12歳の留学で学んだ、人生の大事なこと
はじめに
私は中1の時、初めて海外に短期留学に行った。
その経験で人生が大きく変わったので、その話を書こうと思う。
留学のきっかけ
「絶対にアメリカに行きたい」中学1年生の初夏私はそれしか考えられなかった。
アメリカにそんなにも行きたかった理由は、小学6年性で初めて家族旅行でアメリカに行ったことが大きく関係していると思う。初めてアメリカに行って、自分の知らないこんな世界があるのかと衝撃を受けた。それまでアメリカなんか行きたくないと言っていた私だったけど、到着すると心が飛び跳ねるかのような希望とワクワクを感じた。
ここが私の居場所だと直感で感じ、何がなんでもアメリカにまた来たいと思った。帰国して両親に来年もアメリカに行きたいと話すと、姉が受験だしもう一回行くのは無理だよと。それでも私がしつこくお願いし続けるから、母がアメリカに行く方法を見つけてきてくれた。
それが私の留学人生の始まり。
渡航の決断
中1の5月ごろ、何も分からないまま行きたいという気持ちだけで留学プログラムへの参加を決意した。今思うと、深く考えていたら決断できていなかったから、未知すぎたことが結果的に良かった。何も分からないし、想像できないから、何を心配すればいいかも分からなかった。
今思うと、そんな自分が羨ましかったりする。歳を重ねて、大学に行って会社に勤めて、当時より確実に賢くなったけれど、その分色々な不安や、できない理由が想像できるようになった。ピュアに自分が直感的にやりたいからやるとか、後先や利害を考えないで自分の心に従うってすごく大事だけど、日に日にそれが難しくなっているような感じがする。
そんなこんなで、私はFrench Woods Festival of the Performing Artsというアメリカニューヨーク州にあるサマーキャンプに1ヶ月行くと決心した。
キャンプと言っても日本で想像するようなキャンプとは違い、アメリカでサマーキャンプは夏休みに開催される泊まりがけの林間学校のようなものを意味する。キャンプではスポーツをしたり、楽器を習ったり、工作をしたり、色々なアクティビティを行う。夏休みが長いアメリカではサマーキャンプに参加するのは珍しくなく、地域やカテゴリによってさまざまなサマーキャンプがある。
French woods festival of the performing arts (略: FWF)については以下。
学校へ報告
アメリカに行くことを学校に勇気を持って報告した。
留学期間が8月末までなので、夏休みから1週間はみ出てしまうけれど、行く価値は絶対にあると確信していた。でも、1週間学校を休んでアメリカに行くなんて前代未聞だと、先生達から猛反対を受けた。担任の先生は割と理解してくれたけれど、様々な先生から「前例がないからだめだ」とか、「高校受験に不利になるよ」とか、「勉強に遅れをとって苦労するぞ」とか、「部活を休むとレギュラーから落ちる」とか、、、書ききれない程の「できない理由」・「行くべきではない理由」を浴びせられた。
頑張って決断して、勇気を持って伝えたのになんでネガティブなことしか言わないんだろうってその時はすごく落ち込んだ。でも母が、先生達が言うことなんて関係ないから、行きたいなら行っておいでって言ってくれた。母の言葉もあって、学校の反対を押し切り、アメリカ行きが決まった。
私にはありがたいことに母という背中を押してくれる存在がいたけれど、もし頼れる大人が学校の先生だけだったら私の今の人生はどうなっていただろうか。教育に関わる人は子供の将来を大きく変える影響力があるから、子供の夢と可能性を潰すようなことはしないでほしいと切実に思う。
出発まで3週間〜出発当日
先生の反対を押し切って行くと決めたけれど、出発の日が近くなれば近くなる程私の不安は大きくなった。心配なことはただ一つだった。英語が通じるかとか、行ってからやっていけるかとか、友達ができるかとかではなく、出発の日家族と離れられるか、家族と離れて3週間生きていけるのかだった。
