備忘録(「推す」とはなにか考えるつもりが、そうはならなかったメモ)

 僕はまだ推すことを知らず、ファンにしかなったことが無いかもしれないな、と考えてた。欲しくてグッズを買うし幸多からんことを祈るけど、どんなささいでも影響を与えたくない。かつては感想なども本人に届く可能性があるならと慎んでた。
 その伝だけでいうなら、最近は推しているか。
 タレントに、自身が存外強く愛されているってことを覚えてほしく思ったり、僕以外からももっと愛されたらいいのにって”願い”からエゴサ避けもせず(でも有象無象の意見として埋もれたいと思いつつ)ツイートをするようなファンとしての活動(ファンとしての活動?)。これは推してるか。どうだろう。

 ああ、ときに文字通りの「推す」で考えているところからして違うのでは。「推す」はおすすめすることだ。ひとに推薦し、ひいては、自分はこれを支持していると表明することだと捉えていた。
 他方、僕の想定している「ファン」は、対象を好きな自分を自認し、愛好してる人。ただこの「ファン」にも、ひたすら鑑賞・享受する人と、愛情を対象や周囲に伝え、普及に活動的な人など様々いるのは認めるところ。多くの人にとって、この様々なスタイルで愛好すること=推すの意だったら、ひとり相撲でむなしい。
 もちろん新語には旧語(便宜的に、死語ではない新語に対応する語)の語意をまるまる、もしくは一部含んでいたり、新語特有の多義的な用法の一つにおおむね旧語と同じ意味があったりすることを全然知っているから、とぼけるな!! って感じもする。でも喋るのと同じように書いてるから、最初の数行を書くあいだ盲点のように認識できていなかったです。はあ。

 ……ここは地球だったのか! が猿の惑星。猿リンカーン像がリメイク版だから、いまの僕の心境はリメイク版かも。オタクの惑星でファジーな単語によく似たファジーな新語が発展していた事実に気づく。あれ、そういう話だったっけ。脳でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?