんだ。
幸にも、高校には俺のいじめられていた時代を知ってるものはいなかった。
だから俺は教室では静かにしながらも、活発に行動するようになった。
まずは俺がやったのは、
・高校でダンスやスポーツをやってるやつと仲良くなり、陽キャの性格を勉強すること。
・演劇部を立ち上げ、男女が自然と交流できる場を創作。
・ひたすら可愛い子に声をかけ、特技のダンスを披露する。
・カラオケに誘い、必ずマイケルジャクソンの歌を歌い、ダンスを披露する。
・アメリカの人気シリーズ・プリズンブレイク を見て英語をひたすら勉強する。そしてそれを使って、高校に来てる留学生たちに声をかける。
中学の時に担任の先生のおかげでマイケルジャクソンを知った俺は、新しい目標を立てていた。
高校は国際系の高校で、女子が多いところ。
俺のことを知る人がいない場所。
弱音を吐かず、挑戦すること。
人気者になること。
何があっても行動し続けること。
そして中学の時に探していた、国際的な学校で、女子率が高いところを探し、受験をした。
そして俺は無事に合格し、
国際系の高校で、女子率8割、男子率2割の学校に進学することができた。
そこから俺は上記に書いていたことをひたすら行動した。
そして行動し続けたら結果もつくようになり、
可愛い子と友達になったり、いろんなクラスからデートの誘いも来るようになり、たくさん告白もされるように。
人生初のモテ期というやつが到来したのだ。
だが、付き合い方なんて分からない俺はやらかしまくった。
付き合ってはすぐに別れるの繰り返し。
デートと言っても手を繋ぐだけ。
ちょっとご飯に行くとか。体の関係もなかった。
付き合っては別れるを繰り返し、高校一年では元カノが学校内外に12人。同じクラスには元カノ3人という事態。
【アンチこうすけ】というグループできているという、風の噂もあった。
でも、ひたすらに声をかけられるようになり、
可愛い子とも付き合うことができた。
クラスでトップに可愛いと言われる子や、
違う学科でもレベチと言われてる女の子、
違う学校の先輩と付き合うこともあった。
俺は思った。
『マイケルジャクソンやべえ!!』
俺がやったことはせいぜい女の子に声をかけて、
廊下でムーンウォークをしてたくらいだ。そしてカラオケでマイケルを熱唱するくらい。
そんなことでここまで!?と思うほど、
中学じたィアとは180度人生が変わっていた。
まあ環境が良かったのもあるだろう。
男子が極端に少なく、女子が多い。
常にステータスを求めている女の子にとって、
当時の俺は好条件だった。
ダンスができて、周りから注目を集めている。
この権威性が女の子は好きなのだ。
しかし、ここで問題が起きる。
男子たちからの嫉妬だ。
ここで俺はその当時英語学科で、バスケ部で、
不良集団と言われている奴らに目をつけられた。
中学の時と同じパターンだ。
案の定こう言われた。
『お前調子乗ってんな』
トラウマが蘇った。
歴史は繰り返す。そういうことか。
そしてその日これはボコボコにされた。
『先生にチクったら分かってるよな?』
そんな脅しをされた。
しかもそいつらは日本人ではなく、中国人。
今でも覚えてる。リーダーの名前はダイエー。
そこで俺は思った。
『このままだとまた不良に俺の人生をめちゃくちゃにされる。だが、俺はここで負けねえ。ここで変わると決めたからだ。中学の時と今の俺はちげえんだ』
そう思い、俺は懲りずに声をかけ続けた。
そいつらの目線なんて関係なく、そいつらが気になってる子にも手を出した。
その度に廊下ではわざと肩をぶつけてきたり、
当時流行っていたmixiというSNSでボロクソに言われた。
それでも俺はやり続けた。
すると、彼らも諦めるようになった。
『こいつは何やってもダメだ。』と。
そこからは嫌がらせはなくなった。
というか、なんなら仲良くなろうとしてきた。
もちろん気持ち悪いので、無視してたが。
まあそんな感じで俺はメンタルが鍛えられ、高校を卒業する頃には、ダンスやナンパの経験を通じて自信を少しずつ取り戻し始めていた。
新たな目標に向かって。
大学進学先には、世界中から学生が集まる日本で最も国際的な大学を選んだ。
理由はシンプルだ。
自分をもっと成長させるため、そしてずっと心に抱いていた夢、海外美女と付き合うという目標を実現するためだ。
