200204 備忘録(青木佑磨と学園祭学園へ宛てた脳の開陳)
ファイル名などに西暦の下二桁を付す表記方法(200101など)で日付を打ち込むたびに、2020年問題だな、って思います。これはTwitterで良い。
『ラジオのラジオ』青木さんゲスト回 前編を聴きました。学園祭学園のニューアルバム『ユートピアだより』を聴いて喚起された諸々とも併せたら、140文字×何個かでは収まらない呼び起こされようでしたので、noteにしたためます。ワンセンテンスが長く口語っぽい、かと思えば文語のような言い回しを好んで使ったりと悪文を書きますが、ここは僕の脳内であり、僕のために書きつける備忘録と割り切ることにして始めます。もうリタイアもありです。
まずは、恥ずいお話をします。
僕が当初 学園祭学園専属みたいな恰好でグラフィックデザインを始めて、デザイナーを継続的に名乗っていく決意がさすがにそろそろ固まったかどうかというころ、イベントの演者楽屋に入れてもらって慌ただしくも実のある打ち合わせを終えた、三々五々せわしげだったり所在なげだったりなふわふわ時間のことです。
なにか”流れ”とか興奮の中で意を決し、たしか青木さんを呼び止めて直接、彼らの制作した楽曲の中で僕が”一番特別に思っているタイトル”とその理由を伝えたことがありました。僕の性質としては、それをするリスクはめちゃめちゃ巨大とみるタイプですから、このときは随分極まっていたろうと思います。詞の解釈とかほかの曲との対比とか、釈迦相手に余計なことをたくさん説きました。頭が混濁してわけがわからなくなってしまっている、はっきりした記憶があります。また実際は”流れ”など読めっこないので、ただ興奮した僕が変なタイミングで告白しだす、胃を荒らしたいときに一生使える記憶もこびりついています。
そこへ持ってきて僕は特別のゆえんを、「この詞は、僕だと思うからです」なんて説明したはずです。釈迦以外にもひとはいたはずです……。
記憶が定かでないふりもしましたが、どのイベントだったか、どなたが同席していたかもよく分かっています。仔細は秘す。
恥の披露からすぐ、言葉を使うこととか愛し方などスタンスの話へ展開するつもりでしたので、グッとハンドルを切ります。短く書きたいです。
誰かの発信した言葉に、『これは、僕の抱くアレやソレ(観念)を代弁してくれているんだ』と思う感覚はとても気持ちがいいものです。しかしその気持ちよさは、それまで僕に固有だった尊いソレを、数百人規模の普遍性を持つひとつの共感にしてしまいかねない、扱いに注意すべきものでもあります。”千万人にとっての普遍性”では決してないソレが巧みに表現された言葉も魅力的ではあるのですが、自分固有だった観念を”概ねで即している他人の言葉”に落し込んでしまうと、その作業でわずかにフィットせずはみ出した、なにより得難い誤差の部分が削れて、当人にも気付けるかどうかのレベルで目減りするのです。
他人の言葉でなく、自らの使いたい言葉に落とし込む作業(みんな大好き言語化)の最中にあってすら、僕は観念を言語で完全に表すことはできないと考えているため、確実に純度のようなものは落ちると思っています。もちろん言語化は、巧拙こそあっても間違いがまずないことと、多くの人間に弄すことの出来る根源的な遊びという意味で優れ、やめろと言われても一生続けるだろう趣味です。
ただし僕は自分をまったく信用しておらず、”巧い”というだけの詭弁に魅力を感じることがあるし、ポリシーや主義の脆さをわかっているからこそ、石橋を渡ったうえでちょっと刮げておいて成分分析にかけて保留する。渡っておいて。だから、少なくともいまのところは言語化せず観念のまま大事に抱え込んでいたい命題があるくらいに、慎重な態度のつもりです。僕じゃなくてもあるのでは。不安で問いかけちゃってる。
それでも!! 「これは僕の曲だ」「僕の代弁者だ」と感じることなんて、いくらでもあります。やっと翻すセクションに来られました。
では言語化に慎重な人間が例外的に受け容れたい言葉とはなんなのか。意識の中にある原石のような自分だけの観念より何かが減ってしまうとわかっていても構わず他人の言葉を借りてきて蒐集することは、妥協か、でなければズルではないのか。
僕の考えは、これらは矛盾することなく同時に持っていてよいポリシーである、ということです。言語化慎重ターンで散々白熱しておいてなんですが、それを恣意的に使い分けながら、僕が死なないように脳内禅問答と反省を続けることで代弁者と付き合っていくのです。
超巨大な精神的救済が宗教の形をとっていることもあるし、そうじゃないことも自然にあります。それにすがるひとが自覚的か否かもまた様々です。ある種の純粋さが損なわれるのを恐れている僕は、カルトめいた心酔をする自身と、心酔したことで変質したり変じようとしている僕の何かには自覚的でいたいと思っています。僕の長々語った理屈でいえば、それを認識するのは限りなく難しいんですけどね。
どうにもならないが、返ってこないかたちで変質することを僕は知っているのだ、といいたいだけの節が、えらく冗長になっちゃったのには反省してます……。
これも恥ずかしい話なんですが(話題の接続が全部下手)、僕はポアロを、”ブルーハーツのように愛してる”と表現してきました。僕の頭の中だけで使うラベルで、こんな言い回しは誰にもしたことがないですけど。
