KokugoNote #31試験勉強のこと
皆さん、こんばんは!
今日は試験勉強について、先生の考えていることを少しお話ししようと思います。古い勉強方法だと、単語帳や一問一答形式の暗記ペーパーを作ったり、教科書の重要ワードに蛍光ペンを走らせたり、授業ノートをもう一度書き写したり、漢字や英単語を何度も書いてみたりする方法がありました。令和の時代にそのようなことをしている人はいないと思いますが、改めて「試験勉強とは何なのか」を整理しておきたいと思います。
結論から言うと「傾向と対策」をまず知らないといけません。赤本などでお馴染みの「傾向と対策」です。なぜか多くの人が定期考査などでは驚くほどこのことを失念しており、闇雲にテストに臨むことが多いです。先生からすれば実に不思議なことなのですが、誰が作問するかで傾向は大きく異なるので、まずその確認をすべきだと思うのです。今までどのような試験を作っていたのか、過去の問題を貰って対策を立てることです。受験の際にはそうするのに、定期考査ではなぜかそうしない。実に不思議です。
出題者には必ず癖があります。大学の入試問題もそうですが、大学によって大きく癖が出ます。癖というと、厄介なもののように捉えてしまいがちですが、出題者がどのような能力を試そうとしているのかという姿勢が設問に現れます。まずその傾向を掴むことです。これが試験勉強で最初に行うことです。
次にすることは「対策」です。傾向から「どのような能力を試されるのか」を知ることができれば、何をすれば良いのかが解ります。例えば、言葉の学習では、「読める/書ける/意味が解る/使いこなせる」という4つの能力が試されます。現代文でも古文でも漢文でも英文でも、基本的には同じことです。
①教科書文に目を通してみて正確に音読できれば「読める」ことになります。 ②「書ける」では、漢字に、現代仮名遣いに、書き下し文に改めることができたり、発音記号から単語のスペルを再現できたりすることです。 ③「意味が解る」とは、文字通り、語句の意味調べを徹底的にすることです。いくつかの意味がある場合は、文脈に当てはめてみてどの意味が的確なのかを確かめることも含まれます。 ④ 現代文では論理的に説明できるか、古文では文中に合うように用言や助動詞を活用できるか、漢文では返り点や句法を的確に打つことができるか、英文では構文を使って作文ができるか、などが「使いこなせる」です。
さらに文章を読んで設問を解くことが多いと思うので、何を訊ねられるのかを確認しておきましょう。基本的には、what?how?why?です。つまり、「それはどういうこと?」「どのようにしたの?」「なぜしたの?」という設問が大半です。
文章を読んでいて何か「よく解らない表現」があったら、そこに傍線を引いて「それは〇〇ということだ」と答えられるようにすることです。文章を読み、現在の状態や予想される結果についての記述があれば、「どのようなプロセス(経緯)からそうなったのか」を、文中の解説とむすびつけなくてはいけません。文章を読み、常識的な理解を覆す現実があったのなら「なぜそうなったのか?」を文中から探さなくてはなりません。
文章を読む際に必要な考え方が「段落」というものです。「段落」は、ひとつの主張、ひとつの事例、ひとつの反証など独立したまとまりを表しています。Aという段落とBという段落は大きな話題では共通のものかもしれませんが、扱っている事柄が異なります。文章全体の中で、段落同士の関係を掴む必要があります。読み飛ばせる段落があれば、高い優先順位を持つ段落もあります。それらを知らないといけません。
いずれにせよ、国語でも英語でも、きっとどの科目でもそうだと思いますが、「この単元のテーマは何なのか?」「なぜこのことを学んでいるのか?」「私たちの生活とこの課題はどう繋(つな)がっているのか?」を常に考えないといけないのです。
校内順位やテストの平均点、偏差値などは周りの人たちとの競争を煽るアイテムとして利用されているだけで何のメリットもありません。目指すことは、100点分の理解なので、今回のテストで100点取ることができなかったとしても、もう一度解き直して100%の理解に持っていけば良いのです。人生はトーナメント戦ではないのだから、長い長い時間を使って、学んだことを消化して身につけていけば良いのです。それはきっと「コツコツがんばる」「真面目に取り組む」ということではなく、「ずっとそのこと(「この単元のテーマは何なのか?」「なぜこのことを学んでいるのか?」「私たちの生活とこの課題はどう繋(つな)がっているのか?」)について考えて、毎日を過ごす」ということなのだと思います。
先生はよく本を読みますが、「さあ、勉強するぞー!」と考えたことはありません。自分が必要だと思ったことに対して、お金と時間を使って向き合うだけです。それが楽しいことかどうかは事前には解らないのです。この先もずっとそうですが、社会の中で生活している以上、他の人たちは自分とは違った存在なので、いつも自分のしたいことはできないのが世の常だし、嫌なことも面倒なことも引き受けなくてはいけません。どうせ避けることができないことなら、一生懸命取り組むべきだし、工夫して取り組めば、楽しむことができるものです。
皆さんにはそのように取り組んでほしいと願っています。
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