備忘録(最近転ぶ。あと、妙な時期にオシャレの自我が兆した)
ちゃんと社会に所属していない僕の外出の機会がさらに減って久しい近頃、なにかの拍子に外出をすると、よく転びます。
僕は意外と身体能力自体は高く(と、自分でいってしまうくらい細くて、動けなそ~な容貌をしている。”身体能力自体は高く”という言い回しは、スポーツは一つもできないけど、100m走と器械運動の授業だけよかった学生時代の認識と自負から)、しょっちゅう転んだりするドジっ子ではないのですが、最近は輪をかけて痩せたし、身体的な衰えもあろうと思います。
でも実感はそういうことじゃなく、自分の体がなんというか、「故障した携帯電話の、代わりに渡された代替機」のように、にわかに慣れない馴染まない寸法感になってしまったようなのです。「車幅が分からない」に近い感覚じゃないかと、車の免許も持ってないのに思ったりします。
こうなってくると、雑学おじさん諸氏は〈不思議の国のアリス症候群〉を思い出すかもしれません。身体的なほうじゃなくて、精神ないしは脳のやつでは……? と。
そんな怖い話を書くとこじゃないし、引っ張ってもしょうがないですから結論、というか僕の見解を示しますと、原因は眼鏡を家用と外出用で分けたことに違いありません。
小5から現在まで、眼鏡といったらスクエア型の細いメタルフレームだったのですが、いわゆる自粛期間のはじまる直前、急に高橋幸宏みたいになりたいと思って、丸っぽいセルフレームの眼鏡を新調したのでした。
この新調したのが外出用で、近視・乱視の矯正が強め(適正)になっており、もともと使ってた家用は、本を読んだりPCの前にいる時間が長い自分に合わせて、目が疲れない程度に矯正を弱くしてあります。
わかってみると当たり前なのですが、特に乱視の矯正を変えたばかりのときって、地面との距離感覚が違って感じるし、丸に近い大きめのレンズも、どうやら見える風景が感覚的に変わる。
残念なことに外出の機会は減りひとと会わない世の中になり、幸宏眼鏡の出番が極端に少なかったこともあって、気付くのが遅れたという次第だったようです。帽子にも凝ってます、急に。ハットじゃないけど。
よかった、なにもないところで蹴つまずくドジっ子も、精神的に参った人間もいなかった。いや、参っちゃってるドジは確かにいるよ。因果が結ばってなかっただけ。
地面までの距離感覚が変わると人間はマヌケに転ぶ。
ドジ眼鏡っ娘メイドさん、家用と仕事用で眼鏡別けてる説。
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