というのは何かと申せば、ポアロが大好きで、実際にも幾度となくヤバい瞬間を助けてもらった自覚があるその一方で、常に”ポアロの存在によって真に救われている僕でない誰か”の姿越しにポアロを愛しているイメージを持っているのです。
その誰かとはそう青木さん なんちゅう短絡的な話ではありません。僕に似てはいるけれど、ラジオネームもツイッターIDもない布団の中ですすり泣く僕じゃない男です(このイマジナリーな彼は、いつも左半身を下にして横になっているから、涙で左のこめかみが濡れています。右に窓があって眩しいから。僕なのでは? 違うのです)。
『ユートピアをさがして』を聴いたとき、まさに、この架空の彼の曲だと思ったことも、書き留めておきたかったことでした。全国の布団の中の彼らへ、青木さんの優しいメッセージが届くといいと思っています(ラジオで一曲ってときになかなか選ばれない気がするけど)。
さておきまして、僕にとってのポアロがそうであると認識する以前に、このイメージを持って愛していたのが、ブルーハーツだったのです。
世代の違いや、僕の身の上におけるズレ、歌詞のひと言や彼ら自身の言動に感じる些細なギャップなどへのコンプレックスに近いものが根っこにあろうと思います。”完全に僕の曲だ”と思うことができない、あるいは思うことに後ろめたさを感じるとき、左のこめかみが濡れた男を連れてくるのでしょう。
僕は恥ずかしいし、気味悪いけどいい話。じゃなかったらごめんなさい。
他方で学園祭学園の楽曲、ことに青木さんの言葉、とりわけ初期作品には、それこそ魔法の、非常に(僕からすると)危険な共感が含まれていました。最初からそう思っていたわけではありませんが、もしかしたら他にはない言葉を聞いているのかもと思わされました。
抽象とかポエティックに近い若く暗ーい詞から、理解を拒むわけでなくても完全に理解などされては堪らないというような作家性を受け取り、そんな暗い作家へ、暗い人間が下す評価は大概極端な二択です(暗い人間の特権みたいに言ってしまったけど、多分なんだってそうですね)。
僕はおもしろいと思って愛してみました。”完全に僕の曲だ”と思えるような曲はたくさんありませんし、理解や共感だけが作品を選ぶ指針だなんてひとはいないでしょうが、”ポアロのファン”も含め一旦好きのスタンスをとってみていいと思えました。ここでも慎重なのは、「もともとめちゃめちゃ好きだった」と半ば思っている自分を封じ込めるためです。
続けて、とある作品と決定的に出会い、冒頭の”一番特別に思っているタイトル”がここで明かされるのもきれいなような、恥ずいからよしたいような、といって伏せるのも「殊更に?」って感じだけど……言明はしないでおきます。恥ずいから。はじめ気軽に好きに仕分けてみて、十年ちょっと通っている間に、真に大事な存在になりましたっていう、ありきたりな話です(もちろん、いま振り返ったときに経っていた時間が十余年であって、”なった”ときのことはわかりません)。
いま現在、noteの本文入力欄のこの行より下には、書こうかなって内容が列記されていますが、もういいと思うので可能なだけ短く締めます。書きながら思ったこと全部宣言する下手くそ。
『ラジオのラジオ』ゲストパート前編において青木さんは、『ユートピアをさがして』ではじめてポアロになってみようと思った、と重大なことをおっしゃってました。たしかに『ユートピアをさがして』を一聴すれば、ポアロ的な存在の示唆や、聞き手への呼びかけがこれまでより顕示的に表されているのがわかります。
しかし青木さんはこれ以前から歴然と、ラジオの向こう側に点在しているだろう、青木さんの語彙から借用すれば”三段式ロケットで切り離された君”あるいは、”これを聴いてる十代のおれ”へ向けた音楽、あるいは番組を作っています。僕は抱え込むタイプのファンなので基本的に全部あと出しにはなりますが、ラジオ上ではじめてそれを感じたのは『青木佑磨のミュージック+30』でした。
”お馴染んでない”青木さん及び学園祭学園が掴んだ、果たしてなにかの始まりなのか、身内ネタに終わるのかまだわからない、あの機会にしたことは、「無防備な”お前”の耳や脳、心に取り返しのつかない爪痕をくれてやろう」、と迂遠に言って『ひとつだけ』を流すこと(etc.)でした。挙げた例は番組も中盤の出来事でしたね。でもその迂遠な宣言が強烈に印象に残っています。
前段で学園祭学園と向き合う自分について、”十年ちょっと通っている間に、真に大事な存在になりました”と書きました。その経過とは別のところで、学園祭学園もいつのころからか、誰かから憧れと呼ばれるような、”ナニモノカ”になっていっていたことは間違いありません。あんまり引用するのはダサいとわかってるんだけど、止まらないですね。
あまりに取り留めがなく、ひとの脳みそん中を覗いてるみたいだったでしょうか。以前僕が描いたものを贈ったときに、青木さんから褒め言葉としてまさにそんな感想をもらったことがあり(……苦肉の表現だったのかもしれないけど)、伝わったかはわからないけど届いたと思えてとても嬉しかった記憶があります。だから僕はずっとこのままです。ひとのせい。
そうして、これがいつものように脳内の問答だったらそれまでだけど、テキストに出力しちゃったんだったらやっぱり届いて欲しいものですから、送信ボタンを押します。一週間悩んで書いたラブレターです。では、『ラジオのラジオ』青木さんゲスト回 後編が始まっちゃうのでこれで終わりです。
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