誰にも言ったことのない。

私には、推しの鉄塔がある。

私の自宅の裏手は山である。山沿いなせいでネット環境はどの会社もギリギリ圏外だし、ほんの数年前までは、自宅内でも携帯電話の電波が立つ部屋と立たない部屋があった。要は田舎なのだ。繁華街まで車で1時間という中途半端な田舎。

そんな田舎でも好きな風景がある。

田んぼが広がる平坦な土地に聳え立つ鉄塔。繋がれた線が山向こうに消えていく様は壮観である。私は、毎日この光景を目にしながら会社へ向かう。

ある日は鉄塔の向こうに澄み切った青空を見、夕方は鉄塔に遮られた夕陽を見る。稲の苗を植える時期になると田んぼに水が入り、運が良ければ凪いだ水面に逆さまな鉄塔が映る。私はこの光景が特に好きだ。

ここで話は冒頭へ還る。私の推している鉄塔は、私の好きな風景の中にある。

それは山向こうへ消える鉄塔と、別の集落へ向かう鉄塔との分岐点。二方向へ線が伸びている鉄塔である。聳え立つ天辺付近にある線より下の方から数本線が伸びて、また形の違う鉄塔へつながる推しを、毎朝真下に近いところから眺めて仕事へ行く。特に何か変わったところがあるわけでも、特別な思い入れがあるわけでもない。強いて言うなら、通勤の行き帰りによく通る道が推している理由になるのだろうか。

青空と共に、遠くに見える山と共に、時には淡く光る月と共に。私は推しの写真を何枚も撮ってきた。夕陽に伸びる影にすら、心を動かされた時もある。

きっと私はこれからも、推しを撮り続ける。その場所に佇んでいる限り、この土地から離れる時が来ても、想い続けるだろう。

なんていうのは、多少言い過ぎかもしれないが。


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