さらに、留学も決意した。異文化に触れ、海外の女性とも出会う機会を増やすために。行動しなければ何も変わらない。俺はその一歩を踏み出した。
大学は大分にある日本で最も留学生が多いと言われている大学に通うことにした。
そしてとにかく声をかけ続けた。
サークルはダンスサークルに所属。
加えてこの大学では国際交流できるイベントがたくさんあり、そこには毎回顔を出した。
フラッシュモブのサークルも作ったし、パフォーマンスの機会があればマイケルジャクソンを踊り続けた。
気づけば俺は、『MJ!!』 (マイケルジャクソン)
と呼ばれるようになり、当時の大学一年生の間では最も有名なやつの一人だったと思う。
そしてマイケルジャクソンと自分が創作したフラッシュモブのサークルの力を借りて、
『平和のためのフラッシュモブをします!そのため、世界中の人たちからの平和のメッセージを書いてもらってます!』と、大学にいる留学生たちに声をかけ、
きっかけを作って、友達になることができた。
(戦略がやらしい。。)
そしてみんなでマイケルのダンスを練習する時間も作り、友達関係にも繋がった。
しかも、マイケルジャクソンは全世界の人が知ってるので、みんなに思いも伝えやすかった。
そして、20歳。大学3年生になって、また大きな転機がやってきた。
第3章:アメリカ留学での新しい出会い
大学3年生になった俺は、ついにアメリカへの留学に旅立った。これは人生を大きく変えるきっかけになった。
アメリカでは、言葉の壁や文化の違いに苦労することもあったけれど、そこで俺を支えてくれたのが初めてのアメリカ人の彼女だった。
彼女との出会いは、TINDERだ。
アメリカはアルコールが21からだったから、あまりクラブにはいけなかった。それはアメリカ人も一緒だ。
そのため大学内でみんなTINDERをやり、仲良くなった人たちとホームパーティーをやるというのが流行っていた。
彼らの家もバカでかいから、そこはある意味クラブのようなものなんだけど。
そして俺は大学内である女の子とマッチし、大学内で出会うことに。
その子からのメッセージは、
『一緒にホームパーティー行かない?行く人探してるの』
『あ、いいね!俺もアメリカ来たばっかりで友達いなかったんだ。助かるよ』
メッセージをしてすぐに会うことになったのだが、俺は緊張していた。
『アメリカ人だと、、しかも日本の大学にいる日本語が話せるアメリカ人と違い、日本にあまり興味がない、生粋のアメリカ人だ。。緊張するぜ。。』
そして突然後ろから話しかけられた。
『Hi! are you kosuke?』
『あ、うん!初めまして!』
緊張で頭が真っ白だったが、その子は満面の笑みになって、ハグをしてきた!
『初めまして!よろしくね!じゃあ行こうか!』
ホームパーティーのことはほとんど覚えていな。
覚えているのはバカでかい家に、でかいプールがあり、俺はそこに飛び込んだこと。
その子にかっこいい姿を見せようと。
そして俺はそこで溺れかけた。
だから記憶がない。
気付いたらある部屋で寝ていた。
アメリカ人の友達が心配してくれて、3人の男たちに助けられたようだ。
『あ、ありがとう。あれ、ケイトは?』
(※仮にここではあの女の子の名前はケイトとしよう。)
周りを見渡してもケイトの姿はない。
そこにいた一人の男性が、
『今は午前4時でみんなずっと前に帰ったよ。ケイトもさっきまでいたんだけど、時間が遅いから帰ったんだ。でも後で来ると思うから、ここで待ってて』と。
俺は思った。
やらかした。。格好つけようとして溺れてるとか。。ダサすぎる。。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
せっかく上手くいきそうだった恋も、始める前に散ったのだと思った。
でもケイトは帰ってきた。
朝8時ごろだったか。
俺は涙を浮かべていた。溺れたことが悔しくて。
しかしぼやけた視線から、僕が大好きなケイトの顔があるではないか!!
『ま、幻か?』
きっとそう言ったに違いない。
そして彼女は口を開いた。
『hi!! kosuke!!! げんきー?そういえば、今日空いてる?せっかくだからカヤックにいこうよ!』
俺は耳を疑った。
こいつは何を言ってるんだ?
元気なわけねえだろ!!!!!
てかなんだそのハッピーなテンション。
普通は、"心配したよー!"みたいな言葉とか最初に言うもんじゃないのか?
しかも俺はさっき溺れかけたんだぞ?
