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やまなしの授業を振り返って
初めて光村の教科書にやまなしが掲載されたのはいつからだろうか。調べてみると1970年、今から50年前に掲載されたそうだ。
ごんぎつねが1971年からということを踏まえると、少なくとも光村においてはやまなしが1番古くからずっと掲載されている作品ということになる。(他社のことまでは不勉強なので、わからない。)
どうして、50年もの間この教材が教科書で扱われるのか。きっと何か理由があるはずだ。私は読み手が抱く主題の多様性がその理由の一つではないかと考える。
主題というのは書き手ではなく読み手の解釈であるが、どんな読みを創ってもいいのかというとそうではなくて、妄想ではなく想像でなければならない。もっというと、そこには言葉から想像できたという論理がなければ、読み手としての主題とは言えないだろうというのが私の国語授業観だ。
私の目の前の子どもたちと、2枚の幻灯に名前をつけようといった授業では『ーーーだから、〜な世界である。』というモデルを示すと次のような意見が引き出された。
白い丸石や水晶のつぶや金雲母のかけらがあるから綺麗な世界である。
光が途中でぐちゃぐちゃにされているから
光が途切れてしまう世界である。
魚がカワセミに食べられてるし
クラムボンは魚に食べられてるだろうし
カニも怖がってるから死の世界である。
このように、幻灯に題名をつけた。
しかし、こういった授業を展開するたびに子どもは解釈の議論をしようとする。
イーハトーブの夢とつなげて受け取ったメッセージを伝え合おう。と展開したある授業ではこんな見方をすることもあった。
5月は妹のトシを亡くして悲しんでる過去の宮沢賢治で12月はそこから前向きに生き直そうとする宮沢賢治。
だから、みんなも力強く生きてほしいというメッセージ。
やまなしがある世界は幸せにおうちに帰れる。
だけど、やまなしがない世界は怯えて怖がるしかない。安心して暮らすには食べ物が大切というメッセージ。
やまなしは熟して落ちるしひとりでにお酒になる。
そうやって命を分け与える存在なんだよ。でもね、カワセミは魚の命をうばっていった。人間はいつも命を奪ってばかりだから与えてくれてる命に感謝しなさいというメッセージじゃないかな。
宮沢賢治が亡くなる直前まで、農業の仕方を教えていたように、やまなしも最後までお酒になってカニたちに命を分け与えている。やまなしは、宮沢賢治が理想とした生き方を象徴しているのか。
このように子どもたちは読みを更新した。
読みを伝え合うことで、自分の考えが深まったり広がったりした時に、初めてやまなしの国語授業の本質である、多様性が機能したように思った。
そして私は3つのクラスでやまなしを子どもと授業を作る中で、気づいたことがある。
それは、文の言葉に帰って考える度合いを低く持つ方が、自分の考えを持てるようになるのではないかとということだ。
よくよく考えてみれば、やまなしは二枚の幻燈を見ながら宮沢賢治が語っている作品である。宮沢賢治の幻燈の絵は本来はあったのだろうがこの教科書には挿絵という挿絵は掲載されていない。つまり、読み手は言葉を元にその幻灯を想像したくなる。
読み手によって言葉を紡いで同じ絵を作ることは当然、不可能である。
言葉からイメージできるかどうかという論理性の線引きを淡いグラデーションのように捉えることで想像と論理の両輪から描がけるようにした方が、より味わって読める姿がみられた。
私はこれまで国語授業は言葉をもとにしてということを子どもたちにも指導し続けてきたが、やまなしにかぎってはどこの言葉からそう考えたのか?などと、言葉をもとにした解釈に頼りすぎず、あえて言葉から少し離れて感覚的に味わったことをもとに議論することも必要であったのではないかという仮説を立てるに至った。
一人ひとりが、やまなしの読み手であり、一人ひとりな異なった幻燈を描いている授業であるからこそ、やまなしを小学校で学ぶ価値があるのではないか。
決してしてはならないことは、教師の解釈の押し付けである。子ども一人ひとりの解釈を受け止めてやる。また解釈を持てるように育ててやる。
これからは、一人一人の子どもが自分の読みを創る。
そういった国語授業へ転換していかなければならない。
50年間もの間変わらない教材であるがゆえに、過去の授業の在り方や過去の子どもの姿に取り憑かれている授業実践をしばしば目にする。
教材は変わっていなくとも、時代と子どもは変わっているのである。
目の前の子どもと共に毎年新しいやまなしの授業実践を追究していくこと。
これは、私の今後の教師人生の永遠の課題の一つになりそうだ。
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