小さい頃から寂しがりやで、幼稚園の時は母がいないと友達の家にも一人で遊びに行けない性格だった私にとって、3週間家族と離れることが宇宙に数年行ってくるみたいなレベルの苦しさに感じた。まだ出発していないのに、想像しただけで寂しくて寂しくて、出発の3週間前くらいから、家で一人で留守番するたびに寂しくなって大泣きした。
あまりにも私が泣いているから、母が心配して「行くの辞めても怒らないよ。辞めてもいいよ」って言ってくれた。でも、ここで辞めたらこのチャンスは二度と来ないって思った。今回行かなかったら次の自分はもっと行けないと思ったから泣きながらでも行くしかなかった。
出発当日も行きの車で涙が止まらなかった。寂しいよ、寂しいよ、みんなと離れたくないよって思って悲しかった。でも、もう行くしかない。泣くな、泣くな、自分に言い聞かせながら、家族にお別れを言って、成田のエスカレーターを出国手続きに向かって降りて行った。
キャンプでの日々
キャンプでの日々についてはまた改めて書きたいと思うけれど、総じてめちゃくちゃ楽しい3週間を過ごすことができた。
最初の数日はホームシックで夜涙が出たり、母から送られてくる手紙を読んで泣いたりしたけど、母が手紙に、場所は離れていても空は繋がっているからずっと一緒って書いてくれて、寂しいときは空を見上げてた。
キャンプの敷地内にはバンクと言われるキャビンのようなものがたくさんあって、年の近い同性の子10~15人と約1ヶ月一緒に過ごす。バンクの中には2段ベッドが6こほどあり、シャワーとトイレは皆んなで共有。ほとんどがアメリカ人のキャンパーで、共同生活をすることで異文化にどっぷり浸かることができた。12歳という多感な時期にこの経験ができたことが本当に貴重だった。
経験を通して学んだ一番大事なこと
キャンプへの挑戦を通して、自分の視野もすごく大きく広がった。もちろん英語はほとんどできなくて、周りの状況とかが全然理解できなかったけど、新しい世界にいれることがただ嬉しくて。毎日自分の常識を覆される繰り返しで、あの夏で本当に多くを吸収したと思う。
英語の勉強に関しても、もっと海外のことや外国人の友人のことを知りたいと思って、そのために英語を絶対に習得しようと思った。中学1年生で文法などを習う前に生きた英語に触れたことで、学校の英語の授業がどれだけ役に立たないかも分かって、定期テストや受験のための勉強ではなく使える英語を勉強するために帰国後から1年間、毎日数時間Youtubeやfacebookを通してリアルな英語に触れた。1年後には驚くほど英語が喋れるようになっていて、自分の言いたいことがそれなりに伝えられるようになった。
学校の先生に反対されたり、ホームシックになったけれどそれアメリカに行って本当に良かった。帰国後も嫌味を言ってくる先生がいたりしたけれど、自分の決断は間違っていなかったと確信していたから、反対されても自分がやりたいと、やるべきと思ったことを貫けばその先に成功が待っていると気づき、私の人生にとって、とても重要な成功体験となった。
社会のこうあるべきという考えに従わず、自分の道を自分で決めることの重要さを学んだ。自分のやりたいことや好きなことに素直に従うことって大人になればなるほど難しいけれど、今でも可能な限りそれをモットーに人生の決断をしている。
Taraji P. Hensonの好きな言葉がある。
「反対する人の意見に耳を傾けて、他人の恐怖を自分に投影させると、本当の意味で生きることができません。」
何事をするにも反対する人は絶対いるから、その人達のネガティブな思考に左右されていては自分らしい人生を生きることができない。
最後に
このような貴重な機会を与えてくれた両親に感謝したい。留学は素晴らしい体験だけれど、経済的な理由や周囲の環境によって誰もが体験できる訳ではない。
今後は、恩返しとして出来るだけ多くの子供達にとって留学という選択肢が身近になるよう努めていきたい。
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