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#10 まにまに
大好きな本がある。
作家、西加奈子さん著の「まにまに」(KADOKAWA)である。
好きで何度も読み返した本は他にもあるが、「まにまに」は間違いなく私の人生のバイブルだと断言できる。
「まにまに」について軽く説明しておくと、この本は各雑誌に掲載されたエッセイを「日々のこと」「音楽のこと」「本のこと」の3章に分けてまとめた2015年発売のエッセイ集である。
私がこの本をなぜ好きなのかというと、とにかく言葉選びが面白過ぎるからである。
中学の頃教室で初めて読んで盛大に噴き出し、その後は笑い声を必死に殺して、本当に死にそうになりながら読んだことを覚えている。
例を挙げればキリがないが、まず最初に思いつくのは何といっても「クソの勝ち」である。
「クソの勝ち」は、携帯の機種変更をしようと携帯ショップに行くところから始まる。スタッフの対応が悪く、機種変更の際の難しい操作に助けを求めるもまともに取りあってもらえず、挙句の果てには自分をほったらかしにしてスタッフ同士でいちゃついているという状況に、西さんは「自分が情けなくてかわいそうで」泣きながら帰路についていた。
私が一気に引き込まれたのはこの次の文章である。
『そしたら、白い靴で犬のクソを踏んだ。というより、つま先で犬のクソに突入した。』
私は笑いをこらえられなかった。
特に「突入」の2文字は、それだけでその場の状況も泣きっ面に蜂のみじめさも的確に表していた。ただでさえみじめなのに、白い靴のつま先で犬のクソに突入してしまった絶望感がありありと伝わってきた。
これは勝手な想像であるが、西さん自身もこれを書く時にはこの時の状況が面白くなってしまっていたのではないかと思う。そうでなければこんな言葉選びは出来ないと思う。
同時に、今の自分ではこのように秀逸な言葉選びは出来ないと思った。
シンプルかつ秀逸な文章が多分1番難しい。自分の気持ちをできるだけ的確に言い表したくて、つい長ったらしい文章を書いてしまう今の私には到底無理な芸当である。
逆を言えば、知らなかった日本語の可能性に気づいてますます日本語が大好きになった。そしてこれを書いた西さんという人が愛おしくてたまらなくなった。
今の私がエッセイを書きたいと思っているのは、多分この本の影響が大きい。現に私はこのエッセイもどきを通し、西さんの秀逸な言葉選びに勝手に挑戦しているのかもしれない。(「挑戦」などと、西さんを真似てそれっぽく漢字を使ってみたが到底及ばなかった。)
もうひとつ自分の中で衝撃だったのは、「自分のことを『かわいそう』と言ってもいいんだ」ということである。
世の中には「悲劇のヒロイン」は好かれない風潮がある。それには私も大いに共感するので表には出さないが、自分がみじめでかわいそうで泣きたくなるような瞬間は正直たくさんある。
私は、そんな感情が自分だけのものではないと知って安心したのである。エッセイとは、内面のそういった部分を書いてしまっても許される稀有なものであると気づいた。とても嬉しかった。
「クソの勝ち」以外で言えば、「いつか肴に」が特に印象に残っている。好きすぎてタイトルの「いつか肴に」を座右の銘にするほどである。
「いつか肴に」の内容を要約すると、「どんなに思い通りにいかないことやしんどいことがあっても、いつかそれを肴に酒を飲もう」という話なのだが、特に秀逸なのはオチの部分である。
このnoteを読んだ人には是非本を手に取って読んで欲しいので、あえてここでは書かない。
この本のいいところは、言葉選びが面白いだけに留まらないところである。
コミカルな語り口のエッセイが並ぶ中、時折シリアスなエッセイが紛れ込んでいることがあるのである。
一口にシリアスと言っても、ただ単に暗くて深刻な内容であるという訳ではない。シリアスな中にも西さんの人情味が節々に垣間見えるのである。
「まにまに」の中でシリアスなエッセイと言えば「エキのこと」や「物語の力」などがそれにあたると思う。
そのどちらもに共通しているのは、苦しい現実や目を背けたくなるような事柄が描かれていること、そしてそんな中でも西さん自身の生きる実感が描かれていることである。西さん自身のあたたかさがにじみ出ているからこそ読んでいて響くものがあるのである。
と、ここまで1800字弱「まにまに」の魅力について語ってきたが、この場でその魅力を余すところなく伝えることはできない。書いても書いてもキリがないし、それどころか私の気づけていない魅力がまだまだたくさんあるはずである。
ただ、今の私に確実に言えることは、これまでもこの「まにまに」という本を何度も読んできたし、この先も何度でも読み返して、何度でもその魅力を発見したいと思っていることである。
そして私は、この先エッセイという点においては西さんのようになりたい。人間としては西さんのようにあたたかくて面白みのある人間になりたい。
もしも私が売れた暁には、ぜひとも西さんにお会いしてお話がしたい。
願わくば、このエッセイもどきを数年後読み返した時に「まにまに」のあとがきにあるように「私って、生きてきたんだなぁ。」と思えるように生きていければいいなと思う。