![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/152259551/rectangle_large_type_2_d43be9df84f94f7ad8ad5d724450eb69.png?width=1200)
思考メモ ボーイミーツガールとZ世代的価値観
だれもが一度は見たことあるであろう「ボーイミーツガール」作品。ボーイミーツガールとは、物語のプロットの一つで、主人公の男(ボーイ)がヒロインの女(ガール)と出会うことで、物語が進行し、多くは二人に恋愛感情が芽生えるというものだ。
以前、壱村健太氏がこのような投稿をした。
負けヒロインよりも勝ちヒーローについて論じてほしい、若いひとたちには。みずからの「男性性」の問題から目を背けないでほしい
— 壱村健太 (@ichimura_kenta) August 20, 2024
さて、男性性とはなんなのか。身体的なアレの話ではない。要は思想的な意味での「男性性」を考えなければいけないと思った。
私が男性性について考えるにあたって、まず初めに思いついたのが「ボーイミーツガール」だった。所謂主人公の男がヒロインにとってのヒーローとなり、二人は愛に結ばれるという、物語の一つの基本的なプロットだ。ボーイミーツガール作品はその性質上、二人に何らかの障害が発生し、それを主人公がメインでヒロインも手伝って乗り越え、ハッピーエンドという話だ。
とはいえ、Z世代的価値観からすると、このボーイミーツガールはありえないのではないか、と私は思った。※ここでいうZ世代的価値観とは、所謂若者の思考の変化であり、全員がそうであるとは限らない。
まず、Z世代的価値観に則れば、障害に対して、真っ向から立ち向かうのではなく、別ルートをいく方法をとるのではないか。それを彼らは逃げとは言わず、なんなら賢い選択なのかもしれない。
そして、恋愛観も昔と今とでは異なっており、果たして自分の何かを賭けてまで、その女を助けたい、障害を一緒に乗り越えたいのかと言われると、首を勢いよく縦に振ることはできないのではないか。「#Z世代的価値観(竹田ダニエル)」によれば、Z世代の若者は、パートナーに自らの心のヘルスケアを求めず、なんなら相手からのヘルスケアを嫌がる傾向がある。自分の心身のヘルスケアは自分で行うという自責的な思考になっている。
そして、物語の週末はハッピーエンドを望んでいるのかもわからない。これは、時代で変わるのかは自分自身分かっていないが、少年漫画では所謂敵がいて、そいつを倒せば主人公側の勝利ではなくなった。これは、高度経済成長期・安定成長期に育った人と失われた30年に育った人の価値観の相違だろう。前者は、わかりやすい目標があり、楽観的な思考で「どうにかなるさ」の精神であったのに対し、後者は不景気による社会的な不安、自己責任の拡大による現実的な思考をする人が増えた。この失われた30年を価値観の変化から見るに、心理学の子供が夢や理想から現実的な考え方に成長することを表す言葉である現実原則をもじって、「社会的現実原則時代」であると言えるだろう。
では、社会的現実原則時代における男性性とはなにか。社会が答えを出している。おじさん批判だ。今までの高度経済成長期・安定成長期に自らの男性性をある意味遺憾なく発揮していた彼らおじは、現代では肩身が狭く、批判の的となっている。セクハラをしないおじもいるだろう。だが、一般的には、40~50代の男はおじであり、そこは団体責任的に扱われている。加えて弱者男性(チー牛)とかつての強者男性(おじ)に世間的な批判があるまっているということは、男性は上にも下にも行き過ぎないことが大事なのかもしれない。
非常に面白みがないように聞こえるが、自己防衛のためだ。自分がやってなくても批判されてしまうなら、その批判されているセグメントにいなければいいわけであり、そこからの脱却をしなければいけない。
というわけで、私もパーマでもかけてコンタクトにしておしゃぶって脱チー牛しますか。