同じ料理を同じ思いで美味しいねと言いたいだけなのに。
アメリカ人夫と結婚をして毎日自分に向き合うことが増えました。
私は気にしいな性格なのかもしれません。
今までは、ずぼらで適当でおおざっぱな性格だと思っていたんです。
彼と結婚するまでは。
彼は、あまりにも何も気にしない性格なので、
日本語で自分抜きで話が進んでも、細かい事がわからなくても、私が必要ないと思った会話を通訳しなくても文句ひとつ言わない。
ストレスも感じていない。
いや、私がすごく気になる!!
たまに記念日にちょっといいレストランなどに行くと
「○○産の○○を使ったなんとかの料理です。こちらのお魚にはこちらの醤油を付けてお召し上がりくださいませ。」
と説明をしていただいたりする。
「やったー!おいしそうだね!うれしいね!いただきまーす♡」
と感情が高ぶるままご飯を食べることは、彼といるとほぼ起きない。
私「○○産の○○を使ったなんとかの何だって!こっちのお魚にはこっちの醤油を付けて食べるって言ってたよ」
と店員さんの説明と同じことを英語でできる限り夫に伝えてから、
ではでは、いただきます。となる。
どんなにはらぺこの時もこの工程が入る。
本来なら、提供されたタイミングで一緒にお料理の説明を理解できたら、どれだけ楽か。どれだけ楽しいか。
別に誰かに言葉ではっきりと頼まれたわけでもないのだから、めんどくさいと感じるならしなくてもいいのだけど、良心が痛むのです。
わたしだけ100%理解している状態で、目の前のご飯が「おいしい」のと
彼は、なにがなんだかわからないけどなんか「おいしい」では
「おいしいね」の具体的な共感ができないし
なにより、罪悪感を感じる!!
フェアになるように努力してしまう。
私、たぶん共感野郎なんです。
一緒に共感したいんです。おいしい、とかたのしい、とかうれしい、とかを、同じレベルで。
彼は、「僕がわからないことがあっても大丈夫。
Babyがハッピーだったらそれでいいよ」というけど、私はあんたにも私と同じくらいハッピーになってほしいしそれを一緒に楽しみたいんじゃ!と 内心湧き上がるモヤモヤ。
店員さんの説明を彼のために伝える私に
「Ok!Thank you!」と言いつつ、好きなように魚を自由に食べる彼。
「このお醤油につけるって言ったやんけ!!!」
と内心腹を立てたり、
というか昔は私の英語の説明が下手だったのかもと自分の英語力の低さに落ち込んだりしていたけど、
関係ない。
アメリカ人は、食べたいものを食べたいように食べる。
最近は、あんたの食事やから好きなように食ってくれ!と思えるようになった。
彼はよく言う
“I want to do whatever I want!!!”
誰かに従ったりしない。自分で考える。
自分がいいと思うか、それが好きか、が一番大事で他人の言うことは、参考程度。
アメリカ人としての誇り、をそこに持ってるな、と感じる時がある。