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アメリカ人にとって愛は負担じゃない


アメリカ人夫と結婚してから日本で暮らしていく中で、私に重きがかかってるものが増えた。

一番は、言語。


日本語がわからない彼を支え続けることに、正直心の余裕を持てていなかったし

英語を勉強してもしてもネイティブレベルに急には追いつかなくて歯痒い。

そんな中、私の中にふとある思いが込み上げてくる。

なんでこの人は、日本語を一生懸命勉強しようと努力してくれないの?

なんで私ばっかり、2人がコミュニケーションを取るために頑張ってるの?


極端な話、今、もし私が英語を話すのやめて日本語しか話さなくなったら、この人私と意思疎通取れないんだよね?

なんか、この関係をよりよくするための相手からの努力をまったく感じない!!!!!()


これは自分の気持ちをちゃんと言わねばと話し合いの時間をもらうことにした。

私「最近、私たちが日本で生活していく上で私の負担が大きいと感じるの。荷物、1人で持つの大変だから半分持ってほしい。私たちが一緒にいるためのあなたの努力をもっと見られたら安心できる。」

彼「ごめんね、何が負担になってる?」

私「今の私の状況すべて。生活。私だけが第二言語で話し続けることも大変だし、何もかも全部、私次第なのも大変。もちろんあなたを愛しているから支えるけど、あなたが私の補助なしで日本で1人でできることが増えたらもっと助かる。」


彼「わかった。辛い思いさせててごめんね。僕も君の負担を減らすようにもっと努力するからね」

何時間もかけて丁寧に話して、伝えて、
よかった、わかってもらえた。とその時は思っていた。

次の日から彼は、仕事終わりはゆっくりお家でくつろいでね!とすぐ横になれるようにベッドに私の部屋着を置いておいてくれたり、スナック(軽食)を用意しておいてくれたり、掃除、洗濯、洗い物を率先してくれたり、仕事終わりスーパーへ寄って来てくれたりするようになった。


とってもとってもありがたかったし感謝していたけど、なんか違う、、。

そして、また日を改めてもう一度伝え直す。
何が私にとって負担なのか。何を一緒に頑張ってほしいのか。


何回か繰り返しても彼の言動は私の思いとはズレていて、これ以上話すことを諦めてかけていた。

そんな時、アメリカから私の友達が日本に遊びに来てくれた。彼女とは元同僚で7.8年の仲。歳は2つ上のお姉さん的存在。私と日本語で話せるようになりたいと昔から言ってくれ日本語の勉強をすごく頑張っていた。


久々のガールズトーク中、彼女に相談した。
"彼は本当に一生懸命やってくれてて感謝してる。でも、私が言う負担の意味に気付いてないの。少しでいいから抱えてる荷物を一緒に持ってほしいだけなのに!"と言うと彼女がこう言った。

「気持ち、わかるよ。教えてあげる。アメリカ人が考える人生の''負担"は一般的には仕事や家事のこと。だから彼は今必死にあなたの"負担"(家事や仕事のこと)を取り除こうとしてる。Miaが"負担"(Burden)が多いって言ったからね。
だってね、アメリカ人とって"Love"は人生において負担(Burden)にはならないの。」

「そういうとき、アメリカ人は
“Meet me in the middle of the brige”って言うの。彼はすぐわかるはずよ。」

負担(言語、環境、文化の違いを担う)が多いことをBurdenと伝えていた私。

Burdenという単語を聞いて私のBurden(家事や仕事)を軽くしてあげなきゃ!と頑張っていた彼。

家事や仕事は当たり前で負担だと思っていない私は、慣れない国際結婚の負担を私1人に背負わせる彼は愛が足りないと怒っていた。


私の頭の中では、彼と話している時、自分が抱えてている荷物を半分こして持ってもらうこともひとつの愛のイメージだった。

橋の上の真ん中で会う。

アメリカ人らしい、フラットでイコールの人間関係ならではの表現だなって思ったし、自力では一生出来ない発想だった。

彼に言うと一発で伝わった。


アメリカ人にとってLoveは負担じゃない。

Loveが負担なら、それは離婚を意味する。

そう言われて、国際結婚の負担が重いなんて言ってしまった自分の小ささを感じて申し訳なくも思った。

アメリカ人にとってのLoveの深さを知った。


でも日本人としての愛の深さも知ってほしい。


きっとその狭間で、私はこれからも橋を行ったり来たりしてしまうんだろう。

"Meet me in the middle of the brige"
もしよければご参考までに☺︎


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