そんな溺れて死にそうだった俺を、これから川に行ってカヤックをしよう!だと!?
トラウマを永遠に植え付ける気なのか!?
殺す気なのか!?
サイコなのか!?
そう思い、俺はこう言い放った。
『うん!!!いこう!!』
頭がおかしいのは俺の方だった。
気付いたらカヤックに行こうと言われる前にイエスと言っていた。
恋は盲目とはこの事だ。
好きな子が目の前にいたら、もう判断力なんて猿以下なのだ。
そして朝9時には彼女の車に乗り、
俺たちはカヤックができる川へと向かっていた。
彼女は川に誘った理由をこう言った。
『私が泳ぎ方教えてあげるから!』
俺を泳げるようにして、またかっこいい姿を見せれるチャンスを与えてくれたということか?
俺はそう解釈して、
『ありがとう!!!今日は楽しもう!』
そう言って俺たちは数時間楽しむことができた。
そしてこのカヤックを通して距離を縮め、急激に仲良くなった俺たちは、
そこからは一緒に映画を見たり、ビリヤードをしたり、英語を教えてもらう口実で会うことになり、互いに好意を抱くようになった。
そして俺はアメリカでは告白をする文化ではないと聞いていたので、ある日その子が家に帰るときに追いかけて、
『キスしていい?』と聞いたら、最初は戸惑っていたけど、『いいよ!』となり、キスをした。
そして正式に付き合うことになったのだ。
彼女は俺にとって、初めての恋人だった。でもそれだけじゃない。俺にとって、人生を変える存在だったんだ。
俺たちは付き合い始めてから、ほぼ毎日一緒に過ごすようになった。学校が終われば、映画を観に行ったり、カフェで話したり。
彼女は俺の拙い英語を根気よく直してくれたし、俺が文化的な違いに戸惑っているときも、『それがアメリカでは普通だよ』と優しく教えてくれた。
特に印象的だったのは、彼女がいつも自分の意見をはっきり言うこと。俺はそれまで、人の顔色を伺うことが多かったけれど、彼女との時間を通じて、自分の思いや気持ちを率直に伝える大切さを学んだ。
でも、初めての国際恋愛には困難もつきものだ。俺たちはお互いに文化の違いを感じることがあった。
例えば、彼女はデート代をいつも割り勘にしたがった。それを初めて言われたとき、正直少し戸惑った。
俺の中には、『男が支払うべき』という日本的な考えが根強く残っていたからだ。
でも彼女にとっては、それが自立と対等な関係を示す大切な価値観だった。
(まあ俺も学生だったし。。)
そんな違いに戸惑うこともあったけれど、俺は次第に彼女の価値観を尊重し、それを学ぶことができた。
逆に彼女も、日本人としての俺の考えや習慣を受け入れてくれた。お互いの違いを理解し合うことで、俺たちの絆はさらに深まっていった。
でも、幸せな時間は永遠には続かなかった。
俺の留学期間が終わる日が近づくにつれ、現実が俺たちの前に立ちはだかるようになった。俺は日本に帰らなければならないし、彼女はアメリカに残る。それが二人の関係にとってどういう意味を持つのか、お互いに考え始めた。
ある日、彼女が静かに言ったんだ。
『遠距離恋愛を続けるのはお互いにとって辛いと思う。だから、今のこの時間を大切にして、最高の思い出にしたい』
彼女のその言葉は、俺の胸に刺さったけれど、同時に彼女の優しさを感じた。
彼女と過ごした最後の日、俺たちはいつも通り映画を観て、ビリヤードをして、カフェでコーヒーを飲んだ。
最後に空港で別れるとき、彼女が涙を浮かべながらこう言ったんだ。『あなたは私の人生に大きな影響を与えたよ。ありがとう』って。
俺も彼女に伝えた。『君と出会って、自分を信じる力を持てた。心から感謝してる』と。お互いの涙を拭い合いながら、俺たちは別れを告げた。
アメリカでの彼女との恋愛は、俺にとって人生を大きく変える経験だった。
彼女との時間を通じて、自分の価値観が広がり、自信が持てるようになった。そして何より、異文化の中で愛を育むことの難しさと美しさを知った。
俺は日本に戻り、新しい夢を描くことにした。 『世界中の美女と付き合う』という目標はまだ変わらない。
でも、ただ女性と付き合うだけじゃなくて、その一人ひとりとの出会いを大切にし、その関係から学び、成長していきたいと思うようになったんだ。
第4章:非モテから世界を舞